週報No.2128 涙の預言エレミヤ書(38)「暗黒の日の預言」エレミヤ書17:5~9

2018年5月13日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(38)「暗黒の日の預言」エレミヤ書17:5~9

エレミヤ書17章5~9
17:5 【主】はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が【主】から離れる者はのろわれよ。
17:6 そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。
17:7 【主】に信頼し、【主】を頼みとする者に祝福があるように。
17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。
17:9 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>
  
 第一は、信頼するものを比べています。
「主はこう仰せられる。『人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。』」(エレミヤ17:5)

 自分中心の不敬虔な者は、人の力を当てにし、自分の肉の力に頼っています。しかし、神を畏れかしこむ者は、主に信頼し、主にのみ頼ります。この二つの違いは、天と地ほどの違いがあります。

 「肉」は、神に逆らう、自己中心の性質と欲の力を表わしています。誘惑に傾きやすい、負けやすい弱さ、自分だけが満足し、喜べばいいとする、自己愛の性質です。これは神の実を結ばないものです。

 これに対して、主を「私のちから、私のとりで、苦難の日の私の逃げ場」としている人は、生ける全能の神、いのちの創造者であられるエル・シャダイを、自分の生命力、カとしているのです。

 この私が、どちらを信じて自分の内に受け入れるかによって、私の人格の性質を決定するのです。ヤーウェなる、エル・シャダイを私の神とする以上に、すばらしく偉大なお方はいるでしょうか。

 第二は、信仰の作用の仕方を比べています。
「そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。」(エレミヤ17:6~7)

 人の知恵と肉の力に頼っている者は、神の救いと恵みを受ける機会が訪れても、それを自分のものにすることができません。

 一方、主に信頼する者は、日照りのききんの時にも、試練の熱風も、信仰の人を打つことがなく、いのちの泉から飲んで、実を結ぶのです。

 人の知恵と力に頼る人は、真理が見えず、神のみわざが見えず、物事の本質が見えていません。

 これに対して、主のみことばを心に植えつけている人は、自分の未来のいのちに対しても、確信を持っています。

 信仰だけが、御子イエス・キリストの内に、恵みの奥義が隠されていることを知っているのです。

 私の人生を永遠に価値あるものにするのに必要なのは、信仰の活用だけです。
「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」(コロサイ2:3)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてめことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

 第三は、信仰の結果です。
「その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。」(エレミヤ17:8)

 神なき人でも、健康で、お金もあって、安心して、繁栄している人もいます。そのまま死を迎える人もいます。それを、ねたんだり、羨んだり、神に訴える人もいます。

 もし人のたましいが、この世だけのものなら、矛盾だらけで、神も放っておかないでしょう。しかし、彼にあるものは、この世で朽ちるものだけです。

 主イエスは、「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」(ヨハネ6:27)と言われました。

 神なき人は、健康で、裕福であっても、「荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地」、たましいの不毛の地、永遠の滅亡の地に住んでいるのです。

 しかし、主のいのちを内に持つ人は、「水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばしている木」のように、主イエスから永遠のいのちの水を飲んでいます。

 その人たちは、隣人を愛し、互いに赦し合い、助け合い、重荷を負い合い、御霊の実を結んでいます。

 この二つの道は、何と違っているでしょうか。これがエレミヤが見た信仰の結果です。圧倒的に多くの人々が、人の知恵と力に頼る道を歩んでいます。あなたはどちらを選んでいますか。

<今週の活用聖句>

テサロニケ第一、5章23節 
「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」

<集会案内>

◇5月16日(水)聖別会  午前10時半
    聖潔とは何か(1)
  「序論-聖潔とは何か」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421