音声:信仰の列伝(14) アブラハムの信仰(4)「定住の信仰(2)」

2016年10月30日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明牧師

へブル人への手紙11章9節
11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

<インフォメーション>
また、キリストの教会の交わりは、キリストの身体です。「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4:15~16)

私たちは、ここに記されている「結び目」をしっかり結んだり、組み合わせたりするのを、実際には、どのようにしているのでしょうか。それが、分かっていないと、この大切なみことばを活用することができません。

それは、すでにお話してきていることです。
即ち、互いに赦し合うこと、助け合うこと、重荷を分かち合うこと、互いに徳を建て合うこと、主を喜ばせること、何をするにも、主に仕える心ですること。何だそんなことかと、思われたでしょう。それなら、何百回と聞かされているでしょう。

これを、一つ一つ実行することが、愛の結び目をしっかりと結ぶことです。そのようにして、キリストの身体は成長してきます。確かに私たちは、これを実行しています。

その一方で、他人の弱点、欠点、駄目な点を批判しやすいし、裁いてしまいやすくはありませんか。それが愛によって、徳を建て上げるために活用されるなら、すばらしい。しかし大半は、噂話や、批判で終わってしまいやすい。キリストの身体を建て上げるために、活用されていないならば、残念です。他人の欠点をあげつらうようになれば、喜びも、平安も、愛も失われていきます。そして、「そういうあなたにもこういう欠点がある」という言い争いが始まります。

「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイ7:1~2)

ですから、毎日、愛の結び目をしっかり結びましょう。 アブラハムの信仰は、マタイ19章の金持ちの青年のように、儀式や戒めを規則として守っていたのではなく、主に対して愛を表わす行為として行なっていたのです。

「ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。聖書は神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、『あなたによってすべての国民が祝福される。』と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」(ガラテヤ3:7~9)

「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。」(ガラテヤ6:9~10)

私たちは、アブラハムの信仰を受け継ぐ、神の家族の人々との交わりによって、大いなる慰めと、励ましと、祝福を受けてきたのです。

<今週の活用聖句>

創世記17章1節
「・・・わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」

写真は、アメリカのthe Providence Lithograph Companyにより1906年に出版されたバイブル・カードより「The Camp of Abraham(アブラハムの天幕生活)」

地の塩港南キリスト教会
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