週報No.2114 涙の預言エレミヤ書(25)「苦渋する預言者」エレミヤ書9:3~12

2018年2月4日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(25)「苦渋する預言者」

エレミヤ書9章3~12節

9:3 彼らは舌を弓のように曲げ、真実でなく、偽りをもって、地にはびこる。まことに彼らは、悪から悪へ進み、わたしを知らない。──【主】の御告げ──
9:4 おのおの互いに警戒せよ。どの兄弟も信用するな。どの兄弟も人を押しのけ、どの友も中傷して歩き回るからだ。
9:5 彼らはおのおの、だまし合って、真実を語らない。偽りを語ることを舌に教え、悪事を働き、依然として悔い改めない。
9:6 彼らはしいたげに、しいたげを重ね、欺きに欺きを重ねて、わたしを知ろうともしなかった。──【主】の御告げ──
9:7 それゆえ、万軍の【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らを溶かしてためす。いったい、わたしの民の娘に対し、ほかに何ができようか。
9:8 彼らの舌はとがった矢で、欺きを語る。口先では友人に平和を語るが、腹の中では待ち伏せを計る。
9:9 これらのために、わたしは彼らを罰しないだろうか。──【主】の御告げ──このような国に対して、わたしが復讐しないだろうか。」
9:10 私は山々のために泣き声をあげて嘆き、荒野の牧草地のために哀歌を唱える。そこは、焼き払われて通る人もなく、群れの声も聞こえず、空の鳥から家畜まで、みな逃げ去っているからだ。
9:11 わたしはエルサレムを石くれの山とし、ジャッカルの住みかとする。ユダの町々を荒れ果てさせ、住む者もなくする。
9:12 知恵があって、これを悟ることのできる者はだれか。【主】の御口が語られたことを告げ知らせることのできる者はだれか。どうしてこの国は滅びたのか。どうして荒野のように焼き払われて、通る人もないのか。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>
  
 エレミヤはその説教の中で、これは罪を悔い改めて、神に立ち返らなかった結果であると、訴えているのです。
 放蕩息子が父親のもとに帰って、祝福を受けたように、神の救いと祝福を受けるためには、罪を悔い改めて、神に立ち返るほかに、道がありません。しかし、神に立ち返った人には、間違いなく、救いと祝福が与えられます。

 「私は山々のために泣き声をあげて嘆き、荒野の牧草地のために哀歌を唱える。そこは、焼き払われて通る人もなく、群れの声も聞こえず、空の鳥から家畜まで、みな逃げ去っているからだ。」(エレミヤ書9:10)

 バビロンの侵略者は、人間の生活するあらゆる分野を荒廃させてしまいます。それは人に対するだけでなく、空の鳥や野の獣さえ、餌がなくなるので、逃げ去ってしまいます。

 「わたしはエルサレムを石くれの山とし、ジャッカルの住みかとする。ユダの町々を荒れ果てさせ、住む者もなくする。」(エレミヤ書9:11)

 このエレミヤの預言を、ユダとエレサレムの住民のほとんどの人は信じませんでしたが、それから間もなく、紀元前586年に実際に起きたのです。その時、わずかに残った者たちは、ミツパで総督を殺し、エレミヤを連れて、エジプトに逃げたのです。

 それから多くの期間、捕囚から帰還するまで、エレサレムは預言の通り、ジャッカルや野獣の住みかとなっていたのです。

 今世紀に至っても、ネブカデネザルが破壊したユダの町々のいくつかは、人の住まない、荒廃したままになっています。

 再び、エルサレムとユダの民の不忠誠と偽りの礼拝の結果が、何をもたらすかを教えています。

 「知恵があって、これを悟ることのできる者はだれか。主の御口が語られたことを告げ知らせることのできる者はだれか。どうしてこの国は滅びたのか。どうして荒野のように焼き払われて、通る人もないのか。」(エレミヤ書9:12)

 預言者は、答えを尋ねているのではありません。彼が涙を流して、イスラエルの滅亡を訴えても、信じようとしない、罪を悔い改めようとしない、心の頑なさを残念がっているのです。

 霊の目が開かれている人には、神の国の幸いも、ゲへナの火の苦しみも見えているのに、主を拒んでいる人には、破滅のなだれが始まっていても、数時間後に自分がそこに巻き込まれていることになっても、目先のことしか求めないのです。だから滅びてしまうのです。今現在、主を拒んで、しばらく自分中心にやっていることが、間もなく、後に、やって来る、厳しい滅亡の原因となるのです。

 だれでもが、この破滅に陥った後に、この真理を悟るのです。 信仰とは、破滅に至る前に、このことを悟って、心と生活の方向転換をして、主を自分の救い主として信じて受け入れることです。

 滅亡した後に、このことを悟っても、信仰にはなりません。あなたを滅亡から救いません。それ故、エレミヤは「知恵のある者はひとりもいない。」と言ったのです。

 預言者たちは大勢いても、神の警告のメッセージをまっすぐに語る預言者がいない。それ故、神はご自分のしもべエレミヤを用いて語られたのです。

 私たちも、エレミヤの神を思い、滅びる同胞を思う、この断腸の思いを学ぼうではありませんか。

 この思いを持つことこそ、キリスト・イエスの心を心とすることです。

<今週の活用聖句>

マタイの福音書11章29節
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」

<集会案内>

◇2月7日(水)聖別会 午前10時半
 必要な諸区別(14)「新生と聖化(1)回心の時に潔められない」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421