週報No.2488 詩篇(179)詩篇66篇13~20節「感謝の礼拝」

2025年3月9日(日) 午前10時半

頌  栄   私たちはほめたたえる       2番
讃  美   きょうまで守られ        854番
使徒信条
讃  美   暗く望みなき          856番
聖書交読   イザヤ書26章15~21節
主の祈り
讃  美   心にある主のみことば      902番
聖書朗読   詩篇66篇13~20節
メッセージ  詩篇(179)         眞部明牧師
「感謝の礼拝」
讃  美   主イエスのために生きてるか   924番
頌  栄   みたまの交わり          4番

詩篇66篇8~12節
66:8 国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神への賛美の声を聞こえさせよ。
66:9 神は、私たちを、いのちのうちに保ち、私たちの足をよろけさせない。
66:10 神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。
66:11 あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷をつけられました。
66:12 あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

16~20節、第二の側面

作者が神に代わって、神を畏れている全ての者に語りかけています。その主旨は、「清い心と善い良心をもって、あふれる賛美を神にささげることです。」

16飾後半「神が私のたましいになさったことを語ろう。」

作者は、アッシリヤからの救いだけでなく、自分のたましいになされた、神の救いのみわざを証ししています。

17節「私は、この口で神に呼ばわり、この舌であがめた。」

作者は、神に訴え続けて来て、祈りは今までずっと聞かれ続けて来た。答えられてきました。これからも、答えられるという、確信を持っています。

作者は、これまで、訴えの祈りをささげていましたが、いつしか、神をほめたたえる賛美に変わっていました。

18節「もしも私の心に抱く不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」

これは、主が祈りを聞いてくださらない理由を語っていますが、これは論理をひっくり返せば、主が祈りを聞き入れてくださる秘訣を、明らかにしておられます。

それは、心の内に、不義、不信仰を抱いていないことです。
たくらんでいないこと、
思いに裏表がないこと、
二心ではないことです。
神に対して、まっすぐな心、
主と同じ心になっている心は、きよい心です。


きよい心、主を愛し、主に信頼する心は、いつまでも、神とお会いする基本的条件です。
それは、聖書の中に、繰り返し述べられています。

「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」(詩篇51:10)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたはそれをさげすまれません。」(詩篇51:17)

「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が、御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ書59:1~2)

「こころのきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」(マタイ5:8)

「神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行なうなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。」(ヨハネ9:31)

「全ての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(へブル12:14)


19飾「しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。」

作者は、いつも、神に祈りを聞き入れていただいた経験をしていました。それは作者が、いつも神の前に出て、罪を解決していただいており、神への信頼と服従を更新していたからです。

祈りは、大声をあげて、熱狂的に祈れば、開かれるものではなく、神と私との間を隔てている罪を取り除けば、祈りは聞かれます。神は真実ですから、必ず、約束を成し遂げてくださいます。しかし、私たちの祈りは、神が答えて下さったのが不思議なくらい、お粗末ではないでしょうか。

ある人の祈りは、パリサイ人の祈りのように、自分の信仰が他の人より熱心で、神に答えられる価値があると、思っています。しかし、主が喜ばれる祈りは、砕かれた悔いた心の祈りです。……

私の祈りは、苦難が来ると、恵みの御座に駆けつけて、ひたすら祈りますが、苦難が去ると、恵みの御座で祈ることも忘れてしまいます。それでも主は、私たちを祝福することを、止めません。私が恵みの御座に行かなくなっても、神はずっとそこで待っていて下さるのです。そして、私たちの祈りに答えて下さっているのです。

パウロは、「絶えず祈りなさい。」(Ⅰテサロニケ5:17)と言いましたが、私たちは、このあわれみ深い神を心に持って、どんな時でも、御霊によって祈りましょう。

20節「ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。」

20節は、19節の祈りの確信より、更に強い確信を示しています。…

…作者は、主に賛美をささげずにはいられなかったのです。……

<今週の活用聖句>

詩篇66篇20節
「ほむべきかな。神。
神は、私の祈りを退けず、
御恵みを私から取り去られなかった。」

<集会案内>

◇3月12日(水)聖別会(215)午前10:30
聖潔を求める人へのメッセージ(3)
クリスチャンの普遍的義務(聖霊に満たされること)

地の塩港南キリスト教会
〒233-0022 横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421
牧師 眞部 明

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