聖書の探求(307) サムエル記第一 31章 サウルの悲惨な死と埋葬の記録

フランスの画家James Tissot (1836–1902)による「Saul Falls Upon His Sword(サウルは自分の剣の上にうつぶせに倒れる)」(New YorkのJewish Museum蔵)


この章は、サウルのペリシテ人との最後の戦いを記しており、サウルの悲惨な死と埋葬の記録です。この章の記録は、全くそのままの言葉で、歴代誌第一 10章1~12節に繰り返されています。歴代誌第一では、ダビデ王国とユダの歴代の王の列伝を記すためのつなぎの部分としてサウルの最後の記録をそのまま挿入したものと思われます。

サムエル記第一のほうでは、29~30章でダビデとアキシュとの関係を記し、ツィケラグを襲ったアマレクを撃つダビデの記録を記すために、28章1節で始まったサウルとペリシテとの戦いの記録を中断させていました。

ダビデは神の摂理によって、ペリシテとイスラエルとの戦いに加わりませんでした。そしてサウルはペリシテ人の手によって倒されたのです。ダビデは26章10節で、こう言っていました。

「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。」

サウルは後者によって滅んだのです。「主は生きておられる。」とは、ダビデのように従順に、忠実に従っている者には、恵みと祝福を、しかし、サウルのように自分の知恵と考えに従い、心を頑なにして不従順になり、後悔をしても、主に立ち返らず、他の人と争う態度を取り続ける者には滅びを下されることを意味しています。

ダビデは自分に敵意を抱き、命を狙って止めないサウルの運命を神の御手に委ねたのです。そこにダビデの信仰があり、実に神は生きておられて、ダビデの信仰の如くに導かれたのです。

「あなたの信じたとおりになるように。」(マタイ8:13)

こうしてダビデは三〇才で全イスラエルの王となります(サムエル記第二 5:4)。

ヨセフも三〇才でエジプトの王パロに仕える宰相となっています(創世記41:46)。

イエス・キリストも三〇才で公生涯に入られています(ルカ3:23)。

この意味でも、ダビデも、ヨセフも、イエス・キリストを予表する人物と言うことができるでしょう。

31章の分解

1~6節、サウルとその子らの死
7~13節、ヤベシュ・ギルアデ人、死体を取り戻す

1~6節、サウルとその子らの死

1節、「ペリシテ人はイスラエルと戦った。」ペリシテ人のほうが攻めたように記されています。

Ⅰサム 31:1 ペリシテ人はイスラエルと戦った。そのとき、イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺し殺されて倒れた。

戦いは28章19節で、「主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」とサムエルが予告した通りに、イスラエルは完全に敗北しました。ギルボア山は悲劇の山となってしまったのです。

2節、ペリシテ人は特に、サウル王とその息子たちを滅ぼそうと、追い迫っています。そしてサウルの三人の息子、あのヨナタンとアビナダブ、マルキ・シュアは殺されてしまいました。

Ⅰサム 31:2 ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。

3節、サウル王は、ペリシテの射手たちの集中攻撃を受けて、重傷を負いました。

Ⅰサム 31:3 攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った。

4節、サウルは、もしペリシテ人が自分を生きたまま捕えたら、自分を拷問にかけ、サムソンの時のように目をくじり出すか、不自由な身にして、なぶり者にすると恐れたのです。あるいは、「あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺す」ことを恐れたのです。

Ⅰサム 31:4 サウルは、道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。

「あの割礼を受けていない者ども」は、ヘブル人が周りの異教の国々の人々に対して抱いている嫌悪感や侮辱感を表わしています。サウルは異教の人々に殺されたり、なぶり者にされることが耐えられない侮辱に感じたのです。

それでサウルは自分の道具持ちに、「おまえの剣を持って、それで私を刺し殺してくれ。」と頼んだのですが、道具持ちは非常に恐れて、できなかったのです。それで、サウルは自分で剣を取り、それを地面に固定して、その剣先の上にうつぶせに倒れて、自殺の死を遂げたのです。

5節、それを見ていた道具持ちも、サウルと同じようにして自分の剣の上にうつぶせに倒れて、サウルの後を追って、サウルのそばで死んだのです。

Ⅰサム 31:5 道具持ちも、サウルの死んだのを見届けると、自分の剣の上にうつぶせに倒れて、サウルのそばで死んだ。

6節は、イスラエル軍の重要な指揮者たちがみな死んでしまったことを記しています。

Ⅰサム 31:6 こうしてその日、サウルと彼の三人の息子、道具持ち、それにサウルの部下たちはみな、共に死んだ。

サウルもサウルの息子たちも、サウルの部下たちも、共に死んでしまいました。こうしてイスラエルは完全に敗北してしまったのです。

7~13節、ヤベシュ・ギルアデ人、死体を取り戻す

7節、サウルとは別行動をしていた、谷の向こう側とヨルダン川の向こう側にいたイスラエルの兵士たちは、サウル王とその息子たちが殺されたことを知った時、彼らは自分たちの町々を捨てて、荒野に逃げ去っています。

Ⅰサム 31:7 谷の向こう側とヨルダン川の向こう側にいたイスラエルの人々は、イスラエルの兵士たちが逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見て、町々を捨てて逃げ去った。それでペリシテ人がやって来て、そこに住んだ。

指揮者を失った軍隊は蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったのです。無防備の町となった所にはペリシテ人が侵入して来て、そこを占領し、そこに住んだのです。

8節、戦いの翌日、ペリシテ人は殺したイスラエルの兵士から武具や価値あるものをはぎ取ろうとして来た時、サウルと三人の息子の死体を見つけたのです。

Ⅰサム 31:8 翌日、ペリシテ人がその殺した者たちからはぎ取ろうとしてやって来たとき、サウルとその三人の息子がギルボア山で倒れているのを見つけた。

9節、彼らは勝利の証拠として、サウルの首を切り取り、武具をはぎ取って、勝利の報告をペリシテ人の全地に人を送り、彼らの偶像のアシュタロテの宮と民とに告げ知らせています。

Ⅰサム 31:9 彼らはサウルの首を切り、その武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地にあまねく人を送って、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。

アシュタロテの神殿はベテ・シャンの町の近くにあり、サウルの武具は偶像の宮に奉納されています。神への不服従は偶像の民を喜ばせ、偶像宗教を盛んにするのです。サウルの死体はベテ・シャンの町の城壁にさらしものにされています。

異教の民が神の民を嘲笑うのは、神の民が不従順であり、互いに争ったり、批判したりしていることも、大いに関係しています。

このアシュタロテの神殿であることを疑うことができない遺跡が、1921年から1933年の間にフィッシャー、アラン、ロウ、そしてフィッツジェラルドによって発掘されています。

11~13節は、このイスラエルの悲しい出来事の締め括りに、ヤベシュ・ギルアデの人々の勇気ある行動を記録しています。

Ⅰサム 31:11 ヤベシュ・ギルアデの住民が、ペリシテ人のサウルに対するしうちを聞いたとき、
31:12 勇士たちはみな、立ち上がり、夜通し歩いて行って、サウルの死体と、その息子たちの死体とをベテ・シャンの城壁から取りはずし、これをヤベシュに運んで、そこで焼いた。
31:13 それから、その骨を取って、ヤベシュにある柳の木の下に葬り、七日間、断食した。

ヤベシュ・ギルアデはアモン人ナハシュが攻めて来た時、サウルが救い出してくれた町でした(11章)。それはサウルがまだ主に忠実に従っていた、彼の治世のごく初期のことでした。ヤベシュ・ギルアデの人々はそのことを忘れていなかったのです。受けた恵みをすぐに忘れて、反抗する人が多い中で、たといサウルが主に捨てられ、悲しい最期を遂げたとしても、彼らは受けた恩を忘れていなかったのです。恵みと助けは神が与えてくださるのであって、人が与えてくださるのではないから、主にだけ感謝していればいい、人の恩など考えなくていいと思う人はいます。しかしそのような態度は、高慢で自分にわざわいを招きます。神が人を用いて恵みと助けを与えられるのですから、その人に反抗することは、その人を用いられた神をも敵にすることになります。それ故、ダビデは決してサウルに反抗しなかったし、ヤベシュ・ギルアデの人々もサウルの死を悲しみ、その恩を忘れず、サウルの死を聞いたその夜、ベテ・シャンを急襲し、サウルと三人の息子の死体をベテ・シャンの城壁から取り戻して、ヤベシュに運んで火葬しています。

その遺骨は、ヤベシュの柳の木の下に埋葬しました。後にダビデは、その骨をベニヤミンの地に移し、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に埋葬しています(サムエル記第二 21:12~14)。

フランスの画家Gustave Doré (1832–1883)による「Doré’s English Bible」の挿絵より、「Jabesh-Gileadites Recover the Bodies of Saul and His Sons(ヤベシュ・ギルアデの住民はサウルとその息子たちの体を取り戻す)」(New YorkのJewish Museum蔵))

(まなべあきら 2009.10.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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