週報No.2443 詩篇(137)詩篇51篇3~7節「私をきよめてください(2)」

2024年5月5日(日) 午前10時半

頌  栄   私たちはほめたたえる       2番
讃  美   あせらずあわてずあきらめずに  941番
使徒信条
讃  美   三つのバランス         942番
聖書交読   イザヤ書2章12~22節
主の祈り
賛  美   イエス・キリストの恵みは    943番
聖書朗読   詩篇51篇3~7節
メッセージ  詩篇(137)         眞部明牧師
「私をきよめてください(2)」
讃  美   イエス様の十字架負い行く道は  946番
頌 栄   栄光あれや   3番

詩篇51篇1~7節
< 51 > 指揮者のために。ダビデの賛歌。ダビデがバテ・シェバのもとに通ったのちに、預言者ナタンが彼のもとに来たとき
51:1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。
51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。
51:3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。
51:4 私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。
51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。
51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>「私をきよめてください(2)」(一部分)

2節前半「全く洗い去り」

これはユダヤ人の間で行なわれていた「叩き落とす」洗い方、「そぎ落とす」洗い方のことです。これは、2節後半の「私の罪から、私をきよめてください」を意味しています。

7節の「ヒソプ」は、いけにえの血を注いで、罪をきよめる儀式に用いられた草の一種です。これはキリストの血を意味しています。

私の内には、神の栄光を現わさない、神の御国を前進させない、自分中心の計画や望みがあります。イエス様が私の内に入って来られる時、これらの恵みを私と共有できません。これらのものを全部取り去らなければ、救い主イエス様は、私の内で自由に働けないのです。私の内には、利己心と世俗主義があり、高慢と妬みがあったのです。このような性質が私の内を支配している限り、救い主イエス様は、私の内で、自由に生きて働くことができないのです。

外見上は、きよい透明な、いのちの水の流れのように見えていても、その中に自分中心の心の状態が残っていれば、救い主は、私のたましいを占領し、満たすことができないのです。

私の内に、全き信仰が欠けているからです。
道が険しく、困難な時も、全く主に拠り頼むことをせず、自分の知恵と力に頼っていたのです。私が主イエスに全く拠り頼んでいないのに、救い主は私を助けることができるでしょうか。私が全く主を愛していないのに、イエス様は、私の友、いのちのパートナーとなることができたでしょうか。

私たちには、普段、ガラスのように自分の目に見えていない、自分で気づいていない障害物となっているものがあります。それは神に服従しようとしない肉の性質です。

「というのは、肉の思いは神に反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。」(ローマ8:7)

私たちは、主のあわれみと助けを受けて、自分でも気づいていないかもしれない、主に対して頑固になっている内なる心の戸を開こうではありませんか。そして、主が私の内に入って来られて、私とともに住み、みわざを行なって下さるように、祈ろうではありませんか。

5、6節では、ダビデの心に焼き付けられている事実を、二つ示しています。
一つは、自分が罪人として生まれて来た事実です。

5節「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。」

創世記3章の人間の堕落の記事を、どのように解釈しようとも、今日、全ての人が罪を犯しているという事実は、聖書が示していることと一致していることを、認めざるを得ません。

人間が最初に罪を犯した時があったこと。
その時以来、人間の全存在が遺伝的に罪を受け継いで来ていること。人間は、生まれた時に本質的に罪の性質を受け継いでいることです。

その結果、全ての人は、死の運命を背負っているのです。

全ての人間が、例外なく、これらの事実を背負っていることは、聖書の記録と全て一致するところであり、全ての人が信じなければならない事実です。そして、これらは、信仰者、不信仰者に関わらず、日々に経験しているところです。

教会に来ていた小さい女の子が、母親に尋ねました。「どうして私の中に、意地悪や、悪いことをするのが好きな心があるの?」

この少女の告白は、誰の心にもキリストの福音が必要であることを示しています。全ての人は、その罪の故に、キリストの十字架の救いが必要なのです。

もう一つは、神が、自分の心の中に真実(即ち、神に喜ばれる霊)を持つことを望んでおられる事実です。

6節「ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。」

6~8節では、ダビデのたましいの渇きは、強く聖潔に向けられています。

第一に、1節のいつくしみとあわれみによって、6節の「私の心の奥に」真実と神の知恵を求めておられます。心の奥に神のご真実な性質と神の知恵である主イエス・キリスト(Ⅰコリント1:30)が、与えられることによって、私たちのたましいは、神から離れないように守られます。

第二に、2節の「私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。」という切実な求めは、7節の「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」という確信へと変わっています。……

<今週の活用聖句>

詩篇51篇10節
「神よ。私にきよい心を造り、 ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」

<集会案内>

◇5月8日(水)聖別会(193)
聖潔の必要性(1)「絶対に必要な聖潔」

地の塩港南キリスト教会
〒233-0022 横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421
牧師 真部 明

**************************************************

【メッセージCDの販売】

メッセージCDは、一回分CD1枚500円+送料で販売しています。
(送料1~3枚180円、4~9枚370円、10枚以上送料無料)

【礼拝メッセージ CD・テープのホットサービスのご案内】

毎週、日曜日の礼拝メッセージをお送りしています。全国どこでも、火曜日か、水曜日には、お手元に届きます。一年間ご予約下さると幸いです。
1年間ご予約(60分CD、52~53回分)36,000円(送料含む)
1ケ月毎の分割(1ケ月3,000円4~5回分)もできます。

いずれも代金前納で、お申し込み下さい。
お支払いは、郵便振替をご利用ください。
口座番号 00250一1-14559
加入者名 宗教法人 地の塩港南キリスト教会
電話・FAX 045(844)8421
メール:chinosiokonan@gmail.com