聖書の探求(023) 創世記23章 サラの死と埋葬

23章には、アブラハムの妻サラの死と埋葬が記されています。サラは時折、この世の知恵に従って愚かなことをしたこともありますが、聖書中すぐれた人物の一人として記されています。アブラハムの信仰の働きの背後にあって、サラの信仰はアブラハムを大いに励ましたものと思われます。まことに良い妻は神より与えられる宝です(箴言18:22、19:14)。
箴 18:22 良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、【主】からの恵みをいただく。
箴 19:14 家と財産とは先祖から受け継ぐもの。思慮深い妻は【主】からのもの。

サラは127才でへブロンで死にました。この時のアブラハムの悲しみはいかばかりだったでしょうか。サラはアブラハムにとって妻であったばかりでなく、その信仰の戦いの生涯において、彼自身と一つになっていたのでしょう。

〔23章の概要〕

1~2節 サラの死とアブラハムの嘆き
3~18節 墓地の購入
4節 アブラハムの願い
6節 アブラハムを尊敬するへテ人。これはアブラハムがいかに良いあかしを立てていたかを示しています。
7~12節 アブラハムの謙遜
13~16節 アブラハムのすぐれた交渉。アブラハムは「差し上げます。」というへテ人の好意に甘んじず、正当な代価を払った。これは何代か後に互いの子孫が争わないためにも、賢明なことでした。
19~20節 サラの埋葬

〔アブラハムの美しい性質〕

1、 妻に対する愛(1、2節)

創 23:1 サラの一生、サラが生きた年数は百二十七年であった。
23:2 サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた。

聖書中、女性の年令が記されているのはサラだけです(127才)。彼女は老年に至って死にましたが、アブラハムは潔き愛をもってサラのために嘆き、泣きました。
人はしばしば若い時の妻を愛するけれども、年老いてはその愛が衰えます。しかしアブラハムはそうではありませんでした。
2節に、「アブラハムは来て」とあるのは、彼がベエル・シェバで家畜を飼っており、サラはへブロンで死んだので、アブラハムは急いでかけつけて、サラのために泣いたということです。

2、 質素で単純な生活(3、4節)

創 23:3 それからアブラハムは、その死者のそばから立ち上がり、ヘテ人たちに告げて言った。
23:4 「私はあなたがたの中に居留している異国人ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば私のところから移して、死んだ者を葬ることができるのです。」

アブラハムはカナンの地に立派な家を建てようと思えば建てることができたのですが、彼はこの世においては旅人の生活を続けました。彼は年老いて富ある者になっても、なお質素な旅人の生活を続けていました。

ヘブル人への手紙11章9、10節をみると、アブラハムがなお天幕に住んでいたのは、神が設計された堅い基礎の都を望んでいたからであることが分かります。彼は年をとると共に、ますます人生の目的をはっきりと悟り、見えないものを望んで進んだのです。アブラハムは実に、私たちの信仰の模範です。
ヘブル 11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

3、 信仰の確信(5~9節)

創 23:5 ヘテ人たちはアブラハムに答えて言った。
23:6 「ご主人。私たちの言うことを聞き入れてください。あなたは私たちの間にあって、神のつかさです。私たちの最上の墓地に、なくなられた方を葬ってください。私たちの中で、だれひとり、なくなられた方を葬る墓地を拒む者はおりません。」
23:7 そこでアブラハムは立って、その土地の人々、ヘテ人にていねいにおじぎをして、
23:8 彼らに告げて言った。「死んだ者を私のところから移して葬ることが、あなたがたのおこころであれば、私の言うことを聞いて、ツォハルの子エフロンに交渉して、
23:9 彼の畑地の端にある彼の所有のマクペラのほら穴を私に譲ってくれるようにしてください。彼があなたがたの間でその畑地に十分な価をつけて、私に私有の墓地として譲ってくれるようにしてください。」

東洋人には、その死体を故郷に葬る習慣がありました。その習慣からすると、アブラハムもサラの死体をカルデヤのウルに持って帰って、そこに葬るはずでしたが、彼はカナンの地は神が与えてくださった地であると確信していたので、そこに葬ったのです。

創世記50章22~26節をみると、ヨセフは遺言して必ず自分の死体をカナンの地に携え帰るように誓わせています。
創 50:22 ヨセフとその父の家族とはエジプトに住み、ヨセフは百十歳まで生きた。
50:23 ヨセフはエフライムの三代の子孫を見た。マナセの子マキルの子らも生まれて、ヨセフのひざに抱かれた。
50:24 ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」
50:25 そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。
50:26 ヨセフは百十歳で死んだ。彼らはヨセフをエジプトでミイラにし、棺に納めた。

これはヨセフの信仰の告白です。ヨセフは多くの信仰の働きをしたにも拘らず、ヘブル人への手紙の記者はこのことだけをヨセフの信仰として記しています(ヘブル11:22)。
ヘブル 11:22 信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。

4、 この世からの分離(6~9節)

創 23:6 「ご主人。私たちの言うことを聞き入れてください。あなたは私たちの間にあって、神のつかさです。私たちの最上の墓地に、なくなられた方を葬ってください。私たちの中で、だれひとり、なくなられた方を葬る墓地を拒む者はおりません。」
23:7 そこでアブラハムは立って、その土地の人々、ヘテ人にていねいにおじぎをして、
23:8 彼らに告げて言った。「死んだ者を私のところから移して葬ることが、あなたがたのおこころであれば、私の言うことを聞いて、ツォハルの子エフロンに交渉して、
23:9 彼の畑地の端にある彼の所有のマクペラのほら穴を私に譲ってくれるようにしてください。彼があなたがたの間でその畑地に十分な価をつけて、私に私有の墓地として譲ってくれるようにしてください。」

ヘテ人たちは親切に「私たちの最上の墓地に、なくなられた方を葬ってください」と申し出ました。しかしアブラハムはサラの死体を異邦人と一緒に葬ることを断わり、マクペラのほら穴を買いとり、私有の墓地としました。これによって彼がこの世からはっきりと別れていることが明らかにされました。

5、 この世の人に対して丁寧で廉直(れんちょく:心が清らかで私欲がなく、正直なこと)であった(9~16節)

創 23:9 彼の畑地の端にある彼の所有のマクペラのほら穴を私に譲ってくれるようにしてください。彼があなたがたの間でその畑地に十分な価をつけて、私に私有の墓地として譲ってくれるようにしてください。」
23:10 エフロンはヘテ人たちの間にすわっていた。ヘテ人のエフロンは、その町の門に入って来たヘテ人たちみなが聞いているところで、アブラハムに答えて言った。
23:11 「ご主人。どうか、私の言うことを聞き入れてください。畑地をあなたに差し上げます。そこにあるほら穴も、差し上げます。私の国の人々の前で、それをあなたに差し上げます。なくなられた方を、葬ってください。」
23:12 アブラハムは、その土地の人々におじぎをし、
23:13 その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げて言った。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」
23:14 エフロンはアブラハムに答えて言った。
23:15 「ではご主人。私の言うことを聞いてください。銀四百シェケルの土地、それなら私とあなたとの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、なくなられた方を葬ってください。」
23:16 アブラハムはエフロンの申し出を聞き入れ、エフロンがヘテ人たちの聞いているところでつけた代価、通り相場で銀四百シェケルを計ってエフロンに渡した。

アブラハムはこの世と決して妥協しなかったけれども、この世の人に対して非常に丁寧でした。マクペラのほら穴の地主エフロンは、アブラハムにその畑地を「差し上げます。」と言ったけれども、アブラハム はそれを受け取ることもせず、借りることもせず、その申し出を丁寧に辞退して、代価を払って買い求めました。この仕方は今日のクリスチャンも学ぶべきです。

6、 天を慕う思い(11~16節)

創 23:11 「ご主人。どうか、私の言うことを聞き入れてください。畑地をあなたに差し上げます。そこにあるほら穴も、差し上げます。私の国の人々の前で、それをあなたに差し上げます。なくなられた方を、葬ってください。」
23:12 アブラハムは、その土地の人々におじぎをし、
23:13 その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げて言った。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」
23:14 エフロンはアブラハムに答えて言った。
23:15 「ではご主人。私の言うことを聞いてください。銀四百シェケルの土地、それなら私とあなたとの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、なくなられた方を葬ってください。」
23:16 アブラハムはエフロンの申し出を聞き入れ、エフロンがヘテ人たちの聞いているところでつけた代価、通り相場で銀四百シェケルを計ってエフロンに渡した。

アブラハムが土地を買ったのは、墓地だけでした。人々の中には、彼がカナンの地にいて天幕に住み、何も地上に残すものを得ようとしないのを見てあなどったり、不思議に思う者もいたでしょう。しかしアブラハムの思いは、ただ天に向かっていたのです(使徒7:4、5)。
使 7:4 そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、ハランに住みました。そして、父の死後、神は彼をそこから今あなたがたの住んでいるこの地にお移しになりましたが、
7:5 ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。それでも、子どももなかった彼に対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束されたのです。

7、 先見の明(17~20節)

創 23:17 こうして、マムレに面するマクペラにあるエフロンの畑地、すなわちその畑地とその畑地にあるほら穴、それと、畑地の回りの境界線の中にあるどの木も、
23:18 その町の門に入って来たすべてのヘテ人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。
23:19 こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。
23:20 こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。

アブラハムはマクぺラのほら穴以外に、もう一つの墓を買っていました。シケムのハモルの子から買っておいた墓です(使徒7:16)。
使 7:16 そしてシケムに運ばれ、かねてアブラハムがいくらかの金でシケムのハモルの子から買っておいた墓に葬られました。

彼は墓地をニヶ所持っていたのです。そしてやがてイスラエルが二つの王国に分裂しても、そのどちらにもアブラハムの墓地があることによって、どちらの地も神が与えられた地であることを示すようにしたのです。アブラハムには、子孫のために先見の明があったものと思われます。

① アブラハムがシケムでハモルの子から買っておいた墓(使徒7:16)
使 7:16 そしてシケムに運ばれ、かねてアブラハムがいくらかの金でシケムのハモルの子から買っておいた墓に葬られました。

② ヤコブはパダン・アラムからの帰途、野の一部をハモルの子らから百ケシタで買い取った。これはアブラハムが買っておいた墓の周囲の野であると思われます(創世記33:18、19)。
創 33:18 こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。
33:19 そして彼が天幕を張った野の一部を、シェケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取った。

③ 創世記23章19、20節で、サラを葬るためにアブラハムがエフロンから買ったへブロン(マムレ)に面するマクペラの畑地のほら穴の墓には、サラ(23:19)、アブラハム(25:10)、イサク(35:29)、リベカ、レア、ヤコブ(49:31)などが葬られ、北のシケムの基にはヨセフの骨が葬られています(ヨシュア記24:32)。

創 23:19 こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。
23:20 こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。

創 25:10 この畑地はアブラハムがヘテ人たちから買ったもので、そこにアブラハムと妻サラとが葬られたのである。

創 35:29 イサクは息が絶えて死んだ。彼は年老いて長寿を全うして自分の民に加えられた。彼の子エサウとヤコブが彼を葬った。

創 49:31 そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。

ヨシ 24:32 イスラエル人がエジプトから携え上ったヨセフの骨は、シェケムの地に、すなわちヤコブが百ケシタでシェケムの父ハモルの子らから買い取った野の一画に、葬った。そのとき、そこはヨセフ族の相続地となっていた。

(創世記23章 完)

上の写真は、フランスの画家(主に版画)Gustave Doré (ギュスターヴ・ドレ 1832–1883)が1866年に作成したDoré’s English Bibleの挿絵より「The Burial of Sarah(サラの埋葬)」(Wikimedia Commonsより)

「聖書の探求」の目次

(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用しました。)

〔あとがき〕

クリスチャンのウィーク・ポイントは聖書に弱いことです。聖書を知らないで、いくら神学を論じても、キリスト教倫理を説いても、結局、他人をさばき、人をつまずかせるだけです。またクリスチャンが異端に弱いのも聖書を知らないからです。今は耳学問の時代で、知ったかぶりの有名人というのが多い時代です。しかし私たちはじっくりと自分の手で聖書に取り組んで探求したいものです。クリスチャンの中には、聖書をじっくり学ぶことをおっくうがっている人も少なくありません。それで果して天国に行き着くまで信仰を保つことができるでしょうか。ほとんど不可能です。日本にはかつては教会に行っていたが、今は行っていないという人が多いのは、実に聖書を深く学ぼうとしなかったからです。
聖書には多くの宝がかくされています。この宝を掘り起こすのを簡単に考えていてはいけません。途中であきらめてはいけません。時にはあなたの信仰が弱ることがあるでしょう。しかし、やめてはなりません。

もし、文書伝道をしなかったなら信仰は養われ、救いの恵みに与かる人々はどうなるでしょうか。おそらく急速に減少するに違いありません。その証拠に、読者の方々のうちで、信仰を持つ前に、一冊の本も読まなかった人は何人いらっしゃるでしょうか。私はそのような人に今まで一人も会いませんでした。私のお会いしたすべてのクリスチャンが少なくとも数冊の本を読んでおられたのです。ある人は説教で十分と言われるかもしれません。テープがあるではないかと言われるかもしれません。活字ばなれの時代では、本は読んでもらえないと思っておられる方も多いでしょう。しかし現実は今も本をとおして信仰に導かれる方は多いのです。今年も「うれしくて」、「愛の絆によって」どちらか十冊送料共二三五〇円でお分ち致します。日本に福音を満たすため、ぜひご利用下さい。(1986・1・1)