週報No.2221 希望の預言エゼキエル書(6)「ケルビム」 エゼキエル書 1:4~21

2020年2月9(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 1:4~21
1:4 私が見ていると、見よ、激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りながら北から来た。その回りには輝きがあり、火の中央には青銅の輝きのようなものがあった。
1:5 その中に何か四つの生きもののようなものが現れ、その姿はこうであった。彼らは何か人間のような姿をしていた。
1:6 彼らはおのおの四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。
1:7 その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、みがかれた青銅のように輝いていた。
1:8 その翼の下から人間の手が四方に出ていた。そして、その四つのものの顔と翼は次のようであった。
1:9 彼らの翼は互いに連なり、彼らが進むときには向きを変えず、おのおの正面に向かってまっすぐ進んだ。
1:10 彼らの顔かたちは、人間の顔であり、四つとも、右側に獅子の顔があり、四つとも、左側に牛の顔があり、四つとも、うしろに鷲の顔があった。
1:11 これが彼らの顔であった。彼らの翼は上方に広げられ、それぞれ、二つは互いに連なり、他の二つはおのおののからだをおおっていた。
1:12 彼らはおのおの前を向いてまっすぐに行き、霊が行かせる所に彼らは行き、行くときには向きを変えなかった。
1:13 それらの生きもののようなものは、燃える炭のように見え、たいまつのように見え、それが生きものの間を行き来していた。火が輝き、その火から、いなずまが出ていた。
1:14 それらの生きものは、いなずまのひらめきのように走って行き来していた。
1:15 私が生きものを見ていると、地の上のそれら四つの生きもののそばに、それぞれ一つずつの輪があった。
1:16 それらの輪の形と作りは、緑柱石の輝きのようで、四つともよく似ていて、それらの形と作りは、ちょうど、一つの輪が他の輪の中にあるようであった。
1:17 それらは四方に向かって行き、行くときには、それらは向きを変えなかった。
1:18 その輪のわくは高くて、恐ろしく、その四つの輪のわくの回りには目がいっぱいついていた。
1:19 生きものが行くときには、輪もそのそばを行き、生きものが地の上から上がるときには、輪も上がった。
1:20 これらは霊が行かせる所に行き、霊が行かせる所には、輪もまたそれらとともに上がった。生きものの霊が輪の中にあったからである。
1:21 生きものが行くときには、輪も行き、生きものが立ち止まるときには、輪も立ち止まり、生きものが地の上から上がるときには、輪も共に上がった。生きものの霊が輪の中にあったからである。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

 エゼキエルの幻は、実際の自然現象そのものを、神の特異な具象の背景に使っているのが珍しい。自然界と神の特異なみわざを融合させているのが、特徴です。エゼキエルは、ケバル川のほとりに一人たたずんで、1:4の幻を見ていたのです。この背景は、主が超
自然の神のみわざを表わすのに、実際の自然界の現象を用いられたことに、意味深い特徴があります。

 例として、モーセには、出エジプト記3:1~6で、焼け尽きない柴の中から語られ、自然界の柴の木を、神の超自然の火に取り入れておられます。エリヤに対しては、列王記第一、19:11~18で、激しい大風、地震、火という自然現象の中にはご自身を現わされず、それらの後に「かすかな細い声で、『エリヤよ。ここで何をしているのか。』」と、神ご自身を現わされたのです。

 自然界の全てを創造された神は、ご自身のみわざを成し遂げるために、自然界を神の超自然のみわざと融合して、用いています。

 このことは、イエス・キリストの十字架の贖いの偉大な真理にも適用されています。それは、私たち罪深い者を救い、きよめて、天の御国に携え上げて下さるために、この神のみわざを成就するために、乙女マリヤの胎を借りて、神が人となって下さり、三日目によみがえって下さり、昇天されて、罪人の救いの道を完成されたのです。神は、ご自身の偉大なみわざを完成するために、人間的要素を融合して、用いて下さったのです。ここにも、神の不思議なみわざが見られます。

1:5~6の御座に連なる「四つの生きもの」は、後にケルビムと呼ばれていますが(9:3、10:1以下)、何の象徴であるかは決定しがたいのです。「ケルブ」とは、「守る者、おおうもの」と言う意味です。その最も古い例が、創世記3:24にあります。ケルビムは、人を守るというより、罪人が弁(わきま)えなく、いのちの木に近づいて、神の主権を侵さないように守る御使いのようです。

 神の臨在を象徴する意味では、至聖所の契約の箱の、贖罪所は、神の御座を表わしていました。ケルビムは、贖罪所の御座の両側に造られ、翼をその頭の上に高く上げて、贖罪所をおおうように伸ばされ、一種の天蓋(上を覆う飾り)を形造っていました。ケルビムは、贖罪所を天蓋のように神の栄光の輝きで覆い、守っていました。贖罪所は、それ自体、神の御座の基礎であり、土台でした。二つのケルビムの間には、贖罪所を覆う、神のシェキナの栄光が輝いていました。その栄光は、神の臨在の輝きです。ここで、大祭司は、小羊の血を注いで、主のみこころを聞き、神と交わったのです。私たちの信仰の、最も重要な、神と人との接点となるところです。

 新約の今日の私たちにとって、ケルビムが何を意味するのか、一言で言い表わすことはできませんが、ケルビムは、キリストの贖いの真理と、内住の聖霊の注がれる、神の愛の輝きであり、平安であり、永遠のいのち、復活のいのちの輝きを守ることと、深く関係していることは確かです。この奥義については、明らかにされていません。(コリント第二、3:18)ですからパウロは、この聖霊を悲しませたり、消したりしないようにと、教えて下さったのです。
「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」(エペソ4:30)
「御霊を消してはなりません。」(テサロニケ第一、5:19)

 至聖所の贖罪所に、小羊の贖いの血が注がれている時に、神の契約の箱は、恵みの御座となるのです。ここに永遠の神の小羊イエス・キリストの十字架の血が注がれて、永遠の救いが完成したのです。

 このみわざに深く関わるお方は、第三位の神、聖霊しかおられませんから、聖霊と受け止めても、大きな間違いとはならないでしょう。しかし、私たちの頭脳の中で、聖書や多くのキリスト教の知識を理解していても、私のたましいは、神の恵みにあふれることができません。

 しかし、一旦、神の小羊イエス・キリストの血潮を、私のたましいに受け入れる時、私の内なる霊は、聖霊の恵みの大川が流れ込んできて、エゼキエル書47章の「神殿の敷居の下から流れ出たいのちの川」のように、満ちあふれるようになります。

 あなたのたましいが、恵みの御座となるからです。
 へブル書4:16は、それを言っているのです。
「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」

 恵みに満ちあふれる経験をするためには、あなたの心にイエス・キリストの贖いの血を信仰によって受けることです。すると、たちまち、あなたの内は、聖霊に満たされます。

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙5章5節
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

<集会案内>
         
◇「志道者会」 毎聖日礼拝後30分くらい

◇ 2月12日(水)聖別会 午前10時半
 「訓練された人々(1)神は甘やかされた聖徒を求めていない」

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