心のよりどころ

あなたは「自分の力だけを信じて生きている人が強い人だ」と思っていませんか。
かつての私がそうでした。
「無宗教こそ、強い人間の生き方だ。」と思っていました。
しかし、一方では、他人の言葉で悩み、困難で心が沈み、しっかりした土台がありませんでした。

あなたは、いかがですか。
あなたは迷信や占いを気にしたことがありませんか。
お守り袋を下げていれば、交通事故に会わないと、信じていますか。
気休めと分かっていても、何かにすがりたいという気持ちが、そうさせているのでしょう。


しかし、何かに頼りたいという気持ちがあるのは、私たちの霊魂が、創造者の神によって造られた人間であることを証明しています。
これは、本当に頼りになる真の神を求めている証拠です。

それなのに、長い間、キリスト(キリストは名前ではなく、ギリシャ語で救い主の神を表す称号です。)を拒んで、安易な心のより所を求めて来ました。
この心の空洞を満たすために、旅行したり、酒に酔ったり、快楽的遊び、ドラッグ(麻薬類)、安易に人の心を操る宗教、占いなどに、人々が群がっています。
しかし、そのようなもので心のむなしさをいやすことはできませんから、意欲や気力が尽き果ててしまう人が出て来るのです。


定年退職したあと、気力を打ち込んで、働くことがなくなり、酒や精神安定剤に頼りがちになる人も少なくありません。
しかし、人の霊魂は創造者なる神のご人格に似せて造られていますから、救い主なる神キリストを心に受け入れるまで、決して心のむなしさはいやされず、満たされません。
ぜいたくな生活も、海外旅行も、一時的に楽しく、満足しても、真の愛の喜びになっていません。
言葉で言い表せないむなしさと不満が心を支配し続けます。


周りの人を見回すと、みんな幸せそうに見えます。
幸せでないのは、自分だけに思えてきます。これは、大人だけでなく、子どもでも同じです。
一流大学を出て、一流企業で働いている、エリートと言われている人の中にもいます。
あなたは、「今の自分から逃げ出したい。」と思っていませんか。
幸福そうにしているのは、表面だけで、実際の心は非常に弱っていませんか。


ドイツのナチスの収容所生活を経験したフランクルはこう言っています。

「内面的なより所を持たなくなった人間だけが崩壊して行った。」

私は、あなたが安易な道に救いを求めて行かれることを、心配しています。
そこには滅びはあっても、救いはないからです。
ぜひ、キリスト教会に出席されて、聖書から、あなたの心のより所となってくださる、救い主イエス・キリストを見つけてください。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエス・キリスト)のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
(マタイ11:28)

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」
(箴言4:23)

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