週報No.2141 涙の預言エレミヤ書(51)「何をみているのか」エレミヤ書24:1~3

2018年8月12日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(51)「何をみているのか」エレミヤ書24:1~3

エレミヤ書24章1~3節
24:1 バビロンの王ネブカデレザルが、エホヤキムの子、ユダの王エコヌヤと、ユダのつかさたちや、職人や、鍛冶屋をエルサレムから捕らえ移し、バビロンに連れて行って後、【主】は私に示された。見ると、【主】の宮の前に、二かごのいちじくが置かれている。
24:2 一つのかごのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものである。
24:3 そのとき、【主】が私に、「エレミヤ。あなたは何を見ているのか」と言われたので、私は言った。「いちじくです。良いいちじくは非常に良く、悪いのは非常に悪く、悪くて食べられないものです。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>
  
 「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」(エレミヤの幻の理解、エレミヤ書24:1~3)

 神の預言者は、神が見せられるものを正しく見るだけでなく、意図されている真理を正確に悟る必要があります。

 それには、ヨナのような熱狂的愛国心も邪魔になることがあり、ヨプの友人たちのような、宗教哲学や、神秘主義や、道徳、倫理主義や、律法的完全主義や、人本主義、ギリシャのグノーシスとユダヤ主義、マニ教の二元論など、知識があればあるほど、それらが邪魔になってきます。

 主の預言者は、主のメッセージをそのまま脚色しないで、鮮明に映し出す、きよめられた魂を持っていなければなりません。

 私たちが、聖書を読んでも、メッセージを聞いても、霊的経験をしても、それを主のみこころにふさわしく受け取る信仰が必要なのです。

 そのためには、私の心が主と同じ、一つになっていなければなりません。「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。」と言われているとおりです。

 主が、「野の花を見なさい。」「空の鳥を見なさい。」と言われた時、「野のゆりは、美しいですね。」と花の美しさが分かっただけでは、「鳥が何羽いるか。」分かっただけでは、神のメッセージを受けた事になりません。「見なさい。」と言われた神の意図、目的を悟っていないからです。

 「見なさい。」と言うご命令の中に、私の全ての必要を満たし、思い煩いを解決して下さる、私の父なる神が、全てを構えて下さる事を確信して、それらを全て主にお任せして、神の国と神の義を、即ち、キリストご自身を求めることです。

 それを、いつまでも思い悩んで、思い煩っているのが、幼子のクリスチャンです。

 だれでも最初は幼子ですが、一日一時間、聖書のみことばに集中する時間をとって下さい。ある人は、その時間に、CDのメッセージを聞かれたり、聖書と聖書の探求を学んでいると言っでいます。

 私がお勧めし、お願いしたいのは、学ぶだけに終わらず、学んだことを、主イエスに仕える思いで、どんな小さな事にも活用することです。そうすると、毎日毎日、みことばがあなたの心を照らす、足のともしび、道の光、一日の希望の光、生きる力となってきます。一年もすれば、あなたは神と人のために役に立つしもべになります。

 更に困難の時に、みことばと聖霊によって乗り越え、忍耐が訓練され、品性が練られ、神の愛が注がれて、大人のクリスチャン、神と人に役に立つ、有益な働き人になります。

 エレミヤも一歩一歩、この道を歩まされたのです。

「そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:3~5)

 「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(テモテ第二、2:21)

 「あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じていません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」(へプル6:12~14)

 これは、すべての信仰者が、主の役に立つ人になるために、通るべき道です。

<今週の活用聖句>

マタイの福音書6章33節
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

<集会案内>

◇8月15日(水)聖別会 午前10時半
    聖潔とは何か(14)
    「聖潔の道を歩む(2)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421