週報No.2201 涙の預言エレミヤ書(108)「モアブへの有罪宣告」エレミヤ書48:36~47 +「罪の告白」について

2019年9月29日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書48:36~47
48:36 それゆえ、私の心はモアブのために笛のように鳴り、私の心はキル・ヘレスの人々のために笛のように鳴る。彼らの得た富も消えうせたからだ。
48:37 彼らは頭の毛をみなそり、ひげもみな切り取り、手にもみな傷をつけ、腰に荒布を着けているからだ。
48:38 モアブのすべての屋根の上や、広場には、ただ嘆きだけがある。「わたしがモアブを、だれにも喜ばれない器のように、砕いたからだ。──【主】の御告げ──」
48:39 どうしてこうも打ちのめされて、泣きわめくのか。どうして、モアブは恥を見、背を見せたのか。モアブは、その回りのすべての者の物笑いとなり、恐れとなってしまった。
48:40 まことに、【主】はこう仰せられる。「見よ。彼は鷲のように飛びかかり、モアブに向かって翼を広げる。
48:41 町々は攻め取られ、要害は取られる。その日、モアブの勇士の心も、産みの苦しみをする女の心のようになる。
48:42 モアブは滅ぼされて、民でなくなった。【主】に対して高ぶったからだ。
48:43 モアブの住民よ。恐れと穴とわなとが、あなたを襲う。──【主】の御告げ──
48:44 その恐れから逃げた者は、穴に落ち、穴から上る者は、わなに捕らえられる。わたしがモアブに、彼らの刑罰の年を来させるからだ。──【主】の御告げ──
48:45 ヘシュボンの陰には、のがれる者たちが力尽きて立ち止まる。火がヘシュボンから、炎がシホンのうちから出て、モアブのこめかみと、騒がしい子らの頭の頂を焼いた。
48:46 ああ。モアブ。ケモシュの民は滅びた。あなたの息子はとりこにされ、娘は捕虜になって連れ去られた。
48:47 しかし終わりの日に、わたしはモアブの繁栄を元どおりにする。──【主】の御告げ──」ここまではモアブへのさばきである。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 エレミヤ書48:36~47、この部分は、モアブに対する神の最後的、徹底的荒廃を、エレミヤが預言しています。

 「それ故、私の心はモアブのために笛のように鳴り、私の心はキル・へレスの人々のために笛のように鳴る。彼らの得た富も消えうせたからだ。」(エレミヤ書48:36)

 預言者エレミヤの心は、モアブに下される神の厳しい刑罰を思って、笛のように鳴り響いて止まず、笛は葬式の時に使う楽器ですが、鳴り止まない嘆きの笛のように、鳴り続けていると、異常なほどの嘆きに襲われていると告白しています。

 エレミヤの心は、モアブに対する憎しみで石のように固くなることはなく、モアブの滅亡に悲しみを表わしています。

 モアブ人自身も、自分たちを襲った悲劇のために、自分たちの体を傷つけて、嘆くことになるのです(エレミヤ書48:37)

 38節は、イザヤ書15:3と同じです。

「どうしてこうも打ちのめされて、泣きわめくのか。どうして、モアブは恥を見、背をみせたのか。モアブは、その回りのすべての者の物笑いとなり、恐れとなってしまった。」(エレミヤ書48:39)

 モアブは恥となり、笑い種となるのです。

 「まことに、主はこう仰せられる。『見よ。彼は鷲のように飛びかかり、モアブに向かって翼を広げる。』」(エレミヤ書48:40)

 「彼は鷲のように飛びかかり」の「鷲」は、文字通りには「大はげたか」で、「彼」はバビロンの王ネブカデネザルです。ネブカデネザルは、空飛ぶ鷲が獲物を見つけて飛びかかるように、繁栄した獲物のモアブに飛びかかるのです。

 「町々は攻め取られ、要害は取られる。その日、モアブの勇士の心も、産みの苦しみをする女の心のようになる。」(エレミヤ書48:41)

 バビロンに攻められたモアブは、繁栄していた町々も、とりでも、勇士たちも、戦う力を失い、わななくだけです。

 「モアブは滅ぼされて、民でなくなった。主に対して高ぶったからだ。」(エレミヤ書48:42)

「民でなくなった。」は、国家を形成する力と機能を失ってしまうことです。国が滅びることです。

 「モアブの住民よ。恐れと穴とわなとが、あなたを襲う。-主の御告げ-、「その恐れから逃げた者は、穴に落ち、穴から上る者は、わなに捕えられる。わたしがモアブに、彼らの刑罰の年を来させるからだ。-主の御告げ-」(エレミヤ書48:43~44)

 恐れから逃れた者も、逃げ通すことができません。
神の刑罰から逃げ通すことのできる人は一人もいません。

 今日は最後に、「罪の告白」についてお話します。

第一ヨハネ1:9前半に、「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、」と言っています。この「言い表わす」は、ギリシャ語のホモロゲオーです。

 この意味は、神が指摘されるとおり、神が言われるとおりに、同じことを言うことです。アーメンと同じ意味です。アーメンは、「今お祈りしたことは、そのとおりです。」という意味です。

 生まれてこのかた犯して来た罪を、一つも残さず、告白することではありません。どんなに章気込んでも、全部告白することができる人は一人もいません。

 神の指摘される罪を、「そのとおりです。」と、素直に告白することです。上の告白は、牧師や会衆に対して告白しても、さげすまれたり、物笑いにされるだけで、救いになりません。

 罪の告白は、主に対してしなければなりません。

 「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」(詩篇32:3~5)
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 ここでダビデは、預言者や会衆に告白するのではなく、「主に告白しよう。」と、言っています。

 主は、ダビデの真実な決心と態度を知っておられて、直ちに、ダビデの罪を赦されました。

 罪の告白は、いくら多くても、神に対する真実な態度でなければ、神は罪を赦されません。

 ホモロゲオーは、口先だけの熱心な告白ではなく、神に対する真実な心と生活の方向転換が伴っていなければなりません

<今週の活用聖句>

ガラテヤ人への手紙2章20節
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私がこの世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

<集会案内>
         
◇「志道会」 毎聖目礼拝復後30分くらい

◇10月2日(水)聖別会 午前10時半
    「近代の救済論の検証(4)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421