週報No.2179 涙の預言エレミヤ書(86)「死を覚悟したエレミヤ」エレミヤ書37:16~21

2019年4月28日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書37章16~21節
37:16 エレミヤは丸天井の地下牢に入れられ、長い間そこにいた。
37:17 ゼデキヤ王は人をやって彼を召し寄せた。王は自分の家でひそかに彼に尋ねて言った。「【主】から、みことばがあったか。」エレミヤは、「ありました」と言った。そして「あなたはバビロンの王の手に渡されます」と言った。
37:18 エレミヤはゼデキヤ王に言った。「あなたや、あなたの家来たちや、この民に、私が何の罪を犯したというので、私を獄屋に入れたのですか。
37:19 あなたがたに『バビロンの王は、あなたがたと、この国とを攻めに来ない』と言って預言した、あなたがたの預言者たちは、どこにいますか。
37:20 今、王さま、どうぞ聞いてください。どうぞ、私の願いを御前にかなえて、私を書記ヨナタンの家へ帰らせないでください。そうすれば、私はあそこで死ぬことはないでしょう。」
37:21 そこでゼデキヤ王は命じて、エレミヤを監視の庭に入れさせ、町からすべてのパンが絶えるまで、パン屋街から、毎日パン一個を彼に与えさせた。こうして、エレミヤは監視の庭にとどまっていた。【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 このバビロン軍の一時の撤退は、エジプトのパロの軍隊が近づいたために起きたのです。ユダヤ人たちは、これでバビロン軍は二度と戻って来ないと考え、エルサレムの都の滅亡を預言していたエレミヤを嘲笑い、奴隷解放の誓約を破棄し、自由に解放したしもべやはしためを元の奴隷の状態に戻したのです。

 ユダヤ人たちは、国中で喜び湧きながら、「エレミヤやエゼキエルの預言は、偽りであった。」と言って、それまで抱いていた恐れは、憎しみに変わっていったのです。一瞬、エレミヤは神に見捨てられたかのように人々に思われました。

 このような時に、一点の妥協もなく大胆に、迷いなく、神の警告のことばを語るには、よほどの信仰の確信と勇気が必要だったに違いありません。しかし、エレミヤは使命の道から、ほんの少しもはずれることはありませんでした。

 ユダヤ人の盲目的な、誤った熱狂、神の前での奴隷解放の誓約をいとも簡単に破った背信行為、神の遣わされた預言者を憎み、侮ることなどは、更に再度のバビロンの攻撃を鮮明にしたのです。

 「…わたしは彼らを、敵の手、いのちをねらう者たちの手に渡す。そのしかばねは空の鳥、地の獣のえじきとなる。わたしはまた、ユダの王ゼデキヤとそのつかさたちを敵の手、いのちをねらう者たちの手、あなたがたのところから退却したバビロンの王の軍勢の手に渡す。見よ。わたしは命じ、-主の御告げ-彼らをこの町に引き返させる。彼らはこの町を攻め、これを取り、火で焼く。わたしはユダの町々を、住む者もいない荒れ果てた地とする。」(エレミヤ34:17~22)

 ユダとエルサレムの人々の背信行為が、もう一度、バビロン軍を引き戻して、エルサレムを完全に滅亡させてしまったのです。

 あわれみのない者、誠実さのない者は、必ず、神のさばきを受けます(マタイ5:7)。神のあわれみが取り去られるなら、すべての恵みを失ってしまいます。

 エレミヤがこのような状態の時、それでもひるまずに神の審判の警告が真実であることを語り続けるには、神の強烈な啓示と、神がともにいてくださる臨在の保証があったからです。私たちには、すでに、神のみことばと聖霊の内住が与えられています。ですから、十分な保証が与えられているのです。

 …人々は「偽預言者のほうが正しく、エレミヤが間違っている」と思って、孤独なエレミヤを嘲笑い、ののしりと悪口を浴びせかけたのです。それでもエレミヤが神のさばきの警告を語り続けるので、エレミヤへの民と首長たちの憎しみが増していったのです。エルサレムの町はバビロン軍の一時撤退で、喜び沸きたち、エジプト軍によってバビロン軍は間もなく敗北する、包囲しに戻ってくるはずがない、攻撃は終わった、みなそう思ったのです。ところが、エレミヤの預言の主張は変わらなかったのです。それは、ユダヤ人の気を滅入らせ、エレミヤは目障り、耳障りになったのです。

 いつの時代にも、神のみことばを語る者を、迫害して黙らせようとします。大祭司と長老たちは、主イエスを十字架にかけて殺し、ステパノを石打ちで殺しましたが、聖霊に満たされた証人たちを、黙らせることはできませんでした(使徒7:54、57)

「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒の働き4:20)

 エレミヤはゼデキヤ王に、重ねて警告しました。

「主はこう仰せられる。『あなたがたは、カルデヤ人は必ず私たちから去ると言って、みずから欺くな。彼らは去ることはないからだ。たとい、あなたがたが、あなたがたを攻めるカルデヤの全軍勢を打ち、その中に重傷を負った兵士たちだけが残ったとしても、彼らがそれぞれ、その天幕で立ち上がり、この町を火で焼くようになる。』」(エレミヤ37:9~10)

 エレミヤもエゼキエルも、バビロン軍とエジプト軍の戦いの結果が、エルサレムとユダに及ぼす影響について、非常にはっきりと知っていました。ですから、どんなにユダヤ人たちが喜び騒いでも、偽りの解放の希望に反対したのです。

 エレミヤはすでに、46:13~28でエジプトがバビロンのネブカデネザルによって、征服されることを預言しています。

 エゼキエルも30:24で、「しかし、わたしはバビロンの王の腕を強くし、わたしの剣を彼の手に渡し、バロの腕を砕く。彼は刺された者がうめくように、バビロンの王の前でうめく。」

<今週の活用聖句>

エレミヤ書1章7~8節「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。-主の御告げ。-」

<集会案内>

◇5月1日(水)聖別会 午前10時半
  「福音的基盤の上に(3)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421