音声:信仰の列伝(13) アブラハムの信仰(3)「定住の信仰(1)」

2016年10月23日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明牧師

へブル人への手紙11章9節
11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

<インフォメーション>

もし私が、キリストの福音を信じることを、この地上の幸せを求めるためとしているなら、完全に福音を誤解しており、失敗しており、間違っています。

このような誤解をするのは、この地上における価値観以外の価値観を持っていないからです。この地上の生活以外に、永遠の御国の生活があることを知らないからです。

しかし、この地上の生活における幸せだけを求めることが、いかに人類の生活を狂わせてきたか、私たちはその悲劇を見て来ています。

教育は、神の愛アガペーを持つためではなく、永遠のいのちを持つためでもなく、高い給料取りになるためにだけ、行なわれています。高い給料を取ることが、悪いわけではありませんが、それが、人の貪欲をエスカレートさせ、永遠の目的を見失わせていることは、重大な問題です。だれもが、富を求めて、競争し、争い、富が得られないと敗北者か、価値のない脱落者のように思い込むのは、人生を間違えて歩んでしまっています。反対に、富を築いて、誇り自慢している人も、滅びの道を歩んでいます。

福音書の中では、多くの富を持っている金持ちが、永遠のいのちを受けられず、ゲへナに行っている話が記されています。これは肉の欲で、富を得ることを、人生の目的にしている人への、明確な警告です。

「それから、イエスは弟子たちに言われた。『まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。』」(マタイ19:23~24)

これは、エルサレムの都で商売する商人は、エルサレムに入る人も、出る人も、日没には城門が閉じられるので、それまでに商売を終えて、門の出入りを終えておかなければならなかったのです。ところが多くの商人たちは、欲張りのために、日没後も商売を続けていて、城門から出入りできず、城門の横にある、やっと人一人が通れる、「針の穴」と呼ばれる穴を荷物を沢山背負わせたラクダを、無理矢理通らせようとしている貧欲な商人たちを風刺的に非難した、主イエスのお話です。

みんな、肉の欲に、悪魔の惑わしを受けて、富を集めることを生涯の目的にしているのです。人類がみな、この欲に引きずり込まれています。

この惑わしは、神のみことばと聖霊によらなければ、目覚めません。イエス様の弟子だった、イスカリオテのユダは、この惑わしで滅んでしまいました。サタンは、イエス様をもこの惑わしに陥れようとしました。私たちは、サタンに油断もすきも与えないように、みことばと聖霊によって、目を覚ましていましょう。

天の御国は、教会に行っていれば、何となく、自然に入れるものではありません。

「パブテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11:12)天の御国は、教会に行っていれば、自然に転がり込んで来るとは言っていません。むしろ、「激しく攻めている」とか、「奪い取っている」と言っています。この目標を目指した、積極的な信仰が必要です。

<今週の活用聖句>

ヨハネの福音書15章9節
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」

写真は、アメリカのthe Providence Lithograph Companyにより1906年に出版されたバイブル・カードより「The Camp of Abraham(アブラハムの天幕生活)」

地の塩港南キリスト教会
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