週報No.2183 涙の預言エレミヤ書(90)「エルサレムの包囲」エレミヤ書39:1~8

2019年5月26日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書39章1~8節
39:1 ユダの王ゼデキヤの第九年、その第十の月に、バビロンの王ネブカデレザルは、その全軍勢を率いてエルサレムに攻めて来て、これを包囲した。
39:2 ゼデキヤの第十一年、第四の月の九日に、町は破られた。
39:3 そのとき、バビロンの王のすべての首長たちが入って来て、中央の門に座を占めた。すなわち、ネルガル・サル・エツェル、サムガル・ネブ、ラブ・サリスのサル・セキム、ラブ・マグのネルガル・サル・エツェル、およびバビロンの王の首長の残り全員である。
39:4 ユダの王ゼデキヤとすべての戦士は、彼らを見て逃げ、夜の間に、王の園の道伝いに、二重の城壁の間の門を通って町を出、アラバへの道に出た。
39:5 しかし、カルデヤの軍勢は彼らのあとを追い、エリコの草原でゼデキヤに追いつき、彼を捕らえて、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王ネブカデレザルのもとに連れ上った。そこで、王は彼に宣告を下した。
39:6 バビロンの王はリブラで、ゼデキヤの子たちをその目の前で虐殺し、またユダのおもだった人たちもみな虐殺し、
39:7 ゼデキヤの目をつぶし、彼を青銅の足かせにつないで、バビロンに連れて行った。
39:8 カルデヤ人は、王宮も民の家も火で焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

神の前に降伏して立つことを拒み続け、神のみことばを拒み続けたゼデキヤは、敵の王の口から、残酷な神の審判を聞かされることになったのです。

だれの罪も、イエス・キリストの十字架によって解決するか、残酷な滅びの審判を受けるか、どちらかを選ぶことになるのです。うやむやにして終わらせることは、だれもできないのです。これを聞くと気分を害される方もいると思いますが、聖書の真理を体験した私は、このことをはっきり申し上げないでいれば、私自身が責任を問われることになります。

「バビロンの王はリブラで、ゼデキヤの子たちをその日の前で虐殺し、またユダのおもだった人たちもみな虐殺し、ゼデキヤの目をつぶし、彼を青銅の足かせにつないで、バビロンに連れて行った。」(エレミヤ39:6~7)

ゼデキヤの断罪は、悔い改めない罪の結末の恐ろしさ、厳しさ、残酷さを示しています。彼の子どもたちは彼の目の前で虐殺され、彼のそばにいて、偽りの安心、偽りの平和を教えていた預言者たち、祭司たち、エレミヤを殺害しようとした首長たちも、バビロンの手によって、主の語られた通り、虐殺されたのです。

これらの記事を読んで、昔の出来事、自分とは直接関係のないこと、懲らしめの教えくらいに受け止めている人が、真面目な人の中に大勢います。

しかし、ゼデキヤを罰せられた神は、私たちの神です。その神はあわれみに満ちた神ですが、契約を守られる神です。

不信仰で、逆らう者を罰せずにはおかない神です。思い違いをしてはいけません。

失敗しても、不十分であっても、心を尽くして、誠実に主を愛して仕える者には豊かな恵みを与えて下さるお方です。

主はゼデキヤに対しても、何度も預言者エレミヤを遣わして、神のみことばを信じて、神に従うように告げられました。

ゼデキヤは、そのことばを十分理解したはずですが、彼は自分で決意して、神のみことばどおりに従わなかったのです。

ある人は、教会にいるときは十分に信仰を理解し、納得しているような話をされるのですが、家庭や会社では、全く別の人になるのです。これでは信仰は死んでいます。

私たちは、偽りの安心の教えに欺かれず、うわべだけの儀式宗教で信仰の責任を果たしていると安心せず、神の預言者が語る、神の真理のみことばを、信じて行ないましょう。

そうすれば、国が滅びるような危機の時でも主がお守り下さいます。

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙11章22節
「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」

<集会案内>

◇5月29日(水)聖別会 午前10時半
「福音的基盤の上に(7)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421