聖書の探求(341) 列王記第一 6章 神殿建設の着工、主の約束のみことば、至聖所の内容

紀元前10世紀頃のエルサレムの再現模型。一番高いところに第一神殿がある。ダビデの跡を継いだソロモン王は主に従って神殿建設を行い、7年半かけてBC957年頃に完成させた。(エルサレムのBible Lands Museumにて)


6章(歴代誌第二 3章)

6章は神殿建設の着工、7章はその神殿と王の宮殿の完成が記されており、8章はその献堂式のことが記されています。

神殿は、ソロモンの最大の工事でした。その内側の形態は荒野における神の幕屋に精密に基づいていますが、他方、ソロモンの神殿はフェニキヤ人の影響の強い、非イスラエル的外観を持っていました。ソロモンの神殿はへブル人的臭さがなく、しかしヘブル人の神を深く反映している建物でした。これは古代の様式の独特な神殿の建造でありながら、神はイスラエル人の神だけでなく、全世界の神であることを、だれの目にも明らかに分からせるものになっていました。これはフェニキヤ人の技術者たちの協力によって可能になったのですが、神の民のために偉大なみわざを行なわれた神の知恵を十分に表わしています。

「ソロモン王は人をやって、ツロからヒラム(ツロの王ヒラムとは別人)を呼んで来た。彼はナフタリ族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。それでヒラムは青銅の細工物全般に関する知恵と、英知と、知識とに満ちていた。彼はソロモン王のもとにやって来て、そのいっさいの細工を行なった。」(7:13,14)

神殿の大きさは、荒野の神の幕屋の倍になっていました。神殿は大理石と黄金で造られていました。場所は、モリヤの山上、アブラハムが信仰を試され、ダビデが全焼のいけにえをささげて疫病を止めた所です。

「こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現わされた所、すなわちエルサレムのモリヤの山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。」(歴代誌第二 3:1、歴代誌第一 21:28)

莫大な労苦と富と技巧を費やして、想像を絶する聖所が出来上がりました(歴代誌第一 22:14~16、列王記第一 5:13~18)。これはおそらく歴史上、世界最大の建設でした。

Ⅰ列王 5:13 ソロモン王は全イスラエルから役務者を徴用した。役務者は三万人であった。
5:14 ソロモンは彼らを一か月交替で、一万人ずつレバノンに送った。すなわち、一か月はレバノンに、二か月は家にいるようにした。役務長官はアドニラムであった。
5:15 ソロモンには荷役人夫が七万人、山で石を切り出す者が八万人あった。
5:16 そのほか、ソロモンには工事の監督をする者の長が三千三百人あって、工事に携わる者を指揮していた。
5:17 王は、切り石を神殿の礎に据えるために、大きな石、高価な石を切り出すように命じた。
5:18 ソロモンの建築師と、ヒラムの建築師と、ゲバル人たちは石を切り、宮を建てるために木材と石材とを準備した。

バビロン捕囚から帰還後に、再建された神殿は、これに匹敵できるものではありませんでした。

「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。…」(エズラ記3:12)

神殿は東に面して建てられ、基礎から屋根まで、正面は黄金の延板でおおわれていて、朝日が上る時、黄金と大理石がすばらしい輝きを加えて、その光を反映し、そのため反対側にあるオリーブ山に立って見る者は目をおおうほどまぶしかったのです。

ここには神殿の大きさから、資材、設計図、働き場、働く人の精神、礼拝の方式まで記されています。

ソロモンの献堂の祈り(8章)と、これを受け入れられた神のお答え(歴代誌第二 7:1~22)は貴重な教訓を与えてくれます。

6章の分解

1,37,38節、建設に要した期間
2~10節、神殿の寸法とまわりの特徴
11~13節、主の約束のみことば
14~36節、至聖所の内容

1,37,38節、建設に要した期間

Ⅰ列王 6:1 イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは【主】の家の建設に取りかかった。

1節の「イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジフの月、すなわち第二の月に」、この言い方をここに書き記しているのは、神殿建設がイスラエル人にとって、エジプト脱出の出来事と同じくらい重要なこととして意識されていたことを表わしています。ソロモンはBC971年からBC931年まで王位に着いていましたから、ソロモンの即位から四年目、すなわちBC967年に神殿の建築が始まったのです。

また「エジプトの地を出てから四百八十年目」という記録によって、出エジプトの時期を計算するのに役立っています。すなわち、神殿建設の始まったBC967年より480年前、BC1447年頃ということになります。

38節では、神殿建設に七年かかったことが記されていますから、BC960年に神殿は完成しています。

Ⅰ列王 6:37 第四年目のジブの月に、【主】の神殿の礎を据え、
6:38 第十一年目のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった。

1節,37節の「ジブの月、すなわち第二の月」は、今の四月半ばから五月半ば頃で、38節の「ブルの月、すなわち第八の月」は、今の十月半ばから十一月半ば頃です。すなわち神殿建設はBC967年四月半ばから五月半ばに始まり、BC960年十月半ばから十一月半ば頃に完成したのです。

「ジブの月」「ブルの月」という日の呼び名は、捕囚される前に使われていた暦の月の名前で、カナン人が使っていた暦をイスラエル人が受け継いで使っていたものと思われます。バビロン捕囚から帰って来た後は、バビロンの暦の月の名前が使われるようになりました。

2~10節、神殿の寸法とまわりの特徴(歴代誌第二 3:3~9)

Ⅰ列王 6:2 ソロモン王が【主】のために建設した神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった。

神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトでした。キュビトは、成人男子の手の指先から肘までの長さで、約45センチメートルです。これで計算すると、神殿は長さ27メートル、幅9メートル、高さ13.5メートルになります。

3節、本堂の前に付けられていた玄関は、長さが神殿の幅と同じ9メートル、幅は4.5メートルでした。

6:3 神殿の本堂の前につく玄関は、長さが神殿の幅と同じ二十キュビト、幅が神殿の前方に十キュビトであった。

4節、神殿には、明かりとりのための、格子のついた窓が取り付けてありました。

6:4 神殿には格子を取りつけた窓を作った。

5,6節、神殿の壁を梁で支えないようにするために、本堂と内堂の回りに三階建ての階段式の脇間を造り付けていました。

6:5 さらに、神殿の壁の回り、つまり、本堂と内堂の回りの神殿の壁に脇屋を建て増しし、こうして階段式の脇間を造りめぐらした。

8節、二階の脇間に入る入口は神殿の右側にあり、らせん階段で二階、三階へと上るようになっていました。

6:8 二階の脇間に通ずる入口は神殿の右側にあり、らせん階段で、二階に上り、二階から三階に上るようになっていた。

6節、脇屋の幅は、一階が2.25メートル、二階が2.7メートル、三階が3.15メートルでした。こうして神殿の本堂の壁を回りの脇屋で支えて、神殿の内部に梁を使わないようにしたのです。

6:6 脇屋の一階は幅五キュビト、二階は幅六キュビト、三階は幅七キュビトであった。それは、神殿の外側の回りの壁に段を作り、神殿の壁を梁でささえないようにするためであった。

9節、神殿の天井は、杉材のたるきと厚板でおおいました。

6:9 彼は神殿を建て、これを完成するにあたって、神殿の天井を杉材のたるきと厚板でおおった。

7節,10節、神殿の土台となる石は、石切り場で完全に仕上げられた石を用いていたので、工事中、槌や斧やその他、鉄の道具の音はいっさい聞こえず、使用されたレバノン杉も、予め切って仕上げられていたものが使われたのです。神殿の中には騒音はなかったのです。

6:7 神殿は、建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった。
6:10 神殿の側面に脇屋を建てめぐらし、その各階の高さは五キュビトにして、これを杉材で神殿に固着させた。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)

11~13節、主の約束のみことば

Ⅰ列王 6:11 そのとき、ソロモンに次のような【主】のことばがあった。
6:12 「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。
6:13 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」

本書の記者が、この主の約束のみことばを、神殿建設工事の詳細を記す途中に、ここに挿入したことは、この主の約束のみことばを非常に重要に思ったことを表わしています。その内容はダビデがソロモンに訓告した言葉と同じです(2:3,4)。

Ⅰ列王 2:3 あなたの神、【主】の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。
2:4 そうすれば、【主】は私について語られた約束を果たしてくださろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない。』

その要点は二つです。

一つは、この神殿と、王とイスラエルの民の主に対する服従が結びつけられていることです。この神殿は建物の立派さだけでなく、この神殿での礼拝は、ただ儀式を守るだけに終わらず、主のおきてに歩み、主の定めを行ない、主のすべての命令を守ることによって、その忠実さを現わさなければなりません。これがダビデに約束された王国の繁栄と、ダビデの家系の継承を実現することと結びついていたのです。「もし」と付けられているのは、王と民が自発的に積極的に守り行なうことを主が求めておられることを強調しています。万一、これが守られず、主に背くなら、主の御名は汚され、王国は崩壊し、主を礼拝する象徴である神殿を失うことになってしまうのです。

第二は、主がイスラエルの子らのただ中に住むと約束されたことです。「ただ中」はへブル語の「スカカン」で幕屋を意味します。これはモーセの時代に幕屋を建造した時にも同じように約束されています。

「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。」(出エジプト記25:8)

こうして神殿が主にささげられ、主の契約の箱が至聖所に運び入れられた時、主の栄光が主の宮に満ちたのです。「祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。」(8:10,11)

しかし神はイスラエルの民が偶像礼拝を止めなくなった時、エルサレムの滅亡の前に、主の臨在の栄光は去ってしまわれたのです。

神が民の内に住まわれるという約束は、イザヤによって預言されました。

「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」(イザヤ7:14)

この約束はイエス様の受肉降誕によって実現したのです。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタイ1:23)

「ことばは人となって(肉体をとって)私たちの間に住まわれた(幕屋を張ってくださった。)」(ヨハネ1:14)

14~36節、至聖所の内容

Ⅰ列王 6:14 こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成した。

神殿は「主の家」(6:1)とも呼ばれていて、三つの主な部分で造られていました。

第一は、玄関(6:3)で、へブル語ではウラム、「前庭」のことです。

第二は、本堂(6:17)で、へブル語ではヘカル、礼拝堂のことです。

第三は、内堂(6:19)で、へブル語ではデビル、神殿内部の奥のことです。16節では、この内堂を至聖所と呼んでいます。この至聖所はモーセの幕屋の至聖所と同じ意味で造られています。

「その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。至聖所にあるあかしの箱の上に『贖いのふた』を置く。」(出エジプト記26:33,34)

この箇所には玄関のことは述べられていませんが、玄関は、西に面した本堂への入口の外側に付けられた部分でした。そこには二つの青銅で鋳造した柱がありました。右側の柱をヤキン(「彼は設立する」という意味)と名づけ、左側の柱はボアズ(「力をもって」という意味)と名づけられました(7:15~22)。

15~18節の中の本堂については、至聖所について語るために、付随的に記されているだけで、内側の壁が杉の板で張っていたり、床がもみの木の板であったり、内側の杉の板には、ひょうたんや花模様が浮き彫りにされていたという内容のことが記されているだけです。

Ⅰ列王 6:15 彼は神殿の内側の壁を杉の板で張り、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側を板で張った。なお神殿の床はもみの木の板で張った。
6:16 ついで、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで、杉の板で張った。このようにして、彼は神殿に内堂、すなわち、至聖所を造り上げた。
6:17 神殿、すなわち、前面の本堂の長さは四十キュビトであった。
6:18 神殿内部の杉の板には、ひょうたん模様と花模様が浮き彫りにされており、全部、杉の板で、石は見えなかった。

19~28節は、特に神殿内部の奥の内堂、即ち至聖所について記しています。ここに主の臨在を象徴する契約の箱が置かれていました。

Ⅰ列王 6:19 それから、彼は神殿内部の奥に内堂を設け、そこに【主】の契約の箱を置くことにした。

20節、内堂の内部は、長さも、幅も、高さもすべて二十キュビト(約9メートル)で、立方体の部屋になっていました。この内側はすべて金でおおわれ、杉材の祭壇もすべて金でおおわれていました。すべて金でおおっていたのは、神の神性を表わしていたものと思われます。内堂の前には金の鎖が渡されていました。

6:20 内堂の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金をこれに着せた。さらに杉材の祭壇にも純金を着せた。
6:21 ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内堂の前に金の鎖を渡し、これを金でおおった。
6:22 神殿全体を、隅々まで金で張り、内堂にある祭壇もすっかり金をかぶせた。

23~28節、内堂には、二つの大きなオリーブ材のケルビム(天使を形造った彫刻)を作りました。その高さは十キュビト(約4.5メートル)で、翼は片方が五キュビトずつで、両方で十キュビトになります。同じ寸法のケルビムを二つ作り、金をかぶせて、二つのケルビムの翼が至聖所の中の真中で触れ合うように置かれました。

Ⅰ列王 6:23 内堂の中に二つのオリーブ材のケルビムを作った。その高さは十キュビトであった。
6:24 そのケルブの一方の翼は五キュビト、もう一方の翼も五キュビト。一方の翼の端からもう一方の翼の端まで十キュビトあった。
6:25 他のケルブも十キュビトあり、両方のケルビムは全く同じ寸法、同じ形であった。
6:26 一方のケルブは高さ十キュビト、他方のケルブも同じであった。
6:27 そのケルビムは奥の神殿の中に置かれた。ケルビムの翼は広がって、一つのケルブの翼は一方の壁に届き、もう一つのケルブの翼はもう一方の壁に届き、また彼らの翼は神殿の真ん中に届いて翼と翼が触れ合っていた。
6:28 彼はこのケルビムに金をかぶせた。

29~36節、神殿の周囲の壁にも、とびらにも、ケルビムやなつめやしの木、花模様の彫り物をし、床にも金を張っています。これは最高のものだけが、神の御名のとどまる所にはふさわしいことを印象づけています。

Ⅰ列王 6:29 神殿の周囲の壁には、すべて、奥の間も外の間も、ケルビムの彫刻、なつめやしの木と花模様の彫り物を彫った。
6:30 神殿の床には、奥の間も外の間も、金をかぶせた。
6:31 彼は内堂の入口を、オリーブ材のとびらと五角形の戸口の柱で作った。
6:32 二つのオリーブ材のとびらである。彼はその上に、ケルビムの彫刻と、なつめやしの木と花模様を彫り、金をかぶせた。ケルビムと、なつめやしの木の上に金を延ばしつけたのである。
6:33 同じように、本堂の入口にも四角形のオリーブ材の戸口の柱を作った。
6:34 もみの木の二つのとびらである。一方のとびらの二枚の戸は折りたたみ戸、片方のとびらの二枚の戸も折りたたみ戸であった。
6:35 彼はケルビムと、なつめやしの木と花模様を彫りつけ、その彫り物の上に、ぴったりと金を張りつけた。
6:36 それから、彼は、切り石三段、杉角材一段の仕切りで内庭を造った。

37,38節、この工事は、ソロモンがイスラエルの王となってから4年目のジブの月、即ち第二の月(6:1)に、主の神殿の礎を据え、第11年目のブルの月、即ち第八の月に、すべてが完成しました。この工事は7年かかって完了したのです。

Ⅰ列王 6:37 第四年目のジブの月に、【主】の神殿の礎を据え、
6:38 第十一年目のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった。


この神殿は「第一神殿」と呼ばれており、ある考古学者は次のような想像図を描いています。(「図説聖書の大地(ロ バータ・L・ハリス著)」より)


聖書は、ソロモンの神殿について、かなり多くのことを詳細に記していますが、その中にイスラエル人ではない人々の助けを得て建てられたことを記しています。

メギド、シェケム、ベテル、デビル、ビブロスの北のラス・シャムラや、その他のパレスチナの内外で、カナン人の神殿が発見されていますが、それらの建築のある部分がソロモンの神殿に採り入れられていることは明らかです。明かり取りのための脇屋の上の窓をつけたこと、杉材による内装、ケルビムやひょうたん、花模様などの彫刻した装飾、切り石や杉角材の仕切り(6:36、7:12)などは、ソロモンの神殿に見られるフェニキヤ人的な特徴です。

また紀元前8世紀か、9世紀の初期のものと思われるシリヤのテル・タイナット(古代ハッチナ)で発見された宮殿と神殿の集合体は、ソロモンの神殿の床の造りと、ほとんど同じになっています。その神殿は、円柱で部分的に囲まれている玄関と、より大きく囲まれている本堂と、至聖所に当たる部分としての小さな部屋になっています。ここはシリヤ王の神の像のための小さい寝室とされています。

あとがき

私は、聖書の知識を詳しく教え(今でもそうしていますが)、信仰を教えていけば、みんな神様に仕える聖徒になっていくと思っていましたが、そうとは限りません。
それは「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(コリント第一 8:1)です。
最初、知らなかった時は、聖書の知識を聞くと目を輝かせ、新鮮な驚きを現わしますが、やがて知識が増えてくると、自分を教師と見なすようになり、自分の知恵で解釈したり、教えたりするようになり、誰が一番偉いかと争うようになります。
「愛は結びの帯」(コロサイ3:14)です。神の愛が心にないと、すぐれた知識も人を高慢にさせてしまいます。これによって「愛によって働く信仰だけが大事なのです。」(ガラテヤ5:6)を学んだのです。

(まなべあきら 2012.8.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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