週報No.2197 涙の預言エレミヤ書(104)「預言の確かさ」エレミヤ書46:13~28

2019年9月1日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書46:13~28
46:13 バビロンの王ネブカデレザルが来て、エジプトの国を打つことについて、【主】が預言者エレミヤに語られたみことば。
46:14 エジプトで告げ、ミグドルで聞かせ、ノフとタフパヌヘスで聞かせて言え。「立ち上がって備えをせよ。剣があなたの回りを食い尽くしたからだ。
46:15 なぜ、あなたの雄牛は押し流されたのか。立たなかったのか。【主】が彼を追い払われたからだ。
46:16 多くの者がつまずき、倒れた。彼らは互いに言った。『さあ、私たちの民のところ、生まれ故郷に帰ろう。あのしいたげる者の剣を避けて。』
46:17 彼らは、そこで叫んだ。エジプトの王パロは、時期を逸して騒ぐ者。
46:18 わたしは生きている。──その名を万軍の【主】という王の御告げ──彼は山々の中のタボルのように、海のほとりのカルメルのように、必ず来る。
46:19 エジプトに住む娘よ。捕虜になる身支度をせよ。ノフは荒れ果て、廃墟となって住む人もなくなるからだ。
46:20 エジプトはかわいい雌の子牛。北からあぶが襲って来る。
46:21 その中にいた傭兵も、肥えた子牛のようだった。彼らもまた、背を向けて共に逃げ、立ち止まろうともしなかった。彼らの滅びの日、刑罰の時が、彼らの上に来たからだ。
46:22 彼女の声は蛇のように消え去る。彼らは軍勢を率いて来る。きこりのように、斧を持って入って来る。
46:23 彼らはその森を切り倒す。──【主】の御告げ──それは測り知られず、いなごより多くて数えることができないからだ。
46:24 娘エジプトは、はずかしめられ、北の民の手に渡された。」
46:25 イスラエルの神、万軍の【主】は、仰せられる。「見よ。わたしは、ノのアモンと、パロとエジプト、その神々と王たち、パロと彼に拠り頼む者たちとを罰する。
46:26 わたしは彼らを、そのいのちをねらっている者たちの手、すなわちバビロンの王ネブカデレザルの手とその家来たちの手に渡す。その後、エジプトは、昔の日のように人が住むようになる。──【主】の御告げ──
46:27 わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。イスラエルよ。おののくな。見よ。わたしが、あなたを遠くから、あなたの子孫を捕囚の地から、救うからだ。ヤコブは帰って来て、平穏に安らかに生き、おびえさせる者はだれもいない。
46:28 わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。──【主】の御告げ──わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは、あなたを追いやった先のすべての国々を滅ぼし尽くすからだ。わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。公義によって、あなたを懲らしめ、あなたを罰せずにおくことは決してないが。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 このエジプトに関する預言から、私たちが活用すべき信仰は二つあるでしょう。

 第一は、いつの時代でも、どんな状況でも、その歴史を刻む出来事の上に、神のみ手が置かれていることです。パロ・ネコが神のご計画を妨げようとしてバビロン軍と戦い、敗北することによって、神が神に敵対する者と戦っておられることを、世界に知らしめたのです。

 第二は、状況が最も暗い時でも、神はご自分のしもべや忠実なご自分の民の上に、信仰と希望と愛の御手を置いて下さっているのを知ることです。

 バビロン捕囚民の内には、バビロンから解放してくれる者は、エジプトより他にないと思っていた人も多かったでしょう。彼らにとって、エジプト軍がバビロンによって壊滅状態にされたことは、捕囚からの解放の道が完全に断たれたと絶望したに違いありません。

 しかし主は、「わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。イスラエルよ。おののくな。見よ。わたしが、あなたを遠くから、あなたの子孫を捕囚の地から、救うからだ。ヤコブは帰って来て、平穏に安らかに生き、おびえさせる者はだれもいない。」(エレミヤ書48:27)

 主の救いは、エジプトによってではなく、ペルシャの王クロスによって、実現されたのです。「ペルシャの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシャの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出
し、文書にして言った。」(エズラ記1:1)

 主のみわざは、私の考える方法によってではなく、神の隠された御手から来るのです。

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121:1~2)

 預言者エレミヤは、この神の御手を受けて、最暗黒の時代に、苦しみつつ、神のみことばの奉仕を成し遂げたのです。

 前回は、三つのバランスから「ハマルティア(罪)」の経験についてお話ししました。
今日は、「永遠のいのち」を経験しているか、お尋ねします。あなたは今、永遠のいのちを持っていますか。

 こういう質問を受けると、「永遠のいのちとは何か。」という知識としての概念を考えて、「持っています。」と答えるでしょう。

 しかし、福音書に出てくる百人隊長やザアカイや、美しの門で主イエスを信じた人たちは、「永遠のいのち」のことばの意味を理解していたのではなく、「永遠のいのち」を持って、飛び跳ねて、喜び、賛美していたのです。

 主イエスは、永遠のいのちを何だと言っていますか。

「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:3)

 この「イエス・キリストを知ること」とは、知的概念のことではなく、自分のたましいの内にキリストのご人格を宿す経験をすることです。

 「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14)

 「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。…」ヨハネ7:38~89)

 これで、永遠のいのちが、御霊であることがはっきりしました。

 「私の肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちをもっています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」(ヨハネ6:54)

 この永遠のいのちは、私のたましいを活気づけます。他の人に霊的影響力を与えます。朽ちる私をよみがえらせます。復活のいのちです(ローマ8:11)。

 この永遠のいのちが、私のたましいにキリストの平安となったり、キリストの愛になったり、ある時は光に、ある時は励まし、力、謙遜となって経験しているのです。

 主イエスを信じる人は、永遠のいのちを、何重にも姿を変えて経験しているのです。

<今週の活用聖句>

テモテへの手紙第一、6章12節
「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっばな告白をしました。」

<集会案内>

◇9月4日(水)聖別会、午前10時半
 「福音的追求(7)」

※9月より、毎聖日礼拝後、30分くらい、「志道者会」を開きます。
当分の間、牧師が当ります。目的は、本教会に出席して、救い、聖潔(きよめ)の信仰の確信を持ちたい人の徳を助けるためです。信仰の基本、活用の仕方、を一緒に学びます。 参加は自由ですが、本教会で信仰を確立されたい方は、ぜひご参加下さい。皆さんが、他の人を導くことのできる個人伝道者になることを目指しましょう。

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421