週報No.2169 涙の預言エレミヤ書(77)「民への叱責」エレミヤ書34:8~22

2019年2月17日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書34章8~22節
34:8 ゼデキヤ王がエルサレムにいるすべての民と契約を結んで、彼らに奴隷の解放を宣言して後、【主】からエレミヤにあったみことば。
34:9 ──それは各自が、ヘブル人である自分の奴隷や女奴隷を自由の身にし、同胞のユダヤ人を奴隷にしないという契約であった。
34:10 契約に加入したすべての首長、すべての民は、それぞれ、自分の奴隷や女奴隷を自由の身にして、二度と彼らを奴隷にしないことに同意し、同意してから彼らを去らせた。
34:11 しかし、彼らは、そのあとで心を翻した。そして、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻して、彼らを奴隷や女奴隷として使役した。──
34:12 そこで、【主】からエレミヤに次のような【主】のことばがあった。
34:13 「イスラエルの神、【主】は、こう仰せられる。『わたしが、あなたがたの先祖をエジプトの国、奴隷の家から連れ出した日に、わたしは彼らと契約を結んで言った。
34:14 七年の終わりには、各自、自分のところに売られて来た同胞のヘブル人を去らせなければならない。六年の間、あなたに仕えさせ、その後、あなたは彼を自由の身にせよと。しかし、あなたがたの先祖は、わたしに聞かず、耳を傾けなかった。
34:15 しかし、あなたがたは、きょう悔い改め、各自、隣人の解放を告げてわたしが正しいと見ることを行い、わたしの名がつけられているこの家で、わたしの前に契約を結んだ。
34:16 それなのに、あなたがたは心を翻して、わたしの名を汚し、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷をかってに連れ戻し、彼らをあなたがたの奴隷や女奴隷として使役した。』
34:17 それゆえ、【主】はこう仰せられる。『あなたがたはわたしに聞き従わず、各自、自分の同胞や隣人に解放を告げなかったので、見よ、わたしはあなたがたに──【主】の御告げ──剣と疫病とききんの解放を宣言する。わたしは、あなたがたを地のすべての王国のおののきとする。
34:18 また、わたしの前で結んだ契約のことばを守らず、わたしの契約を破った者たちを、二つに断ち切られた子牛の間を通った者のようにする。
34:19 二つに分けた子牛の間を通った者は、ユダの首長たち、エルサレムの首長たち、宦官と祭司と一般の全民衆であった。
34:20 わたしは彼らを、敵の手、いのちをねらう者たちの手に渡す。そのしかばねは空の鳥、地の獣のえじきとなる。
34:21 わたしはまた、ユダの王ゼデキヤとそのつかさたちを敵の手、いのちをねらう者たちの手、あなたがたのところから退却したバビロンの王の軍勢の手に渡す。
34:22 見よ。わたしは命じ、──【主】の御告げ──彼らをこの町に引き返させる。彼らはこの町を攻め、これを取り、火で焼く。わたしはユダの町々を、住む者もいない荒れ果てた地とする。』」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 「また、わたしの前で結んだ契約のことばを守らず、わたしの契約を破った者たちを、二つの断ち切られた子牛の間を通った者のようにする。」(エレミヤ34:18)

 当時の契約を結ぶ時は、契約者が、二つの切り裂いた子牛の間を通って、契約を破った者は切り裂かれた子牛のようにされると誓ったのです。

 それ故、この破滅寸前の緊急の事態の時に、神との契約を破ったことは、「わたしは彼らを、敵の手、いのちをねらう者たちの手に渡す。」という恐ろしい結果を招いたのです。

19~22節では、エレミヤはエルサレムへのメッセージを繰り返すことによって、神の怒りの審判を強調しています。

「二つに分けた子牛の間を通った者は、ユダの首長たち、エルサレムの首長たち、宦官と祭司と一般の全民衆であった。」(19節)……神と契約を結んだ人たち

「わたしは彼らを、敵の手、いのちをねらう者たちの手に渡す。そのしかばねは空の鳥、地の獣のえじきとなる。」(20節)……神の厳しいさばきが下されること

「わたしはまた、ユダのゼデキヤとそのつかさたちを敵の手、いのちをねらう者たちの手、あなたがたのところから退却したバビロンの王の軍勢の手に渡す。」(21節)……一時退却していたバビロン軍は、帰って来る。一時の変化に惑わされてはならない。

「見よ。わたしは命じ、-主の御告げ-彼らをこの町に引き返させる。彼らはこの町を攻め、これを取り、火で焼く。わたしはユダの町々を、住む者もいない荒れ果てた地とする。」(22節)……バビロン軍は帰って来て、エルサレムは陥落され、ユダを荒廃させます。一時、エジプト軍と戦うために、エルサレムの包囲を解いていたバビロン軍が、「この町に引き返し、…攻め、…火で焼く」時期を語っています。

 エレミヤのこの預言は、それから数ヶ月の後、文字通りに実現しました。神のみことばは、必ず実現します。

 彼はそのことを、エレミヤ書38~39章に記しています。

 この章におけるメッセージのテーマは、「奴隷の解放」でしたが、この解放は、すべての捕囚の民への解放に繋がっでいたのですが、もっと恐ろしい刑罰を受けるに至ってしまったのです。

 主なる神の解放は、全ての罪に対する苦しみと刑罰からの解放ですが、これをマタイ19章の金持ちの青年のように、自分の考えに頼り、自分の真面目さ、正しさ、熱心さ、洗礼を受けていることに頼っているなら、永遠のいのちを失うことになります。

 私たちは、イエス・キリストの十字架によって、私の罪の代価が全て完全に払われて、私はキリストに買い取られていることを、信じなければなりません。

 また私は、神の救いを受けるためには、約束のみことばを信じなければなりません。

 そして洗礼の儀式が救うのではなく、聖霊が救いのみわざを行なって下さることを信じる時、罪からの解放が成し遂げられるのです。

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)

<今週の活用聖句>

箴言3章5~6節
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

<集会案内>

 ◇2月20日(水)聖別会 午前10時半
  聖潔に関する旧約聖書の証言(4)
    「罪によってそこなわれた神の似像

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421