聖書の探求(308) サムエル記第二 序 サムエル記第二について

エルサレムにあるダビデの墓といわれる場所の近くに置かれたダビデ王の像


(サムエル記第二について)

サムエル記第一と第二は、元のヘブル語聖書では一つの書であり、その計画と構図は一致し、その記録は中断することなく続いています。

サムエル記第一 31章以後、サムエル記第二の歴史は、部分的にではありますが、歴代誌第一 10~29章と並行して記されています。

サムエル記の二書が記された大きな目的は、イスラエル王国の設定の記録と、国の指導権がベニヤミン族(サウル)からユダ族(ダビデ)へと移って行く、王冠の移動の記録にあります。その中で神がいかなる人物を選ばれ、用いられ、民を祝されるかを記すことです。

信仰の衰えた不安定な民衆が、異教の民と同じような王を求める要求は、神の怒りによって答えられ、再び神の怒りによってサウル王は取り去られたのです。その後、神の仲介によって、「神のみこころにかなった人」ダビデが選ばれ、継承したのです。

ダビデはサムエル記第一と第二の両書の主要人物です。ダビデの名前は新約聖書の中で「ダビデの子」として主イエス様を称える名として用いられています。またダビデの王位は救い主の王位の中に投入されています。

サムエル記第一書は、ダビデが王としての使命を果たすための驚くべき訓練を記しており、第二書は、ダビデの王政を示しています。

第一書では、ダビデは神の訓練学校に入学し、第二書では、王位に上げられています。
神がご自分の忠実なしもべを選ばれる時にも、そのご計画において、訓練がいかに大きな位置を占めているかを、ダビデの生涯は明らかに示しています。これは、ダビデばかりではなく、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、サムエル、ダニエル、バプテスマのヨハネ、パウロなどが証明しています。この地上の生活において、神ご自身の学校で試練を通して訓練を受けなかった者は、いかなる人物も多くの働きの実を成し遂げたことがありません。

アッシャーによれば、サムエル記第一は115年間の歴史を記録しており、サムエル記第二は38年間の歴史を記録していると言っています。

サムエル記第二の中心思想は、「王国」です。

中心聖句は、「ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。」(サムエル記第二 5:10)です。

(ダビデの油注ぎと王としての意義)

ダビデは、三回油を注がれています。

最初は、自分の父の家で(サムエル記第一 16:13)

Ⅰサム 16:13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油をそそいだ。【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。

二回目は、ユダの家の王として(サムエル記第二 2:4)

Ⅱサム 2:4 そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそいでユダの家の王とした。ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬った、ということがダビデに知らされたとき、

三回目は、イスラエル全家の王として(サムエル記第二 5:3)

Ⅱサム 5:3 イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデ王は、ヘブロンで【主】の前に、彼らと契約を結び、彼らはダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。

これは主イエス様を予表する油注ぎです。神はダビデの裔として来られたナザレのイエス様に喜びの油を注がれました。

「あなたは義を愛し、悪を憎んだ。それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。」(詩篇45:7、ヘブル1:9)

ダビデは油を注がれた後も、サウルが民を治めている間は、逃亡生活をしていましたが、イエス様もこの世の王が人々の心を治めている間は、この世から棄てられていたのです。

しかし、ダビデはいつまでも逃亡していたのではありません。やがて、ユダの人々が集まって来て、ヘブロンにおいてダビデに油を注いで、ユダの王としたのです。

「さらに、ベニヤミン族とユダ族からも、要害のダビデのもとに来た者があった。そこで、ダビデは彼らの前に出て行き、彼らに答えて言った。『もし、あなたがたが穏かな心で、私を助けるために私のもとに来たのなら、私の心はあなたがたと一つだ。もし、私の手に暴虐がないのに、私を欺いて、私の敵に渡すためなら、私たちの父祖の神が見て、おさばきくださるように。』そのとき、御霊が補佐官の長アマサイを捕えた。『ダビデよ。私たちはあなたの味方。エッサイの子よ。私たちはあなたとともにいる。平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。』そこでダビデは彼らを受け入れ、隊のかしらとした。」(歴代誌第一 12:16~18)

信仰者の生涯においても、主イエス・キリストに対して、全き忠誠を表わして、「私はあなたのものです。」と申し上げることができ、また「神よ。あなたこそ私の王です。」(詩篇44:4)と告白することができたら幸いです。

サウルの家とダビデの家の間には、長い間の戦いがあり、ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなりました(サムエル記第二 3:1)。

ついにサウルの家は滅び、ダビデは全イスラエルの王となったのです(5:1~3)。

Ⅱサム 5:1 イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。
5:2 これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかも、【主】はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる。』」
5:3 イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデ王は、ヘブロンで【主】の前に、彼らと契約を結び、彼らはダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。

こうしてイスラエルの民は全員一致して、主が選ばれた王ダビデに属したことが明らかになりました。これは王の王なる主イエス様に対して、全力をあげて忠義を尽くすクリスチャンの姿を表わしています。

「あなたの神、主の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない外国の人を、あなたの上に立てることはできない。」(申命記17:15)

「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためです。」(ヘブル2:17)

神は、ダビデの手によって、イスラエルをすべての敵から救い出す約束を与えられましたが、そのとおりになりました。ダビデがゴリヤテを倒した日から、彼の治世が終わるまで、神はその約束を成就されたので、ダビデが戦いで敗れたことは一度もありませんでした。そのように私たちの救い主イエス様も、私たちの大敵悪魔を撃ち滅ぼされました。

「われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。」(ルカ1:74,75)

「キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である死も滅ぼされます。」(コリント第一 15:25,26)

「その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9:7)

サムエル記第二 5章7節に、「ダビデはシオンの要害を攻め取った。」とありますが、私たちの意志を主イエス様に明け渡せば、私たちの生涯に主の王国を建ててくださるのです。

メフィボシェテの記事は、主イエス様の恵みの豊かさを表わしています。

「ダビデは言った。『恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。あなたの祖父サウルの地所を全部あなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。』……こうして、メフィボシェテは王の息子たちのひとりのように、王の食卓で食事をすることになった。……メフィボシェテはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足が共になえていた。」(9:7,11,13)

「あの方は私を酒宴の席に伴われました。私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。」(雅歌2:4)

「私の妹、花嫁よ。私は、私の庭にはいり、没薬と香料を集め、蜂の巣と蜂蜜を食べ、ぶどう酒と乳を飲む。友よ。食べよ。飲め。愛する人たちよ。大いに飲め。」(雅歌5:1)

主イエス様ご自身が、天から下って来られたいのちのパンなのです。

「『わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。』……イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。』」(ヨハネ6:51,53~55)

(ダビデの名声)

旧約の人物の中でダビデは、アブラハムやモーセに匹敵し、ダビデの名前が記されている回数においても、人々から受けた尊敬においても、決して劣るものではありません。

1、エルサレムは「ダビデの町」と呼ばれています(サムエル記第二5:9)。

Ⅱサム 5:9 こうしてダビデはこの要害を住まいとして、これをダビデの町と呼んだ。ダビデはミロから内側にかけて、回りに城壁を建てた。

2、ベツレヘムも「ダビデの町」と呼ばれています(ルカ2:4,11)。

ルカ 2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、

ルカ 2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

3、しばしば「ダビデの家」(ゼカリヤ12:7、ルカ1:69)「ダビデの家系」(ルカ1:27七)「ダビデの幕屋」(使徒15:16)について記されています。

4、イエス・キリストとダビデとの関係は、非常に多く記されています。

イエス・キリストはダビデの子孫として生まれました(ローマ1:3、詩篇89:36)。

イエス・キリストはダビデの子(子孫)(マタイ1:1、9:27、22:42)。

ダビデの王位を継ぐ者(ルカ1:32、使徒2:30)。

ダビデの鍵を持っている方(ヨハネの黙示録3:7、イザヤ書22:22)。

ダビデの「家」「ダビデの王国」を示し、ダビデの「鍵」はダビデの家を支配する権威のしるしであり、これがイエス・キリストの御手にあれば、至上の君主権の標識となります。
聖書は、このような密接な方法で、ダビデとイエス・キリストとを関連付けているのです。

(ダビデの四つの功績)

1、都の建設  ―  ダビデの都であり、国都エルサレムを築いたこと

この都の持つ意味は、

防衛の面から重要であり、
全部族の意志の統一のために、
王国を安定して統治するために、
国の中央部に位置していること、
国家の列強を象徴するために、

重要だったのです。

そのような都は、その地方の強固な城塞都市だったエブスが最適だったのです。エブスは、ヘブロンの北32km、北方の部族と南方の部族のほぼ中間に位置していました。ダビデの将軍ヨアブは、地下水道を通って、敵の背後に出て勝利し、ダビデはこのエブスをダビデの都エルサレムとしたのです。

この都は、イスラエルのいずれの部族からも独立しており、王に対してのみ、忠誠が義務づけられていました。

2、軍事的成功・・・計画的にイスラエルの全敵、特にペリシテ軍を粉砕し、打破したこと。

サウルの軍の敗北後、イスラエルを激しく攻撃していたペリシテ軍も、ダビデはレパイムの谷で徹底的に粉砕し、その好機会に、モアブ、エドム、アモン、ツォバ、アラムを支配するようになり、彼らはダビデに貢物を納めるようになりました(8:2~8、21:15~22)。

シリヤとエドム等の辺境地には守備隊を置き、幾つかの港湾も支配しています。北方ではエスドラエロン平原を取り戻して回復しています。これらは創世記17章8節の神の約束の実現です。

「わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」(創世記17:8)

3、宗教的業績・・・ヤーウェ礼拝の再確立とエルサレムの都への信仰的集中

過去においては、シロ、ミツパ、ギルガルなどが宗教的中心地となっていました。これが部族間の抗争の拠点になった傾向がありました。

これを解決するために、ダビデは神の契約の箱をエルサレムに安置することによって、イスラエル国民全体の目が、国都エルサレムを彼らの信仰的中心地と見るようにさせたのです。

ダビデはシオン山に幕屋を設置し、大祭礼を行なったのです。こうしてエルサレムは神の聖なる都、ヤーウェ礼拝の中心地となったのです。

4、社会的改革・・・政治体制の組織化と社会状態の改善

① 政府の活動、管理のために長官を任命し、枢密顧問官や王の閣僚を任命し、王に対して、その責任を負わせています。

② 産業の面では、建築技術をフェニキヤ人から得、職人たちは周囲の国々から集まって来て、イスラエルの繁栄に浴したのです。貧しい者たちは、カナン人も、ヘブル人さえ、事実上、王に仕える者となっています。

③ 軍事組織を作り上げ、全イスラエルを統治し、外敵から守るために集中的権力としています。

(ダビデの失敗と罪)

最初に、ダビデの失敗と罪を大まかに列挙してみましょう。

1、サウルに迫害され、追跡されていた時、ダビデは再三、イスラエルの敵のペリシテ 人の中に逃げ込んでいます。
最初は、ただ屈従と恥辱を受けただけで救われていますが(サムエル記第一 21:10~15)、二回目にはペリシテ人の所に逃げ込むことによって、ツィケラグにいた家族たちがアマレクの襲撃を受けて、連れ去られるという痛烈な大打撃を受けています(サムエル記第一 30:1~6)。
しかし、この時も主のあわれみを受け、アマレクを撃って、家族を取り戻し、またペリシテ軍に加わって、イスラエル軍と戦うということからも免れ、守られています。
これはダビデの大きな危機だったのです。

2、多妻の生涯

ダビデは荒野の逃亡の生活の間に、サウルの娘ミカル(この時、ミカルはガリムの出のライシュの子パルティに与えられていた)の外にイズレエルの出のアヒノアムとカルメルのアビガイルを妻に娶っていました(サムエル記第一 25:42,43)。更にダビデはイスラエルの王となって、ヘブロンからエルサレムに来て後、そばめたちと妻たちを娶っています(サムエル記第二 5:13)。
その結果は、彼女たちが産んだダビデの息子たちが起こした悲惨な事件の中に見られます。アムノンとタマル事件が起き、タマルの兄アブシャロムがアムノンを殺しています(サムエル記第二 13章)。

そのアブシャロムはイスラエル人の心を盗み、勝手に王となり、父ダビデを殺そうと追跡しましたが、ヨアブによってアブシャロムは殺されています(サムエル記第二18:14)。

更に、アドニヤが王となろうとして反乱を計画し、ソロモンはベナヤを遣わしてアドニヤを打ち取らせています(列王記第一 2:25)。

ダビデの多妻は、堕落した息子たちを産み、兄弟で殺し合う家族となり、恐るべき罪に陥ったのです。

3、ダビデは国の安定化のために、自分にまだ力がなかった時、血なまぐさいツェルヤの子らと結託し、彼らの力を借り、殺害をほしいままにしていたヨアブと特別な盟約を結んでいました。そのためにヨアブたちの力がますます強くなり、ヨアブたちを処罰することができないほど、ダビデは無力な状態に落ちたことがあったのも、ダビデの悲しむべき錯誤でした(サムエル記第二 3:39、列王記第一 2:5~9)。

4、バテ・シェバとウリヤについての罪

この犯罪は、ダビデの軍隊がラバに向かって進軍していた時に、ダビデ自身はエルサレムにとどまっていて行なわれました(サムエル記第二 11:1)。

Ⅱサム11:1 年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。

ダビデがこの悲惨な状態に陥った原因は、彼が安逸と歓楽に身をゆだねたことによるのです。このようにサタンは怠け者をねらうのです。私たちの危険は、自分の本分、使命を怠るところに大きな原因があります。神の選ばれた王、神に尊ばれたダビデが、こんな罪を犯すとは。サウルに、しゃこのように追い回されていた頃のほうが、はるかに幸福だったと思えるでしょう。しかし、こんな状態の中にも、神の恩寵はあったのです。ダビデは詩篇に、最も惨めな告白(詩篇51篇)と罪赦された者の喜び(詩篇32篇)を記しています。

けれども、ダビデは罰せられなかったのではありません。アムノンの罪、アブシャロムの反逆、ヨアブの暴慢、シェバの反逆、アドニヤの王位奪取のたくらみは、ダビデの罪に対する当然の結果でした。

「われらの神、主。あなたは、彼らに答えられた。あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった。」(詩篇99:8)

5、ダビデの人口調査(サムエル記第二 24章)

これは繁栄したダビデの高慢でした。

ダビデが罪に陥ったのには、段階があったように思われます。

第一に、妻のほかに多くの妻たちを入れたことです(サムエル記第二 5:13)

第二は、戦場にいて指揮をとっているべき時に、エルサレムにとどまっていたことです。つまり怠慢になっていたことです(サムエル記第二 11:1)。

罪が犯罪となって外に現われる前に、必ず、先ず心の内に堕落があります。

このようにダビデには罪と過失が多くあったにもかかわらず、それでもなおダビデは神に最も誠実な人の一人でした。彼の心の最も深い心情の核において、いつも神に向かって真っ直ぐに生きていました。神に向かう霊魂の姿勢、これこそ最後の試金石なのです。ダビデの悔い改めは、即刻で深刻で、誠意がありました。

神は豊かなあわれみによって、ダビデの全ての罪を赦されました。しかし罪の結果は、ダビデ自身が受けなければならなかったのです。それがダビデの家庭の中の苦しい事件となって現われてきたのです。

聖書中には、救い主の型が多くありますが、どの型も完全ではありません。どこかに欠陥があります。ダビデもその一つの型です。

ダビデは恐ろしい罪を犯しました。そのような罪人を、どうして神が「ご自分の心にかなう人」と言われたのでしょうか(サムエル記第一 13:14、使徒13:22)。

ダビデの生涯を見ると、他の人々と異なり、特に、サウルとは全く反対です。それはダビデが、たえず神により頼み、神のご支配を認め、神のみ旨に服従したことです。

ダビデの最大の願いは、神の家を建てることでしたが(サムエル記第二 7:2)、神はダビデが戦士であったので、そのことはさせないとのみ旨が告げられた時にも、ダビデはそれ以上を望まず、神のみ旨に全く服従しました(歴代誌第一 22:7,8)。

ナタンがダビデの罪を指摘して、彼の良心に訴えた時も、ダビデはその時、王であったにもかかわらず、すぐに自分の罪を認め、その悔い改めは深刻でした(サムエル記第二 12:1~14)。

詩篇51篇は、悔いて砕かれた霊魂の最も深刻な記録です。この詩篇では、「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:17)と言っています。しかし、永遠の至高者なる神は、私の罪のために驚くばかりにご自身を卑しくし、この地上に来られ、十字架にまでつかれたのです。

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(ピリピ2:5~8)

その主は、預言者イザヤの口を通して、次のように言われました。

「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』」(イザヤ書57:15)

聖書は、神の人の罪をもおおい隠すことをしていません。アブラハムの不信仰も、モーセの怒りも、ダビデの罪も、ありのままに記しています。しかし彼らが真実に悔い改め、心砕かれた時、神は彼らの罪をみな赦され、神の人として、神の栄光を現わすために用いられました。

サムエル記第二の分解

1、神政王国という見地からの分解

1~10章、ダビデの興隆
. 1~4章、ユダの統治
. 5~10章、全国民の統治

11~20章、ダビデの衰退(ダビデの罪とその恐るべき結果)
. 11~12章、罪
. 13~18章、刑罰

19~20章、回復

21~24章、ダビデの最後
. 21章、神のご支配
. 22~23:7、ダビデの歌と最後のことば
. 23:8~39、ダビデの勇士たちとその功績
. 24章、神のご支配

2、ダビデという人物の見地からの分解

1~10章、ダビデの勝利
. 1~4章、ユダの王(ヘブロンにて七年半、中心聖句3:1)
. 5~10章、全イスラエルの王―興隆期(33年、初期、中心聖句5:10)

11~24章、ダビデの悩み
. 11~22章、衰退期(中期、中心聖句12:13)
. 23~24章、晩年(後期、中心聖句23:1)

あとがき

トラクトを玄関先で手渡した時、じっとそのまま読んでくださる方がいます。その時はイエス様の光がその方の心に届くように祈らされます。
ある時は年配のご婦人から「お道のご奉仕、ごくろうさまです。」と言われて、心がひきしまりました。古い時代ではキリスト教を「お道」と呼んでいたのです。イエス様は「わたしが道です」と言われ、使徒の働きではクリスチャンを「この道の者」(9:2)と呼んでいます。最初、私も「お道のご奉仕」と言われて、何のことか分かりませんでしたが、すぐに聖霊によって悟らされました。
ある時は道を歩いていて、「何をしているのですか。」と問われ、イエス様を伝えていることを話すと、「献身しているのですね。」と言われました。主は見ておられます。

(まなべあきら 2009.11.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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