書籍紹介 「知られざる力」 32のこんなとき

新書版 216頁
著者: まなべあきら

初版からのロング・セラーです。現在でも全く色あせることなく力が与えられます。「もっと早くこの本に会っていればよかったのに」の声も多く寄せられています。

目次

1、疲れて休息の必要な時
2、混乱の中で平安を求めている時
3、過度の緊張からくつろぎたい時
4、孤独で憂うつな時
5、弱くて未熟さを感じる時
6、欲望に負けそうな時
7、悲しみに直面した時
8、自己不信と劣等感に悩んでいる時
9、忍耐が試される時
10、からみつく恐れや悩みから解放されたい時
11、忙しすぎてイラダッテいる時
12、感情的に不安定な時
13、幸福を求めている時
14、敗北者から勝利者になりたい時
15、罪のゆるしを求めている時
16、自分の救いに確信がなくなった時
17、あなた自身が変わりたい時
18、高ぶって敗北した時
19、苦しみに悩まされている時
20、試練に直面した時
21、多くの問題がのしかかってくる時
22、不可避の困難に直面している時
23、危機に直面した時
24、神の保護に対して不安になった時
25、祈りに力が乏しい時
26、神のお導きを求めている時
27、恵みの高値を求めている時
28、勇気を必要とする時
29、臆病風に吹かれている時
30、経済的に悩んでいる時
31、人間関係を回復したい時
32、不当に扱われた時

一部抜粋

はじめに

二十世紀の後半、特に、この二十年間は病気でない患者が病院にあふれています。特別にどこが悪いというのではないのです。たゞ病院にいなければ安心できない人々か、それとも無理矢理に病院に連れてこられた人々です。彼らは病気ではない病気に病んでいるのです。病院はこれらの人々に何ら処置を施すことができないのであふれているのです。

どうしてこのような現象が起きてきたのでしょうか。答えは、我々が欲するものは容易に手に入ってしまう時代になったからです。昔は一般の人には一生涯かかっても獲得できなかったものが、今は簡単に自分のものとなってしまうからです。この地上のもので、一生をかけ、生命をかけて追い求めるものは我々の時代にはなくなってしまったかに見えます。求めればすぐに手に入ってしまう。その先がない。すぐ目的が達成されてしまう。人間の霊魂はこのようなことでは満足することができません。そして新しい永遠の光を発見することができないで、人々は病院の門をくゞることになってしまうのです。

私は牧師になって以来、悩んでいる多くの人々に会ってきました。多分、悩みのない人は一人もいないと私は考えています。悩み、苦痛、恐れ、不安、ねたみ、いらだち、等々人の心の中は苦しみで火の如く燃えているのを見てきました。しかし、このような中にあって私はすばらしいものを発見したのです。それは、これらすべての問題の解決が聖書の中にあるということです。聖書をもう一度ホコリをはらって、私達の実際経験として活かすべく調べてみる必要があります。

このような必要から本書を書くに至りました。本書は決して学問的ではなく、経験的で、誰にでも神の言葉・聖書の力強さが体験できるように書かれています。人生には多くの知識をもつより、心に力を貯えることの方が大切であるからです。あなたも神の言葉・聖書によって人生を変貌させて下さい。

なお、今回改訂にあたって本書中に引用した聖書の言葉は、日本聖書協会発行の口語訳聖書を用いました。この引用に快く御承諾下さった日本聖書協会に、心より感謝申し上げます。

1978年7月1日
真部 明

14、敗北者から勝利者になりたい時

『わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。』
ビリピ人への手紙四章一三節

『われらに助けを与えて、あだに向かわせてください。人の助けはむなしいのです。われらは神によって勇ましく働きます。われらのあだを踏みにじる者は神だからです。』
詩篇六〇篇一一~一二節

『しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。』
ローマ人への手紙八章三七節

『すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。』
ヨハネの第一の手紙五章四~五節

『神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。』
コリント人への第二の手紙二章一四節

『あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。』
ヨハネ福音書一六章三三節

落ちる落ちると心配しながら綱渡りをしている人は必ず落ちるのです。敗北は、敗北について考え、敗北を恐れる時に始まっているのです。敗北は、あなたの心の中から始まることに気づいて頂きたいのです。たとえ自分の実力は乏しく敗北が当然と思える時にも、敗北のことを考えてはいけません。敗北した時の恥しさなどを気にしていてはいけません。勝つことを考えるのです。棒高飛びの選手が自分の記録に挑戦する時は「私は必ずこのバーを飛び越えることができる」と自分に言い聞かせて跳躍するのです。あなたの行く手を遮る言葉、思い、あらゆる敗北につなげようとするものを取り除くのです。そしていつでも次の事を知っておいて頂きたいのです。敗北も心の内側から来ることを。

さて、敗北は屡々戦いを途中で投げ出すことによって起きるのです。ある婦人は夫を失い、子供達と共に貧しい生活に耐えていましたが、ある時近所の人々から彼女の子供が盗みをしたと言われました。その時彼女は、耐えに耐えてきた人生の戦いを投げ出してしまったのです。そしてガスの栓を開いて子供と心中をはかりましたが、消し忘れていたラジオから讃美歌が聞えてきました。

「いつくしみ深き友なるイエスは、罪・とが・憂いを取り去り給う。心のなげきを包まず述べて、などかはおろさぬ、負える重荷を」彼女はハッと気がついたのです。この世にはもう友はいないと思っていたが、モウ一人だけいた。イエス・キリストです。彼女の人生はまだ終局ではない、途中だったのです。もう一人だけ希望の友、主イエス・キリストがいらっしやることに気がついたのです。彼女は直ちに窓を開いてガス栓を閉じました。この苦難の後に、彼女は幸福な生活が訪れたのです。もし、彼女が自分の人生の戦いを途中で投げ出したままにしていたならば、その後の幸福な生活は味わえなかったでしょう。あなたの人生が勝利か敗北かは最後まで解らないのです。だから途中で投げ出してはいけません。敗北は戦いを途中で投げ出す時にのみ来るのです。

けれどもあなたは言うでしょう。「私の人生は八方ふさがりだ」と。しかしそれは気分だけです。前後左右から攻められ、地下からモグラの大群が攻め寄せても、上だけは開いていることに気づいて頂きたいのです。それでもあなたは言うでしょう「私にほ羽がない」と。私はあなたにお教えしたい、上に逃げる為には羽はいらないのです。心と口があれは十分です。心をこめて天に叫べは神の方から来て下さるのです。絶望的な中で立ち上がる為には、天に向って祈るということを練習する必要があります。

あなたは、これまで自分に向って「おまえは敗北者だ」と言い続けてきました。また周囲の人々もそのようにあなたをしむけてきたかも知れませんから、あなたは自分が敗北者であると思い込む習慣を身につけてしまっています。この習慣を取り除くまで勝利者にはなれません。勿論、その習慣はあなたの力では取り除けないでしょう。神の助けが必要です。あなたは、こんどは神と協力して人生を戦う習慣を会得しなけれはなりません。神と協力して戦えば、あなた一人では勝てなかった問題も勝つことが出来るのです。どうぞ毎日一〇回、最初に書きました聖書の言葉の中の一つを心をこめて繰り返し言うのです。そして憶えてしまって下さい。どこに行っても、何をしていても、この言葉を繰り返すのです。そうするなら、あなたの心の中に勝利者となる力が神によって与えられます。

一人の小さな子供がリレーで負けてさびしそうでした。そこへ足の早いお兄さんがやって来て「一等になりたいかい、一番になりたかったら目をつむって私の手をしっかり握っているんだよ。絶対に離してはだめだよ」と言いました。少年は目をつむって、しっかりとお兄さんの手にしがみつきました。レースが始った時、少年はぶらさがっているだけでしたが、お兄さんが「もう目をあけてもいいよ」と言ってくれた時には、未だ誰も到着していないゴールに立っていたのです。あなたには勝目がないかも知れませんが、あなたを勝たして下さるイエス・キリストがおられるのです。

困難というものは、しばしば私達が困難だと考える時に本当に困難になってしまうのです。ただ心理的なものでしかない場合が多いのです。心の中で「困難を作り出す障害物がある」と思い込んでいれは、必ず問題は困難になり、敗北するのです。あなたは力の源泉であられる神に目を向けて、「困難などはない」と言い切るのです。そして神の言葉を信じて、祈ってから、静かに戦いを始めるのです。神はあなたと共にいて、あなたを助け、導き、あなたの為に戦って下さり、必ず勝利を与えて下さいます。

以上、一部抜粋