週報No.2198 涙の預言エレミヤ書(105)「宿敵ペリシテの滅亡」エレミヤ書47:1~7

2019年9月8日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書47:1~7
47:1 パロがまだガザを打たないうちに、ペリシテ人について、預言者エレミヤにあった【主】のことば。
47:2 【主】はこう仰せられる。「見よ。北から水が上って来て、あふれる流れとなり、地と、それに満ちるもの、町とその住民とにあふれかかる。人々は泣き叫び、地の住民はみな泣きわめく。
47:3 荒馬のひづめの音、戦車の響き、車輪の騒音のため、父たちは気力を失って、子らを顧みない。
47:4 すべてのペリシテ人を破滅させる日が来たからだ。その日には、ツロとシドンを、生き残って助ける者もみな、断ち滅ぼされる。【主】が、カフトルの島に残っているペリシテ人も破滅させるからだ。
47:5 ガザは頭をそられ、アシュケロンは滅びうせた。アナク人の残りの者よ。いつまで、あなたは身を傷つけるのか。」
47:6 「ああ。【主】の剣よ。いつまで、おまえは休まないのか。さやに納まり、静かに休め。」
47:7 どうして、おまえは休めよう。【主】が剣に命じられたのだ。アシュケロンとその海岸──そこに剣を向けられたのだ。【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 バビロンの下す審判のあまりの厳しさに、預言者エレミヤでさえ、「ああ。主の剣よ。いつまで、おまえは休まないのか。」と、主の剣がさやに納まることを、願ったほどです。

 「どうして、おまえは休めよう。主が剣に命じられたのだ。アシュケロンとその海岸-そこに剣を向けられたのだ。」(エレミヤ書47:7)主がお怒りになって、剣に命じておられる間、即ち、主がバビロンの王ネプカデネザルに、さばきを命じておられる間、主の剣は休むことができません。神のさばきのご計画も、みわざが成し遂げられて、終わるまでは、休むことはありません。

 霊的な意味で、主のみことばの剣は、今日も休むことなく、振るわれています。

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判断することができます。」(ヘプル4:12)

 主のみことばの剣は、私の内に執拗に残っている罪の性質を取り除くために、働いているのです。私の内に罪の根が残っている限り、どうして主の剣は静かに休むことができるでしょうか。

 最後の大審判の時まで、神のみことばの剣はみわざを成し遂げ続けるのです。

 この預言では、何故、この恐ろしい破滅が、ペリシテとその同盟国に及んだかは、語られていません。しかしそれは、これまで神の民イスラエルに敵対し、神に敵対して来たことと、彼らの偶像礼拝によるためであることは明らかです。

 それ故、ノアの時代から洪水と剣は神のさばきの象徴なのです。ペリシテも、ユダと同様に、神の義を失っており、神の刑罰を受けなければならなかったのです。エレミヤは、エレミヤ書の終わりに近づくに連れて、神に反逆していた諸外国も、刑罰を免れなかったことを事細かに語っているのは、今日の私たちへの警告となっているのです。

 今日は、最後に、神の愛についてお話します。

 あなたは、神の愛を持っていますか。あなたは、神に愛されていますかと尋ねると、「はい、愛されています。」と答える人か多いのです。「愛は、受けるもの」「もらうもの」と思っている人が多いようです。

 しかし聖書は、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)

 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリネトが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8)

 日本語の聖書には、フィレオーとアガペーが「愛」と訳されています。フィレオーは、生まれながらに持っている、人間的愛です。親子の愛も、家族の愛も、友情も、これに当たります。フィレオーには、生まれながらの自分中心の性質が働いています。

 聖霊を受ける前のペテロは、命がけでイエス様に従っていましたが、全部、フィレオーの熱心で従っていたのです。でずから、「しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。『下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」(マタイ16:23)

 人の情愛的熱心で行なったことは、主に喜ばれません。神のみわざを成し遂げません。神の栄光を現わしません。

 ヨハネ21:15~19で、主イエスは、三回主を否定したペテロに、アガペーの愛で「あなたはわたしを愛しますか。」と、三回尋ねました。これに対して、ペテロは全て、フィレオーで答えています。これはペテロのたましいの内に、神の愛、アガペーを持っていなかったことを示しています。「神の愛アガペーは、人は生まれながらにはだれも持っていません。

 「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)

 ペテロも使徒2章のペンテコステで、聖霊を受けることによって、アガペーを持ったのです。

 アガペーは、「私たちのたましいの原動力ですから、毎日、主イエス様の血潮を仰ぎ、みことばと聖霊こ従って下さい。

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙5章5節
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

<集会案内>

◇9月11日(水) 聖別会 午前10時半
   「近代の救済論の検証(1)」

※今月より、毎聖日礼拝後30分くらい、「志道者会」を開きます。
当分の間、牧師が当ります。目的は、本教会に出席して、救い、聖潔(きよめ)の信仰の確信を持ちたい人の徳を助けるためです。信仰の基本、活用の仕方、を一緒に学びます。 参加は自由ですが、本教会で信仰を確立されたい方は、ぜひご参加下さい。皆さんが、他の人を導くことのできる個人伝道者になることを目指しましょう。

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421