音声:使徒の働き(036)  神聞神従 4:15~22

 

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使徒の働き
4:15 彼らはふたりに議会から退場するように命じ、そして互いに協議した。
4:16 彼らは言った。「あの人たちをどうしよう。あの人たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全部に知れ渡っているから、われわれはそれを否定できない。
4:17 しかし、これ以上民の間に広がらないために、今後だれにもこの名によって語ってはならないと、彼らをきびしく戒めよう。」
4:18 そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた。
4:19 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。
4:20 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
4:21 そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。
4:22 この奇蹟によっていやされた男は四十歳余りであった。【新改訳改訂第3版】

(たけさんの一口まとめ)
誰に聞くか、誰に従うか、と言うことは重要な事です。
これを間違えるとひどい目に合います。
ペテロは「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」と言いました。
人の権力を恐れず、神のみことばだけに従っていくということは、大変困難な目に合うが、それでも神のみことばを選んで進む者には、神は必ず大いなる恵みを与えてくださいます。このような人は、実際は少ないのです。狭い道を選択する人は少ないのです。
サタンの言葉は、自分の心の中に語り掛けて来たり、他人のことばを通してやって来たりするので、よく聞いて区別しないといけません。
自分の思いに従うのではなく、神のことばを選ぶのが信仰です。牧師に従うのでもありません。どこまでもイエス様に従うのです。

(参照聖句)
エレ 20:9 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。

写真は、フランスの画家Nicolas Poussin (1594–1665) が1655年に描いた「Saints Peter and John Healing the Lame Man(足の不自由な男を癒すペテロとヨハネ)」(Metropolitan Museum of Art蔵)