音声:信仰の列伝(37) 「愛され、疑われ、勝利を収めたダビデ」(サムエル記第一18章:1~30)へブル人への手紙11章32~34節

2017年4月30日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明牧師

へブル人への手紙11章32~34節

11:32 これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。
11:33 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、
11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
【新改訳改訂第3版】

<インフォメーション>

これまで、心を尽くして主を愛し、自分を愛するように隣人を愛することをお話してきましたが、反対に、自分が神と人とに愛される人物になることは、自分の努力でできるものではありません。これは、神の特別な祝福です。

「一方、少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。」(サムエル第一、2:26)

「神と人との前に好意と聡明をえよ。」(箴言3:4)

「神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒2:47)

「このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。」(ローマ14:18)

周りの人々が、信仰と敬意を持って、愛してくださることは、求めて得られるものではありません。

これは、有名な神学大学を出ている先生とか、地位のある先生と言って尊敬されているのとは違います。神の御霊がその人の内に留まっておられることの故に、分別のある周りの人が愛して止まないようになる人のことです。これは教団や教会の指導者のことではありません。立派な聖徒と言われている人が、実際は自分の知恵と知識に凝り固まっている人であったりして、人間の指導者についていって必ず失望させられます。それは人間の指導者に従っている自分が間違っているのです。

しかし、神と人に愛されている人には、いつも神の同行と、霊的祝福があります。この人が導いている間は、神の恵みが途絶えることはありません。

神と人に愛されるためには、何が必要なのでしょうか。

それはすでに、ダビデが選ばれる所でお話しました。

へりくだっていること、

毎日羊飼いの仕事に信仰を活用して、獅子や熊と戦っていたこと、

兄たちと争わなかったこと、

普段使っている石投げの、熟達した技術を持っていたこと、

巨人ゴリヤテと戦うような困難にも恐れず、主の御名を用いたことです。

一言で言えば、主が喜ばれる信仰を持って、毎日、羊飼いの仕事をし、その信仰の実質が自分の人格の性質の中に、生活に、仕事に、選択や、判断やあらゆる思いや行ないの内に現われて来るようになる時、主は私をも神の器として、愛して用いて下さるようになります。

「大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(テモテ第二、2:20~21)

「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」(ペテロ第二、1:5~8)

時々「自分を愛してくれる人はだれもいない。」と泣き言を言う人がいますが、その人を慰めるために「神様があなたを愛してくださっていますよ。」と言うことがありますが、ここではそう言う意味での愛を扱っているのではありません。

ここでは、神に愛されるべき信仰を働かせている人が、神と人に愛されるようになる経験のことです。自分の信仰を働かせないで、理屈だけをこねていて、神の愛の臨在を求めても、受けることはできません。

心を尽くして神と隣人を愛している人は、必ず、神と人から愛される人になります。

<今週の活用聖句>

ガラテヤ人への手紙5章6節
「キリスト・イエスにあっては、…愛によって働く信仰だけが大事なのです。」

上の写真は、写真は、ドイツの画家Julius Schnorr von Carolsfeld (1794–1872)による「Jonathan Lovingly Taketh His Leave of David(ヨナタンはダビデが去ることを愛をもて受け入れた)」(«Die Bibel in Bildern»(1860)の版画、Wikimedia Commonsより)


エルサレムにある「ダビデの町」(ダビデの宮殿の遺跡があるところ)の入口には、ダビデがいつも手にしてひいていた琴のオブジェが飾られています。

地の塩港南キリスト教会
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