週報No.2177 涙の預言エレミヤ書(85)「不屈のエレミヤ」エレミヤ書37:11~15
2019年4月14日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
エレミヤ書37章11~15節
37:11 カルデヤの軍勢がパロの軍勢の来るのを聞いてエルサレムから退却したとき、
37:12 エレミヤは、ベニヤミンの地に行き、民の間で割り当ての地を決めるためにエルサレムから出て行った。
37:13 彼がベニヤミンの門に来たとき、そこにハナヌヤの子シェレムヤの子のイルイヤという名の当直の者がいて、「あなたはカルデヤ人のところへ落ちのびるのか」と言って、預言者エレミヤを捕らえた。
37:14 エレミヤは、「違う。私はカルデヤ人のところに落ちのびるのではない」と言ったが、イルイヤは聞かず、エレミヤを捕らえて、首長たちのところに連れて行った。
37:15 首長たちはエレミヤに向かって激しく怒り、彼を打ちたたき、書記ヨナタンの家にある牢屋に入れた。そこを獄屋にしていたからである。
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージの要点>
エレミヤは、感受性の鋭い、強い人です。人の心の中にある性質を、直ぐに読み取ることができる人です。故郷のアナトテの家族や友人たちのうちに、自分に対する同情心がなくなっており、冷淡になり、友情のぬくもりだったものが、軽蔑に変わっていることを、直感的に悟ったのです。
私たちは、人々が自分を愛してくれて、喜んでくれているという感触を持つことは、生まれながらの性質としては、心地よい、幸せ感に満ちて、生命的な活力になります。 エレミヤは、お世辞や、富、地位、名誉、評判を求めて近づく者を退けるでしょう。
しかし、エレミヤがこの幸せ感に浸るためには、彼の家族、友人たち、彼のメッセージを聞く聴衆たちが、エレミヤを愛し、受け入れ、好意を抱く、雰囲気に包まれていなければなりません。しかし、エレミヤの置かれた状況は、それとは全く反対の状況でした。
このように、気立てが優しく、引っ込み思案で、感受性が強くて、感情豊かで、罪と偶像礼拝を徹底的に憎む、エレミヤの生涯を用いて、四十年以上にもわたって、彼を、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、全国民に対して、神のことばを語らせた神様を、心から賛美しようではありませんか。
その同じ主が、今日、私たちにも、みことばの証しをさせてくださるのですから、感謝します。
偽預言者や王たち、敵対者たちは、力の限り、エレミヤを攻撃しましたが、エレミヤに勝つことはできなかったのです。神が彼とともにおられたからです。
エレミヤは、迫害されても、投獄されても、だれも信じなくても、彼の生涯の終わりまで、神のみことばのメッセージを曲げなかったのです。そして、彼の語った預言は、すべて実現したのです。このことは、私を力づけてくれます。
彼の驚くべき忍耐力と堅固さは、私の光となり、希望となっています。
神の臨在が、即ち、神がともにいてくださることが、これほど長期間続き、一人の気弱な若者を用いて、ユダ王国とバビロン、メディヤ、ペルシャの運命を動かしたのであれば、この私がどんなに小さなしもべであっても、私の神は十分すぎるお方です。
失望せずに、主が許されるまで、主のために仕えさせていただきましょう。
<今週の活用聖句>
ヨハネの福音書16章33節
「…あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
<集会案内>
◇4月17日(水)聖別会 午前10時半
「福音的基盤の上に(1)」
地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421