聖書の探求(317a) サムエル記第二9章 ヨナタンの息子メフィボシェテを招き、親切を施し、名誉を与える

オランダの印刷本の版画の挿絵「ダビデは宮殿でメヒボシェテを迎え、メヒボシェテはダビデの前にひざまずく」、17世紀ころの作品、作者不明(Wikimedia Commonsより)
この章は、ダビデが大成功を収めた時、彼の最盛期に(多分、ダビデの四十年間の治世の中頃の時代と思われます)、ヨナタンとの約束を実現するために、ヨナタンの息子メフィボシェテを招き、親切を施し、名誉を与えています。
9章の分解
1~8節、ダビデ、メフィボシェテを招く
9~11節、ダビデ、メフィボシェテを祝す
12~13節、メフィボシェテの家族と彼の生活
1~8節、ダビデ、メフィボシェテを招く
1節、ダビデは戦いが一時、休止している時、ヨナタンとの契約を果たしたいと思い、サウルの家の者で、まだ生き残っている者を捜しています。
Ⅱサム9:1 ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。」
ダビデは決してヨナタンとの契約を忘れてはいなかったし、その時の自分の都合で安易に約束したのでもなかったのです。ダビデは約束したことを必ず守ったのです。旧約の神の名「ヤーウェ」の意味の一つは、「契約を必ず守られるお方」です。もう一つの意味は、人が神に対して取る態度と同じように神もその人に同じ態度を取られることです。主に信頼して従う人には、主もまたその人に近づいて恵みを与えてくださるお方、主に対して心を閉じて、頑なな態度を取る人には、主もまた頑なに敵対される神という意味です。「ダビデの子」主イエス様も、必ずお約束をお守りくださり、ご自分を信じる者を完全に救ってくださるお方です(へブル7:25)。
2節、サウルの執事であったツィバは、その後もサウルの家の財産の残りを管理していました。ダビデはヨナタンとの約束を果たすための人物を捜すために、ツィバを呼び出しています。
Ⅱサム 9:2 サウルの家にツィバという名のしもべがいた。彼がダビデのところに召し出されたとき、王は彼に尋ねた。「あなたがツィバか。」すると彼は答えた。「はい、このしもべです。」
3節、聖書は1節と3節で、二度も「その者に恵みを施したい」と言っています。
Ⅱサム 9:3 王は言った。「サウルの家の者で、まだ、だれかいないのか。私はその者に神の恵みを施したい。」ツィバは王に言った。「まだ、ヨナタンの子で足の不自由な方がおられます。」
恵みは、主の愛の故に、受ける資格のない者に、約束によって与えられるものです。主の恵みも、受ける資格のない私たちに、主イエス様の十字架の約束に従って、信じるすべての人に与えられるのです。
ダビデの求めに対して、ツィバは「ヨナタンの子で足の不自由なメフィボシェテ」がいることを告げています。
4節、ダビデは彼がどこにいるのかを尋ねています。
Ⅱサム 9:4 王は彼に言った。「彼は、どこにいるのか。」ツィバは王に言った。「今、ロ・デバルのアミエルの子マキルの家におられます。」
サウルの家の者たちが散り散りばらばらになっていて、その行方が分からなくなっていたのです。
メフィボシェテはヨルダン川を越えた東の地、以前のイシュ・ボシェテの都だったマハナイムの近くの、ロ・デバルのアミエルの子マキルの家に住んでいました。
5節、ダビデはすぐに人をやって、マキルの家からメフィボシェテを連れて来させています。
Ⅱサム 9:5 そこでダビデ王は人をやり、ロ・デバルのアミエルの子マキルの家から彼を連れて来させた。
6節、メフィボシェテは、ダビデのところに来て、ひれ伏して礼をしています。
Ⅱサム 9:6 サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテは、ダビデのところに来て、ひれ伏して礼をした。ダビデは言った。「メフィボシェテか。」彼は答えた。「はい、このしもべです。」
これはダビデの意図が知らされていなかったからです。ですから、通常は王制国家では、敵対していた者の家族が連れ出された時には、殺害されることが考えられますから、メフィボシェテも自分が殺されることを覚悟して、その恐怖を、ダビデの前にひれ伏して礼をすることによって示していたのです。
7節、ダビデはメフィボシェテの名前を確かめて後、彼を呼び出した意図を明らかに示しています。
Ⅱサム 9:7 ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。あなたの祖父サウルの地所を全部あなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。」
それはダビデとヨナタンとの間の契約によって、彼に恵みを与えたいことと、彼の祖父サウルの財産だった地所を全部、彼に返されることと、彼自身はダビデの王宮で生活できることを約束しています。「私の食卓で食事をしてよい。」とは、ただ食事をすることだけでなく、ダビデ王の保護を受ける権利が与えられることを意味しています。
このことは、現代の私たちにも約束されていることです。私たちはすでにイエス様の十字架の贖いが与えられていますから、真実にイエス様を信じているなら、神の怒りや刑罰を恐れる必要はありません。主は私たちを御国の祝宴に招いてくださっているのです。
「あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。」(マタイ8:11)
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。」(ローマ8:14,15)
8節、「この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか。」これは、メフィボシェテのへりくだった態度を示しています。彼は自分を全く無価値な者としています。
Ⅱサム 9:8 彼は礼をして言った。「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか。」
主イエス様は、「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:13)と言われました。パウロも「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。」(コリント第一1:27~29)と言っています。
9~11節、ダビデ、メフィボシェテを祝す
ダビデは、サウル家の管理人をさせていたツィバに、今までサウルとその一家の所有となっていた財産をみな、メフィボシェテに与えると命じました。そして、その土地をしもべたちが耕し、その作物をメフィボシェテのものとするように命じています。
Ⅱサム 9:9 そこで王はサウルのしもべツィバを呼び寄せて言った。「サウルと、その一家の所有になっていた物をみな、私はあなたの主人の子に与えた。
9:10 あなたも、あなたの息子たちも、あなたの召使いたちも、彼のために地を耕して、作物を得たなら、それはあなたの主人の子のパン、また食物となる。あなたの主人の子メフィボシェテは、私の食卓で、いつも食事をすることになる。」ツィバには十五人の息子と二十人の召使いがあった。
ツィバには十五人の息子と二十人のしもべがいました。ダビデは以前からサウル家の財産の管理者であったツィバを続けて用いて、メフィボシェテの財産を管理させたのです。それはツィバが忠実な管理者だと認めたからでしょう。
Ⅱサム 9:11 ツィバは王に言った。「王さま。あなたが、このしもべに申しつけられたとおりに、このしもべはいたします。」こうして、メフィボシェテは王の息子たちのひとりのように、王の食卓で食事をすることになった。
12~13節、メフィボシェテの家族と彼の生活
12節、メフィボシェテは、サウルとヨナタンが死んだ時、わずか五才でした(4:4)。しかし、この時にはミカという小さい子どもがいました。この後、ツィバの家族としもべたちは、メフィボシェテのしもべとなっています。
Ⅱサム 9:12 メフィボシェテにはミカという名の小さな子どもがいた。ツィバの家に住む者はみな、メフィボシェテのしもべとなった。
13節、メフィボシェテ自身は、ヨナタンとの契約によって、エルサレムのダビデの王宮に住み、王の家族の一員として迎えられたのです。
Ⅱサム 9:13 メフィボシェテはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足が共になえていた。
聖書は最後に、「彼は両足が共になえていた。」と記しています。彼は足の不自由な状態にありましたが、過去の負債も全部払われ、殺害される恐怖もなくなり、将来に対する備えも十分に与えられたのです。
(まなべあきら 2010.8.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)