聖書の探求(337) 列王記第一 3章1~15節 エジプトとの同盟、高い所での礼拝、ソロモンの知恵

「Solomon and Pharoah’s daughter(ソロモンとファラオの娘)」(1896年にイギリスで出版された「The Art Bible comprising the old and new testaments with numerous illustrations」の挿絵、Wikimedia Commonsより)
3章と4章は、ソロモンの知恵と偉大さを記しています。これらの章に用いられている内容と型はかなり多様です。それは記者が資料として使った主な出典である「ソロモンの業績の書」(11:41)から抜粋したものだからです。ここでの記者の目的は、ソロモンが賢人であり、彼の知恵が神からの祝福の賜物であることを明白に表わそうとしていることです。
3章の分解
1節、エジプトとの同盟(ソロモンの外交)
2,3節、高い所での礼拝(ソロモンの宗教)
4~15節、ソロモンの知恵(ギブオンでの主の顕現)
16~28節、主の知恵によるソロモンの裁判
1節、エジプトとの同盟(ソロモンの外交)
Ⅰ列王 3:1 ソロモンはエジプトの王パロと互いに縁を結び、パロの娘をめとって、彼女をダビデの町に連れて来、自分の家と【主】の宮、および、エルサレムの回りの城壁を建て終わるまで、そこにおらせた。
ソロモンの外交政策は、二本の柱によって成り立っています。
一つは、エジプトの多神的宗教との同盟です。これは守護神間の同盟です。
もう一つは、平和政策です。これは政略結婚によって成り立たせようとしています。これは専制君主国家において、しばしば採用されてきた政策です。
これらのソロモンの政策は、ダビデの遺言に反していますので、この部分の記録が年代順になっていないことは明らかです。また、ソロモンとエジプトの王パロの娘との結婚には、ダビデが関与していなかったことも明らかです。
この1節において、ソロモンの治世の方針が明らかになって来ています。王国を引き継いだソロモンはその繁栄を増強させるために、彼の心は主に向かうよりも、政治的安定を求めて、エジプトとの政治的同盟関係に向かって行ったのです。それは華麗な王宮や神殿建築と、宗教上のゆるんだ妥協によりはっきりと現われてきています。
ソロモンと結婚したパロの娘については、明確には分かっていませんが、おそらく第二十二王朝のシシャク(14:25)の娘ではなく、その前の第二十一王朝のエジプトの王の娘だったと思われます。王室間の結婚は一朝一夕にまとまるものではありません。強い利害関係がからんでいます。当時、イスラエル王国はエジプトよりも繁栄した強国でしたので、明らかにエジプト側の利益のためにエジプト側からの申し入れがあったものと思われます。しかしソロモンの側にも利益がなかったわけではありません。イスラエルにとって敵国となるエジプトが敵国でなくなることは、一つの安心をもたらします。もう一つ、ソロモンの治世の重要な政策であった貿易活動を盛んにするためにも有益だったはずです。特に、軍事用の馬、戦車はエジプトから輸入したものでした(10:26~29)。
またエジプトの王パロの娘との結婚は、モーセの律法には直接、触れるものではありませんでした。モーセの律法では特別にカナン七族(ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人)との結婚を禁じていました(出エジプト記34:11~16、申命記7:1~5)。しかしエジプト人との結婚はそこに含まれていませんでした。カナン七族以外の外国人の女性と結婚する場合は、その女性が自分の偶像の神々を放棄して、イスラエルの神への信仰を告白すれば許可されたのです(申命記21:10~14)。
パロの娘がソロモンと結婚する時、パロはゲゼルの町を攻め取り、これを火で焼き、この町に住んでいたカナン人を殺し、ソロモンの妻である自分の娘に結婚の贈り物として与えたのです(9:16)。
本書の記者は、王宮と神殿とエルサレムの城壁が完成するまで、パロの娘はダビデの町の家に住んでいたと、付け加えています。この「ダビデの町」とは、シオンの山(オペル山)のすぐ北にあるダビデが最初に攻め取ったエブス人のとりでであった、古いダビデの宮殿に住んでいたものと思われます。しかしエルサレムの都の発展とともにダビデの町は別の町になってしまっていったのです。
1節に「主の宮」や「エルサレムの回りの城壁」が記されているのは、まだ神殿も城壁も出来ていないのに変ではないかと思われる人もいるかも知れませんが、後の完成を知っていた記者は、ソロモンの建築事業の規模の大きさを強調するために、ここに記したものと思われます。
2,3節、高い所での礼拝(ソロモンの宗教)
Ⅰ列王 3:2 当時はまだ、【主】の名のための宮が建てられていなかったので、民はただ、高き所でいけにえをささげていた。
3:3 ソロモンは【主】を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。
この二つの節は、神殿が建てられる前の、礼拝の状態を記しています。
「あなたがたが所有する異邦の民が、その神々に仕えた場所は、高い山の上であっても、また青青と茂ったどの木の下であっても、それをことごとく必ず破壊しなければならない。
…あなたがたの神、主が、御名を住まわせるために選ぶ場所へ、私があなたがたに命じるすべての物を持って行かなければならない。
…全焼のいけにえを、かって気ままな場所でささげないように気をつけなさい。」(申命記12:2,11,13)
「高き所(バマ)」は、イスラエル人がカナンの地を占領する前に、カナン人が偶像を礼拝していた場所で、土を盛って小高い丘になっていました。このような高き所での礼拝は、イスラエルがカナン定着後もしばしば見られます。イスラエル人は神殿がなかった時、主を礼拝するために高い丘を使ったこともありました。これは純粋に地理的な意味での高き所でした。しかしこれはカナン人の偶像礼拝を真似たもので、決して礼拝の形態として良いとは言えませんでした。はっきりとカナン人の偶像礼拝と訣別していることを表わしていませんでした。それにも関わらず、神殿のない間は、しばらくこの状態が続けられていました。
この高き所で主を礼拝することは、偶像礼拝と間違われますが、しばらくの間は、主への礼拝者たちの忠誠と服従によって受け入れられていました。それで3節で、ソロモンが「主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。」と記しているのは、ソロモンが主にいけにえを高き所でささげていながらも、記者は彼の愛と服従を強調しています。
高き所での礼拝は、神殿がまだ建てられていなかったことが理由で、許可されているということでしたが、神殿が完成された後も、完全には除去されていません。それはヒゼキヤの時代まで、幾人かの善王と呼ばれている王たちによっても続けられていたのです。
アサ王によって(15:14、22:43)、ヨアシュ王によって(列王記第二 12:3)、アマツヤ王によって(同14:4)、アザルヤ王によって(同一15:4)、ヨタム王によって(同15:35)など。
この高き所での礼拝は、カナンの偶像礼拝から引き継いでいることは明らかで、士師時代の無政府状態の影響によって、急速にイスラエルに侵入してしまいました。サムエルは宗教改革を試みましたが、サムエルが取り除いた高い所は限定的でした。ソロモンは強力な王で、高き所を完全に廃止する権力を持ちながら、中央の聖所を造ってからも彼は故意に過去の曖昧な宗教状態と妥協を続けていたのです。ですから、「神殿の完成の前だったから」という理由は神殿完成後には通用しなくなり、その理由は信仰的に不純であったと言えるでしょう。
列王記と歴代誌の「高き所(へブル語のバマbamah)」は、「礼拝の対象が置かれている高い台」を意味するカナンの言葉です。この言葉は、だれを、あるいは何を礼拝するか、どのように礼拝するかという礼拝の性格とは関係なく、カナンの地で行なわれていた礼拝の聖所に対して用いられていました。ですからこの「バマ」と呼ばれている「高い所」でイスラエルの神ヤーウェをカナンの偶像の神々と同じような神であるかのように礼拝していたのです。今日、クリスチャンがイエス様を礼拝する時、この世の人々が神社仏閣で偶像を礼拝するのと、どのように心の中が違っているのでしょうか。このことが、最も重要なことなのです。
4~15節、ソロモンの知恵(ギブオンでの主の顕現)
列王記はソロモンがギブオンで一千頭の全焼のいけにえをささげたことだけを記していますが、歴代誌第二 1章1~13節はその時の事柄を更に詳しく記しています。
4節、「王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。」
Ⅰ列王 3:4 王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全焼のいけにえをささげた。
ギブオンはエルサレムの北西約10kmの所にあるキロのエル・ジブであると考えられています。1956年、ジェームス・B・プリッチャードは発掘によって、カナン人がこの地を領有したのは紀元前2800年頃であり、その後にヘブル王朝時代にイスラエル人によって広範囲に領有されたことを明らかにしました。エルサレム、ゲゼル、メギドにあったものと匹敵する水道設備が発見されています。これはサムエル記第二 2章13節にある「ギブオンの池」であると考えられています。この池の底から、ギブオンの名が刻印されているつぼの取っ手が発見されており、その修復によって、ギブオンの地が確定されたのです。
ダビデの治世の大部分の期間と、ソロモンの治世の初期には、モーセの幕屋がギブオンに据えられ、契約の箱の安置のためにはエルサレムに幕屋が据えられていました(歴代誌第二 1:3,4)。なぜ、カナン的要素の残っていたギブオンが民衆の主要な聖所となっていたのかは不明です。この時、一千頭の全焼のいけにえをささげたことは、すでに行なわれていた油注ぎを名実ともに民衆に明らかに示すための王位継承の宗教儀式だったのです。
ツァドクはギブオンの幕屋の祭司でした(歴代誌第一 16:39)。エブヤタルはエルサレムでダビデの幕屋の中の契約の箱の前で祭司でした(列王記第一 2:26)。そして、ダビデの治世の終わりに向かって、ツァドクが祭司の中心的人物になっていったのです。
時をさかのぼって、ヨシュア記9章でヨシュアがギブオン人と盟約を結んだ時、「こうしてヨシュアは、その日、彼らを会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれた場所で、たきぎを割る者、水を汲む者とした。今日もそうである。」(ヨシュア記9:27)と記されていますことは、この時以来、ギブオンに主の祭壇が築かれ、アロン系の祭司がいたことも考えられます。サムエル記第一 4章で、イスラエルがエベン・エゼルでペリシテ人と戦って敗北した時、神の箱が奪われたのに、その後も祭壇がギブオンに残っていたのは、ギブオンにアロン系の祭司がとどまっていたからだと考えられます。こうしてイスラエル人の間では、ペリシテ人に奪われてしまった神の箱よりも、ギブオンに残っていた祭壇が重視されるようになっていったのでしょう。この祭壇重視の習慣は、神の箱がエルサレムに安置されてからも続いていたと考えられます。
ソロモンがささげた全焼のいけにえの一千頭は概数であって、非常に多かったことを示しています。その多さはこの王位継承儀式に集まっていたイスラエルの指導者たちの多さを示していると思われます。全焼のいけにえの本来の意味は、神への献身を表わすものですが、ここでは6~9節のソロモンの祈りの中に表わされています。
5節、「その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現われた。」
Ⅰ列王 3:5 その夜、ギブオンで【主】は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
聖霊によって霊感された聖書が与えられる前は、夢は主が啓示の手段として用いられた一つの方法です。
「わたしのことばを聞け。もし、あなたがたのひとりが預言者であるなら、主であるわたしは、幻の中でその者にわたしを知らせ、夢の中でその者に語る。」(民数記12:6)
ヤコブはベテルで、夢の中で一つのはしごの啓示を受けています(創世記28:12)。ヨセフも太陽と月と十一の星が自分を伏し拝んでいる夢の啓示を受けています(創世記37:5~11)。
しかし神の霊感によって与えられている聖書を読みもせず、学びもせず、ただ夢やヒラメキによって神の啓示を受けたと主張する人がいますが、このような人は偽りです。主は聖書が完成されて以後、夢を啓示の手段に使うことはなさっておられません。人の霊魂の救いと永遠の御国に関する啓示は完成してしまっているからです。現在、私たちに与えられている特殊啓示は、イエス・キリストご自身と聖書だけです。しかし聖霊によって霊の目が開かれ、真理を悟らせて下さる聖霊の照明や導き、教え示されることは、今も毎日、信仰者の心に与えられています。これに従うことが、神の光の中を歩むことなのです。しかしこれは神の啓示ではありません。これを混同しないようにして下さい。
主のほうから、「あなたに何を与えようか。願え。」と仰せられておられます。これは「求めなさい。そうすれば、与えられます。」(マタイ7:7)のみことばと一致します。しかしこの招きは、ソロモンがどんな性質の求めをするか、テストされていることでもあります。「何でもかなえてあげるから、求めなさい。」と言われると、本音の貪欲な、自分中心の求めをしてしまいやすいものです。こういう招きを受ける時、私たちの信仰の本当の姿が試されます。
6~9節、主の質問に対するソロモンの答えは、特に6節、主がこれまでになされたみわざを心から喜んだことです。
Ⅰ列王 3:6 ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。
それはソロモンの父ダビデが主の御前に誠実と正義と真心をもって歩んだことに対して、大いなる恵みを与えられたことです。その証拠が、ダビデの子ソロモンが王座を受け継いだことに表わされています。もし、この王座をアブシャロムが奪っていれば、あるいは、アドニヤが王となっていれば、王国は直ちに破滅に向かっていたことでしょう。ソロモンは、主が御前を誠実と正義と真心をもって歩む者に驚くべき大いなる恵みを与えて下さることを心から喜んだのです。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」(創世記17:1)
第二は、7節、彼は主の前に謙遜な態度をとりました。
Ⅰ列王 3:7 わが神、【主】よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。
「謙遜は栄誉に先立つ。」(箴言15:33)
「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(ペテロ第一 5:5)
「私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。」の「子ども」は、へブル語の意味が「子ども」というだけで、ソロモンが実際、小さい子どもであったことを意味しません。列王記第一 14章21節には、ソロモンにはすでに息子のレハブアムがいたことが記されています。この「子ども」という言い方は、謙遜を表わすための典型的な誇張的表現です。
「出入りするすべ」は、王としての公的な毎日の務めのことです。
「今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」(歴代誌第二 1:10)これはソロモンの自分に対する認識でした。
第三は、8節、自分に与えられた責任の重さの自覚です。
Ⅰ列王 3:8 そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
主が祝福されて人数が増えることは、それだけ責任が重くなることを意味しています。ですから、ますますへりくだって主の知恵をいただくことが必要になるのです。ところが大抵、祝福され、繁栄して人数が増えてくると、高慢になってしまい、逆に神の知恵を失っていくことが多いのです。
第四は、9節、神の民を導くための、理解力、判断力、洞察力、霊的力を主に求めたことです。
Ⅰ列王 3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
人々が持ってくる問題や事件の背後には見えていない様々な動機や欲や目的がワナとなって仕掛けられているかも知れません。人はみな、自分に都合の好い言い分を主張するからです。これらを見抜いて、人々を導いていくには、人の知恵ではふさわしくありません。主の知恵を求めるしかありません。
ソロモンはイスラエルの国民を「あなたの民」と言って、神から託されているという認識を表わしています。これが彼の職務に対する認識だったのです。
10節、ソロモンの求めは、人として稀に見る霊的にすぐれたものでしたので、主の御心にかないました。これを見れば、主がどんな祈りに答えて下さるかがよく分かります。
Ⅰ列王 3:10 この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。
11~14節、主が喜ばれたのは、ソロモンが自分のために求めず、敵のいのちも求めず、神の民を正しくみこころにかなって導くための判断力を求めたからです。
私たちは神を後回しにして、先ず自分の願い、自分の欲がかなえられることを優先して求めやすいために、主を喜ばせることができないのです。先ず神の国と神の義とを第一に求めるなら(マタイ6:33)、主は喜んで、私たちの願うことよりもずっと大いなることをして下さいます(エペソ3:20)。
Ⅰ列王 3:11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、
3:12 今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
12節、「今、わたしはあなたの言ったとおりにする。」ソロモンが信じて告白して求めたとおりにすると主は約束されたのです。
「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」(マルコ11:23)
主はソロモンに「知恵の心と判断する心」とを与えると約束されました。これはソロモンが委ねられた任務を実際に成し遂げていく時に活用すべきものです。信仰も愛も、ただ心で思っているだけでなく、口で話しているだけでなく、実際の生活で活用して実を結ぶのです。
「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」(ヨハネ第一 3:18)
「行ないのない信仰は、死んでいるのです。」(ヤコブ2:26)
霊的な恵みやいのち、力は、心に持っているだけでなく、実際の生活で、隣人を愛するために使わなければ、失われてしまいます。
「すると彼は答えて言った。『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」イエスは言われた。『そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。』(ルカ10:27,28)
「あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。」これはソロモンの偉大さよりも、主の知恵の偉大さと主による繁栄の偉大さを示しています。確かにソロモンのように知恵のある人はこれまでに現われていません。しかしイエス様が私たちにとって神の知恵となってくださるのです。
「キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(コリント第一 1:30)
13節、ソロモンは神の知恵だけを求めたので、彼が願わなかったもの、富と誉れ、国家繁栄も与えられたのです。
Ⅰ列王 3:13 そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。
ここに主のご性質がよく表わされています。主のみこころを第一に優先し、主を喜ばせる人に対しては、本人の祈りに答えられるばかりでなく、恵み豊かにその他のものも加えて与えて下さいます。主は五千人の人にパンを与えた時も、十二のかごいっぱいのパンが残りました。四千人の人にパンを与えた時も、七つのかごいっぱいのパンがあまりました。主は恵み深いお方なのです。しかしこのありあまるほどの繁栄が高慢と堕落の原因になることも注意しておかなければなりません。恵みを受ければ受けるほど、へりくだって、受けた繁栄をすべて主の栄光のために使って、主にお返しすることによってだけ、私たちは栄え続けることができるのです。
14節、しかしソロモンの繁栄が長続きし、長寿のためには条件が付けられています。
Ⅰ列王 3:14 また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」
「あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら」この点において、ソロモンは途中から道をはずしてしまったのです。
15節、ソロモンは夢を通して、この神の啓示を受けたのです。
Ⅰ列王 3:15 ソロモンが目をさますと、なんと、それは夢であった。そこで、彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげ、すべての家来たちを招いて祝宴を開いた。
ソロモンはすぐにこれが神のお答えだと悟って、ギブオンから政務を執るべきエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげ、すべての家来たちを招いて祝宴を開いています。
4節のギブオンでの全焼のいけにえは、全国民のための国家的な礼拝でしたが、15節のいけにえは、家来たちを招いての宮廷行事として行なわれており、続いて祝宴を開いていますから、お祝いの要素が強かったのです。
あとがき
ほとんどの人は、この世にあって、仕事を成し遂げ、財産と地位を築き、長い人生を歩んで来たと思っていますが、実は、生まれた場所から一歩も前に進んでいません。同じ自分中心の欲という所で、一生涯、足踏みをしていたに過ぎないのです。そのことに気づかずに人生を終えているのです。だれも今日の日にとどまっていることはできません。今日という日が暮れていくことは、「今日を捨てて、明日をつかみなさいよ。」と神が語りかけているのに、生涯、同じ欲望から出ていないのです。アブラハムは、故郷のカルデヤのウルを離れ、父テラと別れ、ハランを出、甥のロトと別れ、愛子イサクを主にささげる離別の生涯を経験して、生ける神を知り、信仰の何たるかを知ったのです。これが人生です。
(まなべあきら 2012.4.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)

