週報No.2232 希望の預言エゼキエル書(16)「目を上げて見よ」 エゼキエル書 8:1~11

2020年4月26(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 8:1~11
8:1 第六年の第六の月の五日、私が自分の家にすわっていて、ユダの長老たちも私の前にすわっていたとき、神である主の御手が私の上に下った。
8:2 私が見ると、火のように見える姿があった。その腰と見える所から下のほうは火で、その腰から上のほうは青銅の輝きのように輝いて見えた。
8:3 すると、その方は手の形をしたものを伸ばし、私の髪のふさをつかんだ。すると、霊が私を地と天との間に持ち上げ、神々しい幻のうちに私をエルサレムへ携え行き、ねたみを引き起こすねたみの偶像のある、北に面する内庭の門の入口に連れて行った。
8:4 なんと、そこには、私がかつて谷間で見た姿と同じようなイスラエルの神の栄光があった。
8:5 その方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、目を上げて北のほうを見よ。」そこで、私が目を上げて北のほうを見ると、北のほうの祭壇の門の入口にねたみの偶像があった。
8:6 この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。イスラエルの家は、わたしの聖所から遠く離れようとして、ここで大きな忌みきらうべきことをしているではないか。あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」
8:7 それから、この方は私を庭の入口に連れて行った。私が見ると、壁に一つの穴があった。
8:8 この方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、壁に穴をあけて通り抜けよ。」私が壁に穴をあけて通り抜けると、一つの入口があった。
8:9 この方は私に仰せられた。「入って行き、彼らがそこでしている悪い忌みきらうべきことを見よ。」
8:10 私が入って行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。
8:11 また、イスラエルの家の七十人の長老が、その前に立っており、その中にはシャファンの子ヤアザヌヤも立っていて、彼らはみなその手に香炉を持ち、その香の濃い雲が立ち上っていた。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

エゼキエルの霊の目には、神が、輝く火の中におられる人の姿のように現われたのです。青銅のような金属的輝きは霊的な経験に何らかの補足を付け加えるためと思われますが、この輝きがエゼキエルにどのように受け止められていたかは、記されていません。私たちにとっては、イエス・キリストの栄光の輝きを心の内に受けることによって、霊の状態が変えられていきます。

それは、キリストの愛を持って隣人を愛することによって、キリストのご人格に似たものに変えられていくことです。

私たちも、イエス・キリストの御霊の確信、満たし、喜び、平安、神のアガペーの愛、柔和、謙遜、忍耐、自己否定、献身、希望など、無数の主イエス様の栄光の輝きを受けているのです。それによって、霊的状態が主と同じ性質に変えられていくのです。

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(コリント第二、3:18)

エゼキエルは、霊においてエルサレムに連れて行かれて、エルサレム滅亡の幻を見せられています。神は、預言者エゼキエルに神ご自身の幻を与えられました。その幻は、エゼキエルがケバル川のほとりで、自分の召命の時に見たのと同じようなイスラエルの神の栄光を見たのです。この二度の幻では、最初の召命の幻の時には神は臨在されていましたが、二度目の時にも、バビロンでも臨在を現わされることを示唆しておられるようです。

8章5~18節は、汚された神殿です。

幻の中で、エルサレムの神殿の境内を訪れたエゼキエルは、神の家である神殿で、密かに偶像礼拝が続けられている四つの絵を見せつけられました。その目的は、なぜ、神がエルサレムの町を滅ぼさなければならなかったかを、明らかに示すためでした。それが、ユダ王国の滅亡の真の原因です。

その四つの情景とは、
第一に、8:5~6、ねたみの像
第二に、8:7~13、彫像の部屋、彫り物の部屋
第三に、8:14~15、タンムズを礼拝する女たち
第四に、8:16~18、太陽を礼拝する男たち

第一の、ねたみの偶像、8:5~6

「ねたみの偶像」は「主にねたみを引き起こさせる、ある主要な偶像」を意味しています。これは恐らく、ユダに蔓延していたバアルの柱のことだと思われます。バアルとその妻とされていたアシェラの偶像は、人間や家畜の多産と富の繁栄をもたらすという、人間の欲をかきたてる誘惑で、アハブとイゼベルの時以来、最もパレスチナで広がっていた偶像です。これはモーセの十戒の第二戒を犯すものです。(出エジプト記20:4)

イスラエルの律法は、どんな種類の偶像を造ることも、拝むことも禁じています。それは、神の主権と永遠、唯一の霊性を侵害するからです。

この像は、中庭に通じる門の北側に位置しており、神殿境内の入口にはエジプトの風習に倣って、動物の飾りを置いた堂があり、全ての礼拝者の注目を引いており、この偶像に香をたいていたのです。

そこにはまた、嘆きの座があり、女たちがシリヤの偶像のタンムズを拝み、泣いていたのです(14節)。

神殿の庭の中の門と祭壇の間に、聖所に背を向け、東の方に、オリーブ山の上に上る太陽を拝んでいる二十五人の人々がいることを記しています(8:16)。

エゼキエルと同時代の預言者エレミヤは、エルサレムでアシュタロテが祭られ、フェニキヤの偶像モレクが、偶像礼拝されていたことを記しています(エレミヤ書7章)。子供たちは、これらの偶像に人身御供にされ、ベン・ヒノムの谷に偶像が立てられていました。その無情で、不自然な祭儀の光景は、トフェテと呼ばれていました(エレミヤ書7:31、列王記第二、23:10)。

トフェテとは、地獄やゲへナの恐ろしい意味を表わす言葉で、このトフェテの状況から、始まっていると言われています。

このような偽りの神々への偶像礼拝は、主の臨在がエルサレムの神殿から立ち去られた主な理由です。

これらの偶像礼拝は、今日の私たちにとって、神社仏閣の偶像礼拝だけでなく、自分中心の自我、肉の欲、自分の知恵に頼ることにも適用されます(ピリピ2:19)。

自分自身が、神にとって代わろうとするとき、神は私の心にとどまることができないのです。

「というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。」(ローマ8:7~8)

<今週の活用聖句>

コリント人への手紙第一、3:16~17
「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。」

<集会案内>

◇4月29日(水)聖別会 午前10時半
「訓練された人々(12)訓練は聖潔ではない」

地の塩港南キリスト教会
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