愛されたい
私の父は 72 才で亡くなりました。
その半年前、私は久しぶりに会って
「何か欲しいものはあるの?」と尋ねました。すると、 父は
「愛が欲しい」と言いました。
「愛されたい」のは若者だけではありません。
先日、自分の両親と姉を殺した28才の青年のニュースを聞いて、 私はショックを受けました。
愛し合うはずの家族に、なぜ、こんなことが起きるのか。
その子が生まれた時、両親は大喜びしたはずだし、その子を愛して必死に育てたに違いありません。
しかしその子は、親の努力を愛とは感じていなかったのです。
現代は、物は豊かですが、自分が愛されていることが実感できないのです。
表面は幸せそうですが、心は孤独です。
そして自分の無力さが見せつけられる時、だれでも希望を持ち続けることが出来なくなります。
そんな自分でも、ありのままで愛してくれる神はいないのでしょうか。
もし、そんな神を見つけることが出来たなら、生きる希望がわいてきます。
心に愛を感じて、社会の冷たい目を乗り越えて、幸せを味わうことができます。
聖書に、
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 ・・しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」 (ローマ 5:6、8)
とあります。
この聖書のことばには、今のありのままのあなたを愛して、十字架にかかってくださったキリストがおられると言っています。
この言葉の中に、あなたを愛しておられるキリストの愛を感じませんか。
心を開いてくださるなら、キリストの愛はあなたの心の中にすぐに飛び込んでくるでしょう。
そしてきっと、これまで経験したことのない神の愛を味わうことでしょう。
そのために少しの勇気を出して、
「この私を、ありのままで受け入れてください。」
とキリストに祈ってください。
私たちの教会では、聖書のお話をしています。
ぜひ、ご一緒にイエス様を信じて歩みませんか。
心よりお待ちしています。