週報No.2115 涙の預言エレミヤ書(26)「真の神の力」エレミヤ書10:6~10
2018年2月11日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
涙の預言エレミヤ書(26)「真の神の力」エレミヤ書10:6~10
エレミヤ書10章6~10節
10:6 【主】よ。あなたに並ぶ者はありません。あなたは大いなる方。あなたの御名は、力ある大いなるものです。
10:7 諸国の民の王よ。だれかあなたを恐れない者がありましょうか。それは、あなたに対して当然なことです。諸国の民のすべての知恵ある者たちの中にも、そのすべての王国の中にも、あなたと並ぶような者はいないからです。
10:8 彼らはみなまぬけ者で愚かなことをする。むなしい神々の戒め-それは木にすぎない。
10:9 銀箔はタルシシュから、金はウファズから運ばれる。偶像は木工と金細工人の手の作。その衣は青色と紫色、これらはみな、名匠の作。
10:10 しかし、【主】はまことの神、生ける神、とこしえの王。その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージの要点>
「主よ。あなたに並ぶ者はありません。あなたは大いなる方。あなたの御名は、力ある大いなるものです。」(エレミヤ10:6)
主は全能の神、いのちの創造者、エル・シャダイです。私たちは、その神の大いなるみ力を毎日使って生きているのです。毎日、キリストの御霊によって内なる人を強めていただいて、主を証しする生活をさせていただいているのです。それによって一日の分が足りているのです。
主はモーセの時代のイスラエル人を、毎日マナで養われたように、主は今もご自分の信仰者を、いのちのみことばと、主イエスの血潮と、聖霊によって、十分に養って下さっているのです。もしこの主の養いが止まったら、私たちは平安も、喜びも、霊の元気も力も、失ってしまいます。いのちのパン、いのちの水を失うからです。私たちは、偶像礼拝者が持っていないものを、毎日、新たに、主から受けているのです。
まことに主イエスだけが、礼拝を受けるにふさわしい大いなる神です。この宇宙の最も賢い者であっても、主に並ぶことの出来る者はいません。
「彼らはみなまぬけ者で愚かなことをする。むなしい神々の戒め-それは木にすぎない。」(エレミヤ10:8)
「むなしい神々の戒め-それは木にすぎない。」は、直訳では「むなしいことの教えは、木そのものである。」となります。偶像の教えは、偶像そのものと同じようにむなしい、という意味です。
偶像礼拝には、道徳的な力も、霊的な力もありません。人間の欲と快楽に堕落させるだけです。偶像を作り、偶像を拝むことを教える者は、偶像自体と同じで、木製の命のない人形のようです。
10章9節の銀箔は、タルシシュから連んできた銀です。タルシシュは、古代の「世界の果て」を表わす時に使われている言葉ですが、七十人訳聖書では「カルタゴ」となっており、またスペインのタルテサスと言う人もいますが、明白ではありません。
金の偶像は「ウファズ(詳細な位置は不明)から運ばれ」てきた金で飾られ、名工の手で作られた作で高価でしょうが、中身はただの木でしかありません。
「ウファズ」は、ここと、ダニエル書10:5にだけ出てくる地名で、金で知られていたオフィルと同じと考える人もいます。
「しかし、主はまことの神、生ける神、とこしえの王。その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。」(エレミヤlO:10)
主はまことの神です。
神の本質は、霊であり、無限であり、いのちであり、永遠で、真実です。
その本質によって、神がご人格をもって、怒られる時、地は震え、主の憤りに国々は耐えられなくなるのです。
<今週の活用聖句>
マタイの福音書11章29節
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
<集会案内>
◇2月14日(水)聖別会 午前10時半
必要な諸区別(15)
「新生と聖化(2)神の働きの違い」
地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421