週報No.2322 詩篇(23) 9篇「神のさばきの宗教的理由」 9:7~12

2022年1月16日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

詩篇 9:7~12
9:7 しかし、【主】はとこしえに御座に着き、さばきのためにご自身の王座を堅く立てられた。
9:8 主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行われる。
9:9 【主】はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。
9:10 御名を知る者はあなたに拠り頼みます。【主】よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。
9:11 【主】にほめ歌を歌え、シオンに住まうその方に。国々の民にみわざを告げ知らせよ。
9:12 血に報いる方は、彼らを心に留め、貧しい者の叫びをお忘れにならない。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

9~10節、絶対に確実な、恵み深い守り主ヤーウェ

9節「主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。」

主は、迫害、苦難のときの「とりで」、避け所です。

預言者エリヤは、カルメル山で大勝利の後、イゼベルの迫害の宣告を恐れて、カルメル山から遠く離れた神の山ホレブまで逃げました。神と親しく交わっていたヨブでさえ、突然理由の分からない試練と病に襲われ、信仰が激しく試みられたのです。

信仰が試みられない人は、いません。

聖書をよく読むと、罪を犯していない聖徒に突然、試練が襲いかかっています。これを他人の目から見ると、「あの人は何か罪を犯しているから、あんな目に会う。」とか、ヨブの妻のように、神をのろうように勧める者も出て来ます。自分でも疑心暗鬼になってしまって、いたずらに苦しみを増やすのです。

サタンは、聖徒たちを勝利に満ちた生活から、苦難の中に連れ込むことを神に求めて、許可を得て、私たちの信仰を神から断ち切ろうとするのです。苦難の嵐が吹いている中、神は何の助けの御手も伸べず、見放しておられるようです。信仰者にとって、こういう時が一番重要な時です。主は沈みかけているペテロの手を握りしめて下さいました。

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手にいれるために必要なのは忍耐です。もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。私たちは恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(ヘブル10:35~39)(詩篇46:1)

10節「御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。」

「御名を知る者」とは、主を受け入れて、心の内に経験している人です。その人は、全く主に信頼して、従います。

イエス・キリストという御名は、世界の誰もが知っているでしょう。しかしクリスチャンだと言っている人の中にも、自分のたましいの中で経験として主と交わって、主のみこころまで知っている人は多くないでしょう。ただ名前や顔だけ知っているなら、何も知らないのです。私たちは、神についての知識を沢山持っているでしょう。弟子のペテロは、イエス様に「あなたは生ける神の御子キリストです。」と答えることができましたが、イエス様が私を愛し、私の罪を代わりに負って十字架にかかって下さる救い主であることを知らなかったのです。

あなたは神が、鳴く子ガラスにエサまで与えておられることを知っていますか。野の草花に、ふさわしい装いと香りを与えておられるのを知っていますか。

神学的知識を学んで、神を知っただけでは、まだ神を知らないのです。ユダヤ教の律法の学者だった迫害者サウロは、イエス様の「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という御声を聞いた時、「主よ、あなたはどなたですか。」と、イエス様だと分からなかったのです。それでいて、自分では熱心に神に仕えていると思い込んでいたのです。後に、主イエスのすばらしさを知った時、「…いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。…」(ピリピ3:8)

知識としての神だけでなく、内なる経験として、主イエスを知って下さい。そうすれば、もっと主に信頼するでしょう。

次に、「あなたを尋ね求める者」とは、主を飢え渇いて求めている人です。この人は必ず、いのちの水を受けます。

「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14)

「…だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37~38)

「御霊も花嫁も言う。『来てください。』これを聞く者は、『来てください。』と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(ヨハネの黙示録22:17)

主は私たちの内に与えられる聖霊を、「いのちの水」と表現されました。聖霊は、私たちの内に注がれる、霊のいのちの源です。

そして、主を求めて、信頼している人は、聖霊を受けて、決して見捨てられることがなく、失望させられることがありません。

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」(ヨハネ14:18)…

聖霊の内住によって、私たちは、孤児でも、孤独でもありません。

<今週の活用聖句>

詩篇9篇10節
「御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。」

<集会案内>

◇1月19日(水)聖別会(75)午前10時半
口ーマ人への手紙が教える全き聖化(2)「神の聖と人の聖」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

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牧師 真部 明