週報No.2200 涙の預言エレミヤ書(107)「モアブの滅びの原因」エレミヤ書48:11~25

2019年9月22日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書48:11~25
48:11 モアブは若い時から安らかであった。彼はぶどう酒のかすの上にじっとたまっていて、器から器へあけられたこともなく、捕囚として連れて行かれたこともなかった。それゆえ、その味はそのまま残り、かおりも変わらなかった。
48:12 「それゆえ、見よ、その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、彼に酒蔵の番人を送る。彼らはそれを器から移し、その器をあけ、そのつぼを砕く。
48:13 モアブは、ケモシュのために恥を見る。イスラエルの家が、彼らの拠り頼むベテルのために恥を見たように。」
48:14 どうして、あなたがたは「われわれは勇士、戦いの豪の者」と言えようか。
48:15 モアブは荒らされ、その町々は襲われて、えり抜きの若者たちも、ほふり場に下って行く。──その名を万軍の【主】という王の御告げ──
48:16 モアブの災難は近づいた。そのわざわいは、すみやかに来る。
48:17 その回りの者、その名を知る者はみな、これのために嘆け。「どうして力ある杖、美しい笏が砕かれたのか」と言え。
48:18 ディボンに住む娘よ。栄光の座からおりて、潤いのない地にすわれ。モアブを荒らす者が、あなたを襲い、あなたの要塞を滅ぼしたからだ。
48:19 アロエルに住む女よ。道のかたわらに立って見張れ。逃げて来る男、のがれて来る女に尋ねて、「何が起こったのか」と言え。
48:20 モアブは打ちのめされて、はずかしめられた。泣きわめき、叫べ。アルノンで、「モアブは荒らされた」と告げよ。
48:21 さばきは次の平地に来た。ホロン、ヤハツ、メファアテ、
48:22 ディボン、ネボ、ベテ・ディブラタイム、
48:23 キルヤタイム、ベテ・ガムル、ベテ・メオン、
48:24 ケリヨテ、ボツラ、モアブの国の遠近のすべての町々に。
48:25 「モアブの角は切り落とされ、その腕は砕かれた。──【主】の御告げ──」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 モアブの破滅の主な原因は、主に対する高ぶりと、神の民イスラエルを偶像礼拝へ誘い出したことと、神の民イスラエルに対する、辛辣な敵対的争いを繰り返したことでした。

 「ぶどう酒のかすの上にじっとたまっていて」という隠喩は、沈澱物がたまっていたために、苦くなっていたぶどう酒のように、モアブのイスラエルに対する敵対心も、悪意に満ちたもので、ずっと。続いていました。

 これは、モアブだけでなく、すべて分かれ争う者の、滅びの原因です。

 キリストの香りのするたましいが育つためには、困難から困難、試練から試練、懲らしめから懲らしめへと、移される日々があります。

 この世の安穏とした生活と、繁栄に慣れた生活に留まっていると、肥沃なモアブの人々のように、高慢で、自分中心で、他人を見下げる、悪い罪の性質が出て来てしまうのです。それを取り除き続けるためには、神の懲らしめが必要なのです。

 「なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(へプル12:10~11)

 「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」(ヨハネ15:2)

 使徒の働き8:26~40で、ピリポはサマリヤ伝道でリバイバルが起きている中から、突然、誰もいない、ガザの荒野の道に派遣されています。しかしそこで、一人のエチオピヤ人と出会い、この人の回心がエチオピヤ教会の始まりとなったのです。

 私たちも、自分が欲しない所に遣わされたり、苦難を味わう状況に置かれたりすることがあります。その時、ひどく失望したり、嫌になったりしないようにしましょう。

 神があなたのために、何か特別なご計画を始めたのですから、それが何かは、間もなく分かってきます。それは、私の心にキリストとの人格的交わりの香りを与えてくれます。

 「それゆえ、見よ。その日が来る。-主の御告げ-その日、わたしは、彼に酒蔵の番人を送る。彼らはそれを器から移し、その器をあけ、そのつぼを砕く。」(エレミヤ書48:12)

 これまでモアブは、捕囚に会うこともなく、大きな災いに会うこともなく、繁栄に繁栄を重ねて、高慢になり、民の民イスラエルに対して、悪意に満ちた敵意を抱くまでに堕落していたのです。

 しかし今回は、神はモアブをさばくために「酒蔵の番人」を送られるのです。この「番人」は文字通りの意味は「傾ける者」です。これらの番入は、古い、苦くなったぶどう酒が甘いぶどう酒に混ざらないように、器を「傾けて」地面に注ぎ、廃棄してしまい、そのつぼを粉々に砕いてしまうのです。

 この番人は、神のさばきの道具に選ばれたバビロン軍です。

 モアブは、神のさばきによって、バビロン軍に砕かれるのです。

 「モアプは、ケモシュのために恥を見る。イスラエルの家が、彼らの拠り頼むベテルのために恥を見たように。l」(JJ13)

北王国イスラエルがベテルで金の子牛の偶像礼拝を行なって、捕囚に会ったように、モアブもモアブの守護神としているケモシュの故にさばきを受けるのです。

 人間は、ほぼ同じような罪によって滅ぼされているのです。

イスラエルもモアプも、主を拒否し、偶像を礼拝して、「これがイスラエルをエジプトから救い出した主なる神だ。」と言っても、偶像礼拝のさばきを免れることはできません。
クリスチャンは「信じている」と言っても、救いの約束のみことばを信じているのでもなく、イエス・キリストの贖いの十字架を信じているのでもなく、水の洗礼の儀式を信じているのです。しかし、聖書は、どこにも、水の洗礼がたましいを救うとは、約束していません。

 信仰の対象を偽っていれば、救い主を信じたことにはなりません。
どんなこじつけの言い訳をしても、水の儀式をキリストの救いの根拠にすることはできません。

<今週の活用聖句>

ガラテヤ人への手紙2章20節
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私がこの世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

<集会案内>
         
◇「志道会」 毎聖日礼拝後30分くらい

◇9月25日(水)聖別会 午前10時半
   「近代の救済論の検証(3)」

地の塩港南キリスト教会
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