週報No.2140 涙の預言エレミヤ書(50)「神から出たものではない」エレミヤ書23:23~32

2018年8月5日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(50)「神から出たものではない」エレミヤ書23:23~32

エレミヤ書23章23~32節
23:23 わたしは近くにいれば、神なのか。──【主】の御告げ──遠くにいれば、神ではないのか。
23:24 人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。──【主】の御告げ──天にも地にも、わたしは満ちているではないか。──【主】の御告げ──
23:25 「わたしの名によって偽りを預言する預言者たちが、『私は夢を見た。夢を見た』と言ったのを、わたしは聞いた。
23:26 いつまで偽りの預言が、あの預言者たちの心にあるのだろうか。いつまで欺きの預言が、彼らの心にあるのだろうか。
23:27 彼らの先祖がバアルのためにわたしの名を忘れたように、彼らはおのおの自分たちの夢を述べ、わたしの民にわたしの名を忘れさせようと、たくらんでいるのだろうか。
23:28 夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。──【主】の御告げ──
23:29 わたしのことばは火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか。──【主】の御告げ──
23:30 それゆえ、見よ、──【主】の御告げ──わたしは、おのおのわたしのことばを盗む預言者たちの敵となる。
23:31 見よ。──【主】の御告げ──わたしは、自分たちの舌を使って御告げを告げる預言者たちの敵となる。
23:32 見よ。わたしは偽りの夢を預言する者たちの敵となる。──【主】の御告げ──彼らは、偽りと自慢話をわたしの民に述べて惑わしている。わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかった。彼らはこの民にとって、何の役にも立ちはしない。──【主】の御告げ──
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>
  
 主は、すべての偽善と虚偽なるものを、主のみことばによって滅ぼされます。

 その根本的違いは、神の啓示によるみことばには、たましいを救い出し、変貌させる力があります。

「わたしのことばは火のようではないか。また、岩を打ち砕く金槌のようではないか。-主の御告げ-」(エレミヤ23:29)

 神のみことばが、「火のようではないか」とは、たましいが神を求めて渇くように、神の火をつけて心を燃やし、罪、汚れ、自分中心の自我を焼き尽くして、きよめます。

 「岩を砕く金槌のようではないか。」とは、高慢で、頑なな心を打ち砕いて、謙遜な心にする権威を持っています。

 「父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。」(ヤコブ1:18)

 「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」(ヤコブl:21)

 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(へブル4:12)

 「あなたがたは、わたしが話したことばによって、もうきよいのです。」(ヨハネ15:3)

 真に神のことばであれば、信じるすべての人のたましいに、きわめて重要な霊的経験のみわざを起こされるのです。

<今週の活用聖句>

マタイの福音書4章4節
「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

<集会案内>

◇8月8日(水)聖別会  午前10時半
    聖潔とは何か(13)
    「聖潔の道を歩む(1)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421