週報No.2129 涙の預言エレミヤ書(39)「心を探る」エレミヤ書17:10~13

2018年5月20日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(39)「心を探る」エレミヤ書17:10~13

エレミヤ書17章10~13
17:10 わたし、【主】が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。
17:11 しゃこが自分で産まなかった卵を抱くように、公義によらないで富を得る者がある。彼の一生の半ばで、富が彼を置き去りにし、そのすえはしれ者となる。」
17:12 私たちの聖所のある所は、初めから高く上げられた栄光の王座である。
17:13 イスラエルの望みである【主】よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。「わたしから離れ去る者は、地にその名がしるされる。いのちの水の泉、【主】を捨てたからだ。」【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>
  
 ヨハネ16:33後半で、主イエスは、「あなたがたは、世にあっては患難があります。」と言われました。しかし患難があれば、私たちは暗やみの中を歩くことになるとは言われません。ヨハネ8:12では「…わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と言われました。

 苦難は忍耐や苦しみを味わわせますが、決して暗やみをもたらすものではありません。不信仰、不服従が私を暗やみに引きづり込むのです。

 苦難の生活をしていても、主のみことばを私の足のともしび、道の光として、活用しているなら、私は心にいのちの光を持って、困難を乗り越えていけるのです。

 それ故、困難を憂えず、不信仰を悲しみ、避けましょう。

 風の吹かない日がないように、波の立たない海がないように、困難、苦難のない日は、私の生涯で一日もなくすことはできないでしょう。しかし「主が私の前にいて下さらない日」を一日もなくすことはできます。

 そうすれば、仕事が困難でも、学校や家庭に困難があっても、心は安らかでいられます。このようにして、困難は解決し、乗り越えて行くのです。

 今、暗い道を歩んでいると思っている人がいるなら、目の前の困難がなくなれば、明るくなれると、思ってはいけません。直ぐに次の心配事が待っているからです。

 「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50:15)

 嵐は通り過ぎていくものです。しかし、私たちの心を恐れさせ、心配させます。それで外に出て、海や川を見に行って、事故に会うのです。

 嵐の日には、主イエスを避け所として、逃れ場として、いつまでもとどまっていて下さい、そうすれば、いのちの光は消えることがありません。

<今週の活用聖句>

詩篇50篇15節
「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」

<集会案内>

◇5月23日(水)聖別会 午前10時半
 聖潔とは何か(2)
 「神の備えておられるもの」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421