週報No.2175 涙の預言エレミヤ書(83)「神のことば」エレミヤ書36:32

2019年3月31日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書36章32節
36:32 エレミヤは、もう一つの巻き物を取り、それをネリヤの子、書記バルクに与えた。彼はエレミヤの口述により、ユダの王エホヤキムが火で焼いたあの書物のことばを残らず書きしるした。さらにこれと同じような多くのことばもそれに書き加えた。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 特に新約聖書の中心主題、神髄、奥義は、聖潔の恵みです。

「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」(マタイ5:8)

「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」(テサロニケ第一、5:23、同4:3、同第二、2:13後半、)

「…聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(へブル12:14)

「それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。』と書いてあるからです。」(ペテロ第一、1:16)

「…御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(ヨハネ第一、1:7後半)

 これらのみことばを否定するクリスチャンは、一人もいないでしょう。それなのに、きよめられないで平気でいるクリスチャンが大勢いるのはなぜでしょうか。それは、これらのみことばを自分自身に当てはめて、信じて活用していないからです。知識として理解し納得し、自分に当てはめようとしない理由や言い訳を付け加えているからです。真に求めているものは、信仰ではなく、肉の欲の満足だからです(箴言30:5~6)。

 「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(ヨハネの黙示録22:18~19)

 生ける神は、神のみことばを愛し、生活で行なう人を祝福されます。神のみことばを軽んじる者を、罰しなさるのです。(ヨハネ12:48、ペテロ第一、1:25)

 神は、みことばを取り次いだエレミヤとバルクを迫害からかくまい、保護されましたが、みことばの巻き物を火で焼いたエホヤキムは神のみことばを聞きましたが、それに従うことを拒んだので、滅んだのです。そしてエレミヤは、迫害の中で、神のみことばの真実を経験したのです。(詩篇119:157~160)

 このエレミヤとバルクの経験したことは、神のみことばは敵のどんな攻撃にも生き残って、神のご計画を実現する、唯一の不滅の真理であることを証明したのです。

 ここで、エレミヤの開かれた霊の目についてお話しましょう。預言者エレミヤと書記バルクの心は完全に一致していましたが、非常に大きな開きがありました。

 バルクは、預言者エレミヤに神が啓示されたみことばを、一言も聞き洩らさず、忠実に書き記し、人々に読み聞かせたのです。

 しかし預言者エレミヤは、天からの神の光に照らされ、燃える唇から、神のみことばが流れ出たのです。

 書記バルクは、何一つ神の示される幻を見ず、何一つ神の奥義を直接悟った記事がありません。バルクの見ていたもの、感じていたものは普通の生活そのままで、その視野は普段の実生活と何ら変わりありません。

 しかし預言者エレミヤは、目まぐるしく変わっていく、神の領域の全体やそのみわざを見てきたのです。そして自分が見て来た幻や経験を根拠にして、神のメッセージを語っていたのです。これは、エレミヤに霊感を与えた聖霊のみわざです。

 預言者たちは、自分の見たこと、体験したことを証ししたのです。これが、預言者の使命でした。

 聖書の神の啓示が完了した現在は、これと同じ事が起きることはありませんが、信仰者は今でも、二人の人が並んでみことばを聞いていても、律法的、道徳的、人間的知恵と知識の理解という顔おおいがかけられている人もいれば、別の人は隔ての垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けていて、みことばと信仰によって聖霊の油注ぎを受けて、聖なる神ご自身との交わりを経験している人もいます(へプル10:19~20)。

 後者の人は、神の光と臨在の中で生活し、みことばを日々の足のともし火、道の光として歩み、神の権威と御力によって、サタンの策略と戦い、キリストのしもべとして、隣人を愛し、証しをし、永遠のいのちの栄冠を目指し、主イエスが備えて下さる御父の住まいを確信しているのです。

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙12章1節
「そういうわけですから、兄弟たち。神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

<集会案内>

◇4月3日(水)聖別会 午前10時半
  道徳廃棄論者の間違い(3)「小羊の婚宴に招かれる者」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421