週報No.2182 涙の預言エレミヤ書(89)「みことばを信じなさい」エレミヤ書38:20~23

2019年5月19日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書38章20~23節
38:20 エレミヤは言った。「彼らはあなたを渡しません。どうぞ、【主】の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちは助かるのです。
38:21 しかし、もしあなたが降伏するのを拒むなら、これが、【主】の私に示されたみことばです。
38:22 『見よ。ユダの王の家に残された女たちはみな、バビロンの王の首長たちのところに引き出される。聞け。彼女らは言う。──あなたの親友たちが、あなたをそそのかし、あなたに勝った。彼らはあなたの足を泥の中に沈ませ、背を向けてしまった。
38:23 あなたの妻たちや、子どもたちはみな、カルデヤ人のところに引き出され、あなたも彼らの手からのがれることができずに、バビロンの王の手に捕らえられ、この町も火で焼かれる。』」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 エレミヤがゼデキヤに与えたメッセージは、新約で言えば、次のようなみことばになります。
「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16:25)
自分の欲と知恵で選んで生きていると、重大な自分の永遠のいのちを失うことになります。

 マタイ7:13~14のみことばも、自分中心の欲の好むほうを選んで行く人がほとんどですが、それでは滅びを選び取ってしまいます。主イエスを信じて、主の愛を持って、隣人を愛する生活を選び取ってください。

 ヨハネ12:24のみことばも、本質的にはイエス・キリストの十字架の死によって、多くの人々が永遠のいのちの実を結ぶことを言っていますが、同じように、私が自分中心の自我に死んで、イエス様から永遠のいのちを受けるとき、豊かに実ることを言っています。

 マタイ25章の一夕ラント預かったしもべのように、その一夕ラントを土を掘って埋めておくのではなく、信仰を証しに活用しましょう。せっかくイエス様を信じても、その信仰を神の愛を持って活用しなければ、信仰は死んでしまいます。

 この世の野心のために働くのではなく、「いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」(ヨハネ6:27)

 これがゼデキヤへの最後のメッセージとなったのです。預言者エレミヤは、これまでユダの王たちと民の救いのために、四十年以上も忠誠心を持って、神の愛を注いで、警告してきたのです。

 それでゼデキヤは、エレミヤのことばに聞き従ったでしょうか。彼は自分の面子がつぶされることを恐れていたのです。19節のみことばの中に、ゼデキヤの本当の姿が見えてきました。彼はエルサレムの神殿よりも、王国の滅亡よりも、自分の面子が侮辱されることを恐れて、決心がつかなかったのです。ゼデキヤは、自分が降伏した場合に受けるであろう辱しめが恐ろしいと言ったのです。エレミヤが取り次いだ神のみことばが、ゼデキヤとその家族の救いを約束したにもかかわらず、その約束を信じないで、勝手に恐れて、信仰の決断をしなかったのです。

 エレサレムとユダ王国の最終的滅亡は、ゼデキヤの個人的不信仰によって起きてしまったのです。ゼデキヤの不信仰な心の弱さ、不安定さが、ユダ王国を滅ぼす最終的引き金となってしまったのです。

 頭で知識として分かっていても、そうだと理解して、納得していても、それを信仰の行動に移さなければ、その理解は信仰として完結していませんから、死んでいます。

 「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。」(ヤコブ2:26)

 「…彼らはあなたを渡しません。どうぞ、主の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたは幸せになり、あなたのいのちは助かるのです。」(エレミヤ38:20)

 エレミヤは、ゼデキヤが心配していることは起きないことを誓いました。そしてエレミヤが語った神のみことばに従うように言いました。エレミヤはこれまでもみことばを割り引いたり、水増ししたりしませんでした。

 22節は、エルサレムが陥落する時、宮殿の女性たちは、ゼデキヤ王を嘲笑うという預言です。…

 ゼデキヤ王は、自分が信頼していた偽預言者や若い首長たちを親友だと思い込み、そそのかされ、欺かれ、彼らはゼデキヤを騙すことに成功したのです。

 ゼデキヤは、預言者エレミヤを泥の中に沈めましたが、彼は親友と思い込んでいた者たちによって、破滅の中に押し入れられ、置き去りにされ、だれも助けようとしないで、去って行ってしまうのです。

 王宮の女たちでさえ、ゼデキヤが頼りにしていた預言者や助言者や首長たちは、王の本当の助けにならず、王と国民を破滅に追いやるだけだと悟っているのです。

 このことが、何故ゼデキヤに悟れなかったのでしょうか。
それは、自分の面子が丸つぶれにされることの恐れと、信仰をはっきりと選択しなかったことによって、サタンの顔おおいがかけられていたからです。

 迷ったなら、自分の考えているほうを選んではいけません。神のみことばのほうを選んで、勇気ある信仰の決断をしてください。

<今週の活用聖句>

ペテロの手紙第一、2章24節
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

<集会案内>

◇5月22日(水)聖別会 午前10時半
  「福音的基盤の上に(6)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421