母の愛
私の母は小柄で、四国の田舎で小さな店を営んでいました。
七人の男の子を生みましたが、一人は生後間もなくなくなりました。
先の戦争をはさんで、六人の子どもを育てるのに大変苦労したようです。私が物心ついた頃には、もう戦後でしたが、どこも食料難の時代で、母が食事をしているのを見たことがありません。
子どもたちが食べた後、母は食べていたものと思われます。
その母が、ある日突然、倒れてしまったのです。
過労からきた肋膜炎でした。
父は直ぐに医者を呼んできましたが、医者は父を叱りつけました。
「絶対安静です。動かしたら、死んでしまいますぞ。」
と、きつく言われました。
それまで母は、六人の子どもを育てるために、毎日午前中は一番下の弟をおんぶして、私と下の弟を連れて、村の農家を回って、鶏の卵を買い集めに行っていたのです。
その卵をお店で売って、子どもを育てていたのです。
私の記憶にも、大きな竹で編んだ籠に、卵が一杯盛り上がって、下げていた母の姿が残っています。
小柄な母の手には、とても重かったでしょう。
倒れた母のために、医者が
「シジミを食べさせるといい。」
と言ったので、私たちは毎日シジミ取りに行き、だれかが
「生きたメダカを飲み込ませると元気になる。」
と言ったので、メダカを取りに行きました。
母は六ヶ月間寝たままでしたが、段々元気を取り戻し、また前のように元気になりました。
この時、私は命がけで私たちを育ててくれた母の愛を感じたのです。
しかし母の愛は大きいと言っても、六人の子ども全部になかなか行き渡りません。
母の心も疲れてすりへってしまいます。
息子たちは、大きくなると、親から独立していきました。
私の心の中にはこの世界に本当に変わらない、決して裏切らないものがあるとすれば、母の愛のようなものだと思っていました。
そして私は、25歳の秋のある日、ヨハネの福音書3章16節
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
という聖書のことばに出会ったのです。
私は、このことばの「世」というところに自分の名前を当てはめて、何度も何度も読み返しました。
私の母の愛もすごかった。
しかし、私を愛して、私のために身代わりとなって十字架にかかり、わたしの罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださるイエス・キリストが、 今日から私と一緒に歩んでくださると実感し、その日から今日まで、イエス・キリストは私の救い主となって、助けてくださいました。
苦しいことも沢山ありましたが、助けてくださらなかったことは一度もありません。
そればかりでなく、18歳の青年A君が、心臓の手術をされた時も、イエス様は私を用いて、彼の心に、死に打ち勝つ平安を与えられました。
あなたも、ヨハネ3章16節の「世」のところに、あなた自身のお名前を入れて何度も読み返してみてください。
あなたも母の愛以上の愛を経験されるでしょう。
聖書のことばは、教えや戒めではなく、毎日のご飯と同じで、自分の心で経験して初めて味わうものです。
私たちの教会では、毎週、聖書のことばをお話しています。
みなさんの心にイエス・キリストの愛と光が届きますように、お祈りしています。
ぜひ、お気軽に、ご出席ください。