週報No.2168 涙の預言エレミヤ書(76)「ゼデキヤへの警告」エレミヤ書34:1~7

2019年2月10日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書34章1~7節
34:1 バビロンの王ネブカデレザルと、その全軍勢、および彼の支配下にある地のすべての王国とすべての国々の民が、エルサレムとそのすべての町々を攻めていたとき、【主】からエレミヤにあったみことばは、こうである。
34:2 「イスラエルの神、【主】は、こう仰せられる。行って、ユダの王ゼデキヤに告げて言え。【主】はこう仰せられる。『見よ。わたしはこの町をバビロンの王の手に渡す。彼はこれを火で焼こう。
34:3 あなたはその手からのがれることができない。あなたは必ず捕らえられて、彼の手に渡されるからだ。あなたの目はバビロンの王の目を見、彼の口はあなたの口と語り、あなたはバビロンへ行く。』
34:4 ユダの王ゼデキヤ。ただ、【主】のことばを聞きなさい。【主】はあなたについてこう仰せられる。『あなたは剣で死ぬことはない。
34:5 あなたは安らかに死んで、人々は、あなたの先祖たち、あなたの先にいた王たちのために香をたいたように、あなたのためにも香をたき、ああ主君よと言ってあなたをいたむ。このことを語るのはわたしだ。』──【主】の御告げ──」
34:6 そこで預言者エレミヤは、これらすべてのことばを、エルサレムでユダの王ゼデキヤに語った。
34:7 そのとき、バビロンの王の軍勢は、エルサレムとユダの残されたすべての町、ラキシュとアゼカを攻めていた。これらがユダの町々で城壁のある町として残っていたからである。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

「『あなたは安らかに死んで、人々は、あなたの先祖たち、あなたの先にいた王たちのために香をたいたように、あなたのためにも香をたき、ああ主君よと言ってあなたをいたむ。このことを語るのはわたしだ。』-主の御告げ-」(エレミヤ34:5)

「先祖たち、あなたの先にいた王たちのために香をたいたように、あなたのために香をたき、」は、歴代の、国民から愛され、尊敬された王たちの葬儀と同じように扱われることを言っています。

アサ王の葬儀の例「そこで、人々は、彼が自分のためにダビデの町に掘っておいた墓に彼を葬り、香料の混合法にしたがって作った香りの高い香油や香料に満ちたふしどに彼を横たえた。そして、彼のために非常にたくさんの香をたいた。」(歴代誌第二、18:14)

「ああ主君よ」という、王の死をいたむ言葉は、ゼデキヤが神の条件を果たさなかったので、エルサレムが最終的に占領された時、王も、兵士も、残っていたわずかの市民も、非常に苦しめられたのです(列王記第二、25章、エレミヤ書52章)。

しかし神は、一人一人の葬儀の時、私たちの神の子どもとしての地位、名誉、尊厳までも、ご配慮して下さっているのです。

「そして、人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが、定まっているように」(ヘブル9:27)

私は、自分の死に方を決めることはできません。しかし、主の御手の中で死ぬことが出来ます。主の平安の中で死ぬことができることは、最高の生涯の閉じ方です。

モーセは主によって、葬られました。
「主は彼をべテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。」(申命記34:6)

エリヤは、主によって、死を経験せずに、天に携え上げられています。彼は主イエス・キリストの再臨の時に、地上に生きている信仰者が、死を経験しないで、携挙される人のひな型として、天に上げられています。「こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現われ、この二人の間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。」(列王記第二、2:11)

この二人モーセとエリヤは、主イエスの変貌の山に現われています。彼らは長い間、姿を見せていませんでしたが、永遠に生きていたのです。

死んだサムエルも、サウルの前に姿を現わしています。
「サムエルはサウルに言った。『なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。』」(サムエル記第一、28:15前半)

貧しいラザロも、死んだ時、御使いに携えられて、アブラハムのふところ(パラダイス)に入っています。その時、旧約の大昔に死んでいたアブラハムが現われて、迎えています。
「さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。」l(ルカ16:22)

信仰者は、みな、主の御手の中で、死を迎えています。

殉教したステパノは、「眠りについた。」(使徒7:60)と言われています。

テサロニケ第一、4:13、14では、信者で死んだ人々を「眠った人々」と呼んでいます。これは愛する者をなくした人々を慰めるための、ことば上の表現ではありません。「眠りの状態」は、復活するまでの一時的な状態を指しています。

主イエスを死人からよみがえらせた御霊を、内に持っている信者は、その御霊によってよみがえるのです。
「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」(ローマ8:11)

だれも、夜、安眠する時、恐れたりしません。翌朝、元気に起きることを知っているからです。だれでも、自分が復活することを確信している人は、安らかな死を迎えるのを恐れません。

ベタニヤのラザロがよみがえらされる時、主はマルタに言われました。
「イエスは彼女に言われた。『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。』

キリストの復活を受けるには、信仰だけが必要なのです。

<今週の活用聖句>

箴言3章5~6節
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

<集会案内>

◇2月13日(水)聖別会 午前10時半
聖潔に関する旧約聖書の証言(3)
「人間のホーリネス」

地の塩港南キリスト教会
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