週報No.2145 涙の預言エレミヤ書(55)「エレミヤの解放」エレミヤ書26:10~19

2018年9月9日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書26章10~19節
26:10 ユダの首長たちはこれらのことを聞いて、王宮から【主】の宮に上り、【主】の宮の新しい門の入口にすわった。
26:11 祭司や預言者たちは、首長たちやすべての民に次のように言った。「この者は死刑に当たる。彼がこの町に対して、あなたがたが自分の耳で聞いたとおりの預言をしたからだ。」
26:12 エレミヤは、すべての首長とすべての民に告げてこう言った。「【主】が、あなたがたの聞いたすべてのことばを、この宮とこの町に対して預言するよう、私を遣わされたのです。
26:13 さあ、今、あなたがたの行いとわざを改め、あなたがたの神、【主】の御声に聞き従いなさい。そうすれば、【主】も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されるでしょう。
26:14 このとおり、私はあなたがたの手の中にあります。私をあなたがたがよいと思うよう、正しいと思うようにしなさい。
26:15 ただ、もしあなたがたが私を殺すなら、あなたがた自身が罪のない者の血の報いを、自分たちと、この町と、その住民とに及ぼすのだということを、はっきり知っていてください。なぜなら、ほんとうに【主】が、私をあなたがたのもとに送り、あなたがたの耳にこれらすべてのことばを語らせたのですから。」
26:16 すると、首長たちとすべての民は、祭司や預言者たちに言った。「この人は死刑に当たらない。私たちの神、【主】の名によって、彼は私たちに語ったのだから。」
26:17 それで、その地の長老たちの幾人かが立って、民の全集団に語って言った。
26:18 「かつてモレシェテ人ミカも、ユダの王ヒゼキヤの時代に預言して、ユダのすべての民に語って言ったことがある。『万軍の【主】はこう仰せられる。シオンは畑のように耕され、エルサレムは廃墟となり、この宮の山は森の丘となる。』
26:19 そのとき、ユダの王ヒゼキヤとユダのすべての人は彼を殺しただろうか。ヒゼキヤが【主】を恐れ、主に願ったので、【主】も彼らに語ったわざわいを思い直されたではないか。ところが、私たちはわが身に大きなわざわいを招こうとしている。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

エレミヤのように、辛辣に神のさばきのメッセージを語るのを、静かに聞くことができる人はいないでしょう。その話が、本当に神から出たメッセージなら、大いに怒らせるでしょう。

ジョン・ウェスレーが説教した時、石が飛んできたり、会衆が暴徒化したことが記録されています。

彼らはそのような態度を取ることによって、自分の内に神に反逆する罪があることを、告白しているのです。

もし預言者や説教者が、真実に神に忠実な人であるなら、聴衆の中に、罪のさばきの説教を聞いて、怒り出す人が必ず、出てくるはずです。

その説教は、最初、聞く人のたましいを傷つけるように思われますが、それは永遠に救い、いやすための神の処置なのです。

もし、この経験がなく、自分にとって都合の良いことばかりの話を聞かされているなら、その説教は、本当に神から出たメッセージか、疑ってみる必要があります。

私たちにとって、神のみことばは、たましいを焼き尽くす「火のようではないか」(エレミヤ23:29)であり、「岩を砕く金槌のようではないか」(同23:29)であり、思いを切り裂く鋭い両刃の剣(へブル4:12)です。

神の前では、だれも裸です。罪を隠すことはできません。

「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明するのです。」(へブル4:13)

「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(エペソ6:17)

本当に、真実に、たましいで神のみことばを握ったことのある人で、たましいが切り裂かれなかった人はいないはずです。神のみことばはそのように働く、両刃の剣よりも鋭い、御霊の剣だからです。

しかし、みことばは、滅ぼす剣ではなく、救い、きよめ、いやす剣です。

ここに、私たちのメッセージが、自分の知恵、知識の思考の産物に過ぎないか、それとも、神から授けられたメッセージであるのかを、判別するテストがあります。

聴衆が、「いい説教でした」と、ほめる説教には、神の証印がありません。

聴衆に耳ざわりがなく、聞こえが良く、受けのいい説教は、神のことばの代用品です。

真に神のみことばなら、心に刺さります。いのちの泉を湧き出させます。キリストの血潮を噴出させます。キリストの御顔の光を、照り輝かせます。たましいを聖霊の火で燃やします。

<今週の活用聖句>

コリント人への手紙4章7節
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」

<集会案内>

◇9月12日(水)聖別会  午前10時半
聖潔とは何か(18)
「聖潔の道を歩む(6)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421