聖書の探求(339) 列王記第一 4章 ソロモン王国の繁栄ぶり(官僚制度と経済、王国の範囲、食料、軍隊)

エルサレムにある歴史博物館の展示資料です。説明文には、次のようにありました。
「ダビデ王の息子ソロモンのもとで、イスラエルはエルサレムを中心とする反映した商業国となった。彼らはエジプトから戦車を輸入し、ヒッタイトの王たちから馬を輸入した。また、レバノンから木材を海路でヨッパまで届けさせた。アラビアのすべての王や総督たちはソロモンに金や銀を携えてきた。また、ソロモンの王はタルシシュへ行く船を持っており、金、銀、象牙、さる、くじゃくなどを運んできた。(第2歴代誌より)」
4章はソロモン王国の繁栄ぶりを描いています。21節と24節の「大河」はユーフラテス川を指しています。これはアブラムとヨシュアに対して結ばれた主の契約の実現です。
「その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。『わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。』」(創世記15:18)
「あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海(地中海のこと)に至るまでである。」(ヨシュア記1:4)
4章の分解
1~19節、国内政治、官僚制度と経済的繁栄
20節,25節、国民の平和
21節,24節、王国の範囲
22~23節、官僚たちの一日の食料
26~28節、軍隊
29~34節、ソロモンの知恵
1~19節、国内政治、官僚制度と経済的繁栄
ソロモンの国内政治に関する高官たちの官僚制度やその詳細なリストは、ダビデによって始められていたものを、更に革新的に整えたものです。この時代の小さな国家としては非常に進んでいたことが分かります。ソロモンが国内政治において国を平定し、国際的貿易において、小国家なのに一大繁栄を成し遂げたのは、主の恵みとともに、主がこの整えられた組織と制度を用いられたことにあります。組織や制度は人によって成り立っていますので、どんなにその構造や形態が機能的で命令系統が良くても、その中で働く人の質が良くなければ、主の恒久的祝福を受けることができません。また組織や制度は器ですから、国民の多さや働きの内容によって、たえず適切なものに変えていかなければなりません。古いガス管や水道管を何十年も使い続けていると、破壊を起こして惨事を招くのと同じです。絶えず、適切なものに変えていく必要があります。
Ⅰ列王 4:1 こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となった。
4:2 彼の高官たちは次のとおり。ツァドクの子アザルヤは祭司。
2節の「彼の高官たち」は、ソロモンの配下の主要な役人たちです。彼らはソロモンに対しては「家来たち」と呼ばれており(3:15)、国民に対しては「高官たち」と呼ばれています。
すでに、ダビデは王国建設のために官僚制度を取り入れていました。その初期の官僚のリストがサムエル記第二 8章15~18節に、後期のリストは同20章23~26節に記しています。これらは極く簡単なものでしたが、国政を制度化しつつあることを示しています。ダビデがこの制度の原型をどこに見い出していたのかは、聖書に何も述べられていませんが、ダビデとソロモンの公職制度は、エジプトの王宮とよく似ているように思われますから、エジプトの官僚制度を取り入れたのかもしれません。ソロモンはこのダビデの官僚制度を引き継ぎ、その時の国力の大きさにふさわしいように革新したのです。
2節の「ツァドクの子アザルヤは祭司」は文字通りでは「祭司アザルヤ、ツァドクの子」となります。この「子」はおそらく「孫」の意味と思われます。
「アヒトブはツァドクを生み、ツァドクはアヒマアツを生み、アヒマアツはアザルヤを生み、アザルヤはヨハナンを生み」(歴代誌第一 6:8,9)
ソロモンの治世の最初の祭司は、王の主な相談役でした。ここでは祭司は、王の腹心の相談役であり、王が最も信頼する主要な助言者を意味しています。
Ⅰ列王 4:3 シシャの子らエリホレフとアヒヤは書記。アヒルデの子ヨシャパテは参議。
3節、「シシャの子エリホレフとアヒヤは書記」「書記」(へブル語のソファ)はダビデの時代から重要な職務として設けられていました。ソロモンはこの書記の職務に二人の人を当てています。これはソロモンが書記の職務を重要視していたことを示しています。この書記は国内の命令や通達などの通信の責任と、外国との外交関係、貿易関係の通信の責任が負わされていました。また国王の個人的な仕事としての書記の働きと、国家としての書記の役目の両方の仕事が課せられていましたので、一人では果たすことができなかったものと思われます。
「シシャ」は「シェワ」(サムエル記第二 20:25)とも呼ばれ、「シャウシャ」(歴代誌第一 18:16)とも呼ばれています。この名前は明らかにエジプト人の名前であり、ダビデが書記という重要な職務のために良く訓練された人物をエジプトから連れて来たことを暗示しています。「エリホレフ」という名前も「エリハフ」と読むことができます。「エリハフ」もエジプト人の名前であり、これらのことから推測すると、書記の職務にはエジプトの知識や技能が取り入れられ、エジプト人が採用されていたことも十分考えられます。
「アヒルデの子ヨシャパテは参議」参議は普通は、国政の記録と年譜を管理する職務です。しかし参議を表わすへブル語のマッキルは、エジプトの国王の伝令官を表わす語でもあります。これは非常に興味深いことです。エジプトではマッキル(伝令官)は非常に重要な職務で、王室の儀式の準備をしたり、王と他の者との接触の仲介役をしたり、王の旅行の準備をしたり、宮廷全般の報道官としての責任がありました。おそらく、このエジプトのマッキルの職務をダビデもソロモンも参議として採り入れたものでしょう。ソロモンの宮廷でも、参議はエジプトのマッキルと同じ働きをしたものと思われます。それ故、参議に任じられた者は、単なる記録係ではなく、王と他の者の調停役や、国王の広報官、あるいは宮廷の長官の役目を果たしていたものと思われます。
Ⅰ列王 4:4 エホヤダの子ベナヤは軍団長。ツァドクとエブヤタルは祭司。
4節、「エホヤダの子ベナヤは軍団長」ベナヤは国王の護衛隊長から昇進して、全軍の指揮官としての軍団長に任命されています。
4節、「ツァドクとエブヤタルは祭司」エブヤタルについては2章27節で主の祭司職から罷免されています。また同章35節でツァドクがエブヤタルに代わって祭司となっています。ここでエブヤタルが釈免されていたと考えることは根拠がありません。エブヤタルは実質上、祭司の職務からはずされていたのですが、祭司の身分や尊厳は世襲制で終身制でしたので、本書の記者がここにエブヤタルの名を記したものと思われます。
Ⅰ列王 4:5 ナタンの子アザルヤは政務長官。ナタンの子ザブデは祭司で、王の友。
5節、「ナタンの子アザルヤは政務長官」7~19節にソロモンが制定した全国の行政管区を記しています。アザルヤは国内行政の長官として任命されています。アザルヤはそのすぐ後に記されているザブデと兄弟であり、彼らの父ナタンはダビデの子でした(サムエル記第二 5:14)。預言者ナタンではありません。それ故、アザルヤとザブデはソロモンの甥でした。
そのザブデは「祭司で、王の友」と言われています。ここで言う「祭司」は主に仕えるアロン系の祭司のことではなく、王の腹心の相談役のことです。勿論、アロン系の祭司も王を主の前に導き、相談役としての役目を果たしていましたが、ザブデは「王の友」としての、王の個人的な相談役だったのです。
Ⅰ列王 4:6 アヒシャルは宮内長官。アブダの子アドニラムは役務長官。
6節、「アヒシャルは宮内長官」この役職はソロモンによって設立されています。この役職はそれ以後も続いています(列王記第二18:18)。
この職務はエジプトの宰相の地位を採り入れたもので、宮廷の職務から国務大臣の長として職責を負っている首相に相当するものです。これはヨセフがエジプトで果たしていた職務と同じです。パロはヨセフに、「あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」(創世記41:40)
この職務につく者は、朝ごとに王の前に出て、問題について報告し、その日のために王の指示を受け、宮廷の役所を開き、公務の一日を始めたのです。あらゆる分野の案件を裁定し、すべての書類に捺印して効力を発効させ、人事、財政、政策、裁判、公共事業、軍事、農業政策など、あらゆる面に指導と監督を行なったのです。これは神の知恵なくしてできる働きではありません。
6節、「アブダの子アドニラムは役務長官」この人物は、おそらくダビデの時にも役務長官を務めていたアドラムと同一人物と思われます。名前が「アドニラム」となっていますが、彼の名前の書き方は不確かで、筆記者によって、アドニラムとなったものと思われます。列王記第一 12章18節では「レハブアム王は役務長官アドラムを遣わしたが」とあり、こちらではアドラムになっています。彼はダビデ、ソロモン、レハブアムと三代の王に仕えたベテランの国務大臣であったことが分かります。
1~6節は、ソロモンの中央政府の内閣組織を記していましたが、7~19節は、地方組織を示しています。
Ⅰ列王 4:7 ソロモンは、イスラエルの全土に十二人の守護を置いた。彼らは王とその一族に食糧を納めていた。すなわち、一年に一か月間、おのおの食糧を納めていた。
7節、「ソロモンは、イスラエルの全土に十二人の守護を置いた。」ソロモンは王国全土に十二人の駐在管理者を置いて、地方を支配しています。その主な仕事は、王とその一族の食料のために、各地域から一年に一ヵ月間各々食料を納めさせるためでした。その食料については22~23節に記されていますが、当時の貢物はすべて食料に関するものでしたから、これは今で言う税務署を置いて徴税したということになります。ですから、この守護は民を守るというよりも、徴税官を意味しています。ソロモンの課税が厳しく重税であったことはよく知られています(列王記第一 12:4)。
それとともに、この地方に置かれた守護(駐在管理者)たちは、周囲の敵の侵入を防衛するためと、内乱などを防ぎ、国内の秩序を保つために兵士や戦車を持つ常備軍の働きもしていました。この仕事はサウル王の時には、まだよく整備されていなかったようですが、ダビデの頃には、徐々に組織化されていったようです。しかしこれは民が王を求めた時、主が忠告された重要な事項の一部だったのです。
「そこでサムエルは、彼に王を求める民に、主のことばを残らず話した。そして言った。『あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる。」(サムエル記第一 8:10~12)
神の主権によって守られることを拒み、異邦人の国々と同じような人間の王による国家を求めた時、国の安全を守るために民が自ら大きな代価を払わなければならなくなったのです。民は常備軍のために徴用され、軍事か、農耕の仕事か、どちらかのために働かされたのです。
8~19節は、十二人の守護者に選ばれた人物のリストを記しています。この記録の意味するところは、ソロモンの治世の初期ではまだ国造りが始まった段階で、各々自分たちが管理する町々を建設する計画にたずさわり、中央政府を安定させたものにするのに貢献し、要塞を堅固なものにし、交易のための道路建設に従事していたと推測することができます。
Ⅰ列王 4:8 彼らの名は次のとおり。エフライムの山地にはフルの子。
4:9 マカツ、シャアルビム、ベテ・シェメシュ、エロン・ベテ・ハナンにはデケルの子。
4:10 アルボテにはヘセデの子。──彼にはソコとヘフェルの全地が任せられていた──
4:11 ドルの全高地にはアビナダブの子。──ソロモンの娘タファテが彼の妻であった──
4:12 タナク、メギド、それに、イズレエルの下ツァレタンのそばのベテ・シェアンの全土、ベテ・シェアンからアベル・メホラ、ヨクモアムの向こうまでの地には、アヒルデの子バアナ。
4:13 ラモテ・ギルアデにはゲベルの子。──彼にはギルアデのマナセの子ヤイルの村々と、バシャンにあるアルゴブの地域で、城壁と青銅のかんぬきを備えた六十の大きな町々が任せられた──
4:14 マハナイムにはイドの子アヒナダブ。
4:15 ナフタリにはアヒマアツ。──彼もまた、ソロモンの娘バセマテをめとっていた──
4:16 アシェルとベアロテにはフシャイの子バアナ。
4:17 イッサカルにはパルアハの子ヨシャパテ。
4:18 ベニヤミンにはエラの子シムイ。
4:19 エモリ人の王シホンと、バシャンの王オグの領地であったギルアデの地にはウリの子ゲベル。その地にはもうひとりの守備隊長がいた。
彼らの名前のほとんどが「……の子」という言い方になっています。この言い方は現代的に考えれば姓名のうちの姓だけを記していることになります。しかし12節の「アヒルデの子バアナ」は姓名の両方をフルネームで記されています。これについては、このリストが記されていた巻物の端が傷つけられていて、名の部分が欠けて失われていたとの説明がありますが、事実は明確ではありません。しかしまた、イスラエル人の名前は、父の名前を挙げて、その子という表現の仕方はよく行なわれていることは事実です。
11節のドルはカルメル山のすぐ南の地中海に面した高地です。15節のナフタリはガリラヤ湖の北の地方で、イスラエルの最北端です。この二箇所の最も支配力が届きにくい遠い地方には、ソロモンの娘を妻にした、ソロモンにとって義理の息子に当たる者を守護に当てています。これは明らかに守護となる者の忠誠を得るためのソロモンの戦略の一つであったことが分かります。
この地域は今で言えば、県に当たり、守護は州知事とか、県知事に当たります。これらの十二の割り当てられた地域は、半分くらいはヨシュアの時に各部族に割り当てられた古い部族の境界に沿っていますが、残りの他の部分は新しい境界線を採用しています。このことは、各地域の産業の交流や商業の発達によって、人々の移動が盛んになり、ヨシュアの時に割り当てられた各部族の産業の地の相続に変化が起きていたことを表わしています。産業が発達していった地には人が集まるようになり、拡大し、産業が衰えていった地は人口が減少し、新しい境界が出来始めていたのです。今、日本でも市町村合併が盛んに行なわれ、道州制が採用されると、行政区域の境界線は大きく変わってしまうでしょう。そういう意味で、この時、ソロモンは行政区域をかなり大幅に変えたものと思われます。
19節の終わりに「その地にはもうひとりの守備隊長がいた。」と記されています。この意味は、はっきりしませんが、十二人の守護以外に、もう一人の守護隊長がいたことになります。この人物が十二人の守護を統率する指導者であったのなら、この人物は自治大臣のような人で、この自治大臣の下で県知事や州知事が働いていたと考えられます。しかし、このもう一人の守護隊長は特にユダの地を守るための代官のような人物であったのかも知れません。
20節,25節、国民の平和
本書の記者は、20~34節までのソロモンの成功と名声について原資料となるものから、国民の平和、支配した広い領地、宮廷の食糧、ソロモンの名声の評判の材料を選んでここに記して、ソロモンの知恵の豊かさと賢く支配したことの背後には、彼に知恵を与えられた神がおられることを示すために、これらの記事を加えています。特に、ソロモンの治世の初期においては、このことが顕著です。
Ⅰ列王 4:20 ユダとイスラエルの人口は、海辺の砂のように多くなり、彼らは飲み食いして楽しんでいた。
20節「ユダとイスラエルの人口は、海辺の砂のように多くなり、」ダビデの時代にイスラエルは南のユダと北のイスラエルの部族に分かれて対立していたことがあったので、「ユダとイスラエル」という言い方が全イスラエル王国を表わす言葉として使われるようになっていました。
そして全イスラエルの人口は、ダビデとソロモンの時代になって、国が安定し、繁栄してきたことによって、以前の時代の人口より多くなっていました。それを本書の記者は「海辺の砂のように多くなり、」という言葉を使うことによって、主がイスラエル民族としてアブラハムやヤコブに約束された約束の成就であることを告げているのです。
「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」(創世記22:17)
Ⅰ列王 4:25 ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバまで、みな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して住むことができた。
もう一つの点は、「彼らは飲み食いして楽しんでいた。」(20節)、「ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバまで、みな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して住むことができた。」(25節)ことであり、物質的ではあるけれども、長いエジプトでの奴隷生活や、シナイの荒野の四十年間の旅の生活、そしてヨシュアの時代のカナン人との戦いの生活、士師記の不信仰によって、外敵に苦しめられた生活を経験してきた国民にとって、幸福であり、安全であり、満足のいく生活でした。このように平和で安全で満足できた生活は、ソロモンの時代以外には、前にも後にも来なかったのです。この時期はイスラエルの歴史において、唯一の理想的な幸福な時だったのです。
21節,24節、王国の範囲
ソロモンがダビデから受け継いだ広範囲な領土(サムエル記第二 8:1~14)は、ヨシュアがまだヨルダン川を渡る前に主から約束された領地であり、それは主の約束の成就でした。
「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。」(ヨシュア記1:3~4)
この時代には、神の摂理によってソロモンの勢力を倒すことができるような強力な外敵は、ナイル川沿岸、メソポタミヤ、小アジヤ地域には存在しなかったのです。
ソロモンの領土は、ペリシテ、エドム、アモン、シリヤ(アラム)の隣接する諸国を支配することによって成り立っていました。
Ⅰ列王 4:21 ソロモンは、大河からペリシテ人の地、さらには、エジプトの国境に至るすべての王国を支配した。これらの王国は、ソロモンの一生の間みつぎものを持って来て、彼に仕えた。
Ⅰ列王 4:24 これはソロモンが、大河の西側、ティフサフからガザまでの全土、すなわち、大河の西側のすべての王たちを支配し、周辺のすべての地方に平和があったからである。
22~23節、官僚たちの一日の食料
Ⅰ列王 4:22 ソロモンの一日分の食糧は、小麦粉三十コル、大麦粉六十コル。
4:23 それに、肥えた牛十頭、放牧の牛二十頭、羊百頭。そのほか、雄鹿、かもしか、のろじかと、肥えた鳥であった。
エルサレムのソロモンの宮殿で働く人々のための食料の一日分は、良質の小麦粉(ソレテ)30コル(6900リットル)、大麦粉(ケマー)60コル(13800リットル)でした。その上、肥えた牛十頭、放牧の牛二十頭でした。ソロモンの一族と宮殿で仕えている職員と王の下で働いていた関係者は、五千人以上いたと考えられます。この莫大な毎日の食糧は、疑いもなく、イスラエルの各地方の住民たちに重い税負担となって課せられていたのです。
これに対して、ユダの民がバビロン捕囚から帰って来た時、ネヘミヤが樹立した小さい政府の食糧は、次の通りです。
「ユダヤ人の代表者たち百五十人と、私たちの回りの国々から来る者が、私の食卓についていた。それで、一日に牛一頭、えり抜きの羊六頭が料理され、私のためには鶏が料理された。それに、十日ごとに、あらゆる種類のぶどう酒をたくさん用意した。それでも私は、この民に重い労役がかかっていたので、総督としての手当を要求しなかった。」(ネヘミヤ記5:17~18)
ソロモンの政策とネヘミヤの政策は、各々の置かれた背景が異なりますので、単純に比較することができませんが、それでも、物の繁栄した社会では上級官僚たちが、ぜいたくを尽くし、一般住民が重税に苦しめられることになっています。今日、必要なのは、ネヘミヤのような小さな政府で上級官僚が身を惜しまず、働く生活をすることです。
26~28節、軍隊
Ⅰ列王 4:26 ソロモンは戦車用の馬のための馬屋四万、騎兵一万二千を持っていた。
26節の「戦車用の馬のための馬屋四万」は、歴代誌第二 9章25節では、「四千の馬屋」となっています。更に列王記第一 10章26節では「戦車一千四百台」となっていますから、「馬屋四万」は多すぎると思いますし、他の数値と差がありすぎます。これは恐らく、写本する時、筆記者が誤って書き写したものと思われます。
「戦車のための町々」は、9章19節に記されていますが、これは考古学的発掘によって証明されています。
Ⅰ列王 4:27 守護たちは、それぞれ自分の当番月にソロモン王、およびソロモン王の食事の席に連なるすべての者たちのために、食糧を納め、不足させなかった。
4:28 彼らはまた、引き馬や早馬のために、それぞれ割り当てに従って、馬のいる所に大麦とわらを持って来た。
27節、イスラエル全土に配置されていた十二人の守護たちの任務は、各々が一か月ごとに当番月を担当して、ソロモン王の一族と、王の食卓に連なるすべての家来たち、官僚たち、職員たちの食糧を納め、多くの馬の食料の大麦とわらを納めることでした。これらがイスラエル国民の大きな負担になっていたことは明らかです。
ソロモンの壮大さは、次の四つで表わすことができるでしょう。
1、純金でおおわれた象牙の王座と、その六つの階段の両側に置かれた十二頭の雄獅子の像です。「このような物は、どこの王国でも作られたためしがなかった。」と言われています(歴代誌第二 9:17~19)。
2、ぜいたくな食糧(列王記第一 4:22~23)
3、ソロモンが用いた豊富な貴金属(列王記第一 10:21,27、歴代誌第二 1:15、9:20,27)
4、多くの騎馬と戦車(列王記第一 4:26~28、10:28~29、歴代誌第二 1:16)
ソロモンは彼の繁栄について、ツロの王ヒラムに次のように言うことができたのです。
「ところが、今、私の神、主は、周囲の者から守って、私に安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。」(列王記第一 5:4)
29~34節、ソロモンの知恵
29節、神はソロモンに、非常に豊かな知恵と英知と、広い心とを与えられました。
Ⅰ列王 4:29 神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。
知恵は、ソロモンの箴言に表わされているように、神を畏れることです。
英知は、彼のさばきに見られたように、国民を導く指導力に表わされています。
広い心は、どのような者をも受け入れる寛容な心なのか、世界的な視野を持つことなのかは分かりませんが、「海辺の砂浜のように広い心」と言われていますから、世界的視野のことなのかもしれません。
30節、古代近東地域では、ソロモンの時代より以前に相当多くの知恵文学が広く存在していました。
Ⅰ列王 4:30 それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。
記者は「東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵にまさっていた。」と記していますが、考古学によれば、エジプトにも、メソポタミヤにも、箴言と同じような文学が存在していたことが証明されています。それはピラミッド時代(紀元前約2650~2600年)頃に存在していたのです。この知恵文学は、人生を鋭く観察することから得た一般原則を用いて、道徳的教えを語ったものです。
「東のすべての人々」は、ここではバビロニヤ人か、もっと可能性があるのはアラビヤ人です。この人々をエドム人という者もいます。
Ⅰ列王 4:31 彼は、すべての人、すなわち、エズラフ人エタンや、ヘマンや、カルコルや、マホルの子ダルダよりも知恵があった。それで、彼の名声は周辺のすべての国々に広がった。
31節、「エズラフ人エタンやヘマン」は偉大な知恵の持ち主として知られていました。彼らは、知恵の詩篇(教訓的詩篇)の一つである詩篇88篇と89篇の表題に、これらの詩篇の作者として紹介され、「エズラフ人エタン、ヘマンのマスキール」と記されています。
また「カルコルや、マホルの子ダルダ」も知恵のある人々として挙げられていますが、歴代誌第一 2章6節では、エタンと同じ、ユダが嫁のタマルとの間に産んだゼラフの子の中に同名の人物がいますから、彼らの子孫であった可能性があります。
Ⅰ列王 4:32 彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった。
32節、「彼は三千の箴言を語り」ここではソロモンが独創したとは言っておらず、「語り」となっているので、既に存在していた箴言(マシャリム)を収集していたことを示しているようです。
「彼の歌は一千五首もあった。」「彼の歌(シリム)」は、彼が作った歌でしょうが、雅歌以外には知られておらず、大部分は失われてしまったものと思われます。
Ⅰ列王 4:33 彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語った。
33節、ソロモンの博学ぶりは「レバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り」(植物学)から、「獣や鳥やはうものや魚についても語った。」(動物学、鳥類学、魚類学)に及んでいますが、ソロモンの博学は、生物そのものに対する博物学というよりは、自然の生物を通して教えられる霊的教訓を教えたものが多かったと思われます。例えば次のようなものです。
「なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食料を集める。」(箴言6:6~8)
しかし今日まで伝わっているソロモンの箴言の中には、この分野の箴言が一番少ないのです。
34節、賢者としてのソロモンの名声は、当時の諸国に知れ渡り、うわさを聞いた諸国の王たちがソロモンのもとにやって来たのです。
Ⅰ列王 4:34 ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た。
その代表例が10章のシェバの女王の来訪です。
ソロモンは神から与えられた知恵によって、聖書の知恵文書(箴言、雅歌、伝道者の書、詩篇のいくつか、そしてヨブ記も出来事は古い時代ですが、これが知恵文学として文書にして書かれたのはソロモンの時代であるという強い主張があります。)に大きな役割と責任を果たしたことになり
ます。
あとがき
ある時、「ここには知識はあるが、交わりがない。」と言われてしまいました。私たちは神の光を心に経験するための道をお知らせする知識をお伝えすることしかできません。それを自分の霊的経験とするには、自分自身で信仰を働かせるしか方法はありません。聴衆や読者が心に神の火を灯すためには聞いたメッセージを心に受け入れて活用する時に、神の火があなたの心に灯るのです。私に出来ることは信仰の火をいかにして灯すかをお伝えすることだけです。実際に神の火を心に灯すのは、ご自分ですることです。私はいのちの水といのちのパンをどうすれば自分のものにできるかをお伝えできるだけです。それを実際に自分のものにするのは、あなた自身なのです。これを他人に求めても得られません。
(まなべあきら 2012.6.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)
