週報No.2098 涙の預言エレミヤ書(11) 「悔い改めの必要」 3:1~5

2017年10月22日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(11) 「悔い改めの必要」 3:1~5

エレミヤ書3章1~5節

3:1 もし、人が自分の妻を去らせ、彼女が彼のもとを去って、ほかの男のものになれば、この人は再び先の妻のもとに戻れるだろうか。この国も大いに汚れていないだろうか。あなたは、多くの愛人と淫行を行って、しかも、わたしのところに帰ると言っている。──【主】の御告げ──
3:2 目を上げて裸の丘を見よ。どこに、あなたが共寝をしなかった所があろう。荒野のアラビヤ人がするように、道ばたで相手を待ってすわり込み、あなたの淫行と悪行によって、この地を汚した。
3:3 それで夕立はとどめられ、後の雨はなかった。それでも、あなたは遊女の額をしていて、恥じようともしない。
3:4 今でも、わたしに、こう呼びかけているではないか。『父よ。あなたは私の若いころの連れ合いです。
3:5 いつまでも怒られるのですか。永久に怒り続けるのですか』と。なんと、あなたはこう言っていても、できるだけ多くの悪を行っている。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

自分の人生をどう歩めばよいか、その指針を問われれば、次のことが挙げられるでしょう。

1、日々に、霊感された神のみことばである聖書によって、自分の内なるいのちと、カを、元気を、意欲と気力を、養うことです。

2、ダビデがしたように、毎日、自分の前に主を置いた生活をすることです。どのような課題に対しても、自分の欲によって選ばず、神のみこころに委ねてすることです。

3、毎日、機会ある毎に、主と交わる祈りをすることです。手を組んで、口から祈りのことばが出ている時だけが祈りではありません。いつも心に、主と交わる営みをしていることが「絶えず祈っている」祈りです。

4、同じ信仰と、きよめと、神の義と愛と、敬虔とを求めている兄弟姉妹と交わることです。

5、主の愛の動機を持って、隣人を愛し、主に仕える思いで、人に仕えることです。これが主を証しする、愛の奉仕です。

人生の航海の偉大な水先案内人であられる主イエスは、私の人生を安全に導き、私と共に歩み、恵みの道に導いて下さいます。

このように主イエスは、私の人生を安全に導いて下さるのに、何故、私は、イエス様から目を離レて、荒れ狂う波間に沈みかけていなければならないのか。

主イエスが私のために、ご計画を持って待っておられるのに、何故、私は自分の欲のために、迷っているのか。

主のご計画は、毎日、少しずつ明らかになっていくのに、何故、私は、早く先の先まで知ろうと、焦っているのか。

主が私の船の舵を取っておられるのに、進路を明確にしておられるのに、何故、私は自分の知恵で手探りして、さまよっているのか。

「主よ。どうか、あなたのみことばと聖霊によって、主の約束を確信させて下さい。日毎に受け入れさせて下さい。主に明け渡した心だけが、神のご計画された人生を送ることができるのです。思い煩ったり、主を妨げることなく、主の導きに従い、お任せします。」

この世を越えた所に、神の御座があり、人となられたお方イエス・キリストが座しておられます。この戦争と、テロと、堕落と、闘争と混乱の中でも、主イエスはこの世の滅びる人に対して、救いのご計画を持っておられます。

そのご計画を成し遂げるために、キリストの御霊がお降りくださり、私たちの内にお住み下さっているのです。

そして、主は滅びるたましいを救うために、みこころを成し遂げるために、キリストの御霊を内に持っている私やあなたを必要としているのです。

「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(テモテ第二、2:21)

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙12章1節

「そういうわけですから、兄弟たち。私は神のあわれみのゆえに、あなたがたにお顔いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

<集会案内>

◇10月25日(水)聖別会 午前10時半
聖潔の諸要素(89)
「生来の能力を発達させるための精神的要素」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421