週報No.2144 涙の預言エレミヤ書(54)「それでも語れ」エレミヤ書26:1~9

2018年9月2日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書26章1~9節
26:1 ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの治世の初めに、【主】から次のようなことばがあった。
26:2 「【主】はこう仰せられる。【主】の宮の庭に立ち、【主】の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。
26:3 彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。
26:4 だから彼らに言え。『【主】はこう仰せられる。もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、あなたがたの前に置いたわたしの律法に歩まず、
26:5 わたしがあなたがたに早くからたびたび送っているわたしのしもべである預言者たちのことばに聞き従わないなら、──あなたがたは聞かなかった──
26:6 わたしはこの宮をシロのようにし、この町を地の万国ののろいとする。』」
26:7 祭司と預言者とすべての民は、エレミヤがこのことばを【主】の宮で語っているのを聞いた。
26:8 【主】がすべての民に語れと命じたことをみな、エレミヤが語り終えたとき、祭司と預言者とすべての民は彼を捕らえて言った。「あなたは必ず死ななければならない。
26:9 なぜ、【主】の御名により、この宮がシロのようになり、この町もだれも住む者のいない廃墟となると言って預言したのか。」こうしてすべての民がエレミヤを攻撃しに、【主】の宮に集まった。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>
  
 ここで、私たちが、他の人に働きかける時の思いが、神からの聖霊のうながしであることを、識別することについて、お話しておきましょう。

 私が主の働きをする時、私の思いや動機の中に、現われて来る誇り、他の人より自分のほうが霊的に高いという高慢など、肉の思いは、最大の敵です。

 肉の影響力が、浸透していない生活の分野や、奉仕の分野は一つもありません。

「肉の思いは死であり、御霊による思いはいのちと平安です。」(ローマ8:6)とあるように、たとい、キリストの新しいいのちを受けている人でも、肉の性質が御霊と争っていて、御霊を妨げている時は、肉の思いが働くのです。

 肉の性質が、聖い決心や努力を歪めて、キリストの教会のほとんどの働きが、肉の動機によって行なわれていると気づいた人は、戸惑いを禁じ得ないでしょう。

 聖書は、この肉の性質を、自分中心の自我、神の聖なる愛の交わりを破壊し、死に至る実を結ぶ道、と呼んでいます。

 主イエスは、次のように言われました。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、わたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」(ヨハネ15:5~6)

 この肉の働きは、私が静かに黙想している時、サタンとともに、主との交わりを妨げて、少しでもすぐれた聖徒になれるようにと誘うのです。主はあなたを特別扱いして、すぐれた聖徒にしてくれるでしょうと、高慢に誘うのです。

 このような困難な誘惑を解決する方法は、一つだけあります。それは、自分中心の自我をキリストとともに十字架につけることによってのみ、解決します。

 パウロは次のように言いました。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

 肉の性質の原理は、神に逆らい、神にのろわれており、聖い生活の実を奪ってしまう、狡猾で、有害な支配力で、私たちのたましいの平安を乱し、混乱させます。

 神は、私たちと同じ肉体を取って来られ、私の罪の身代わりとなって死なれた十字架に、私の自分中心の自我を共につけて下さったのです。

 今度は、私たち一人一人が、このイエス・キリストの十字架を自分に当てはめて信じる時、私たちのたましいは、御霊による思い、即ち、いのちと平安に満たされるのです。肉の支配から解放されるのです。

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙6章11節
「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」

<集会案内>

◇9月5日(水)聖別会  午前10時半
    聖潔とは何か(17)
    「聖潔の道を歩む(5)」

地の塩港南キリスト教会
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