週報No.2280 希望の預言エゼキエル書(62)「恵みの歩み」 36:32~38

2021年3月28日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 36:32~38
36:32 わたしが事を行うのは、あなたがたのためではない。──神である主の御告げ──イスラエルの家よ。あなたがたは知らなければならない。恥じよ。あなたがたの行いによってはずかしめを受けよ。
36:33 神である主はこう仰せられる。わたしが、あなたがたをすべての不義からきよめる日に、わたしは町々を人が住めるようにし、廃墟を建て直す。
36:34 この荒れ果てた地は、通り過ぎるすべての者に荒地とみなされていたが、耕されるようになる。
36:35 このとき、人々はこう言おう。『荒れ果てていたこの国は、エデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果て、くつがえされていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになった』と。
36:36 あなたがたの回りに残された諸国の民も、【主】であるわたしが、くつがえされた所を建て直し、荒れ果てていた所に木を植えたことを知るようになる。【主】であるわたしがこれを語り、これを行う。
36:37 神である主はこう仰せられる。わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。わたしは、羊の群れのように人をふやそう。
36:38 ちょうど、聖別された羊の群れのように、例祭のときのエルサレムの羊の群れのように、廃墟であった町々を人の群れで満たそう。このとき、彼らは、わたしが【主】であることを知ろう。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

32節は、22節に似ている表現で、神の恵みを賛美しています。

人が、神の無代価の恵みによって、内なる人が生き返らされる時、その荒廃した社会、荒廃した町々も、刷新されると、宣言されています。「神である主はこう仰せられる。わたしが、あなたがたをすべての不義からきよめる日に、わたしは町々を人が住めるようにし、廃墟を建て直す。」(エゼキエル書36:33)社会の健全な状態への正常化は、個人個人のたましいの新生経験の後に、実現します。

このエゼキエルのメッセージは、全ての時代を通じて、今日までも、キリスト教の主題となっています。

その結果として、二つの祝福された状態が現われてきます。

一つは、6:34~35、「この荒れ果てた地は、通り過ぎるすべての者に荒地とみなされていたが、耕されるようになる。このとき、人々はこう言おう。『荒れ果てていたこの国は、エデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果てて、くつがえされていた町々も城壁が築かれ、人々が住むようになった。』と。」

このことは、捕囚民の帰還後、エズラとネへミヤの時代に実現しました。また、ペンテコステの聖霊の満たしを受けたクリスチャンの間では、だれも乏しい者がいない、互いに助け合う生活が続きました。これが、クリスチャンの証しとなったのです。

もう一つは、人口の増加です。36:37~38、37節の「わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。」神は、イスラエル人の必死の祈りに、答えられたのです。主に信頼する祈りは、主のいつくしみを引き出します。聖書を読んでみれば、神の大きなみわざがなされた時は、アブラハム、モーセ、サムエル、エリヤ、ヨブ、エレミヤ、聖徒たちの祈りがささげられています。

私は自分でそれほど祈らなかったのに救われ、また無数の恵みを受けています。しかし、それはよみがえられた主イエス・キリストと御霊の執り成しの祈りが、絶えずささげられていたからです。

だれにも祈られずに、救われる人はいません。ですから、家族や友人のために祈ることを止めてはいけません。日常生活を祈りつつ、みことばを活用して下さい。そうすれば、天が開かれるような平安と確信に満たされます。

祈り求め続けることによって、大きな困難の山も、海に移ります。祈りの答えは、祈っている者にしか与えられません。エリヤが、カルメル山で祈り始めた時、神は地中海の彼方に、大雨を降らせる手ほどの雲を備えました。エリヤは主が祈りに答えて下さるのを、信じていたので、何度もしもべに見張らせました。

あなたは、祈りの答えのしるしを容易に見つけることができないかもしれません。時にそのしるしは、あなたの心の内に与えられる平安や忍耐であることがあります。私たちが求めているものは、尊い神のみわざですから、疑わずに、祈り続けて下さい。

このことを実行した人物がいます。それは、エステルです。その時代は、ハマンの悪巧みによって、ユダヤ人の絶滅の命令が、メディヤとペルシャの全域に布告されました。この危機の時、エステルのおじのモルデカイは、ユダヤ人に対する神の約束を信じて、アガグ人ハマンの権力を使った陰謀は、決して成功しないと、確信しました。それはユダヤの将来に輝かしい繁栄が約束されていたからです。そして、モルデカイは、この危機に何をしなければならないかを、弁(わきま)えていて、エステルに、「王のもとに行って、その民のために王のあわれみを請い、王の前に願い求めるように」命じました(エステル記4:8)。モルデカイは、エステルがこの時のために、神に召されていることを悟っていました。もし、エステルが拒めば、神は他の誰かを用いられることを知っていました。それで彼はエステルに、「もしあなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたもあなたの父の家も滅びよう。あなたが、この王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(4:14)と伝えたのです。エステルの返事は、16節です。

エス 4:16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」

神が約束されたことで、実現されないことは、一つもありません。切実な祈りは、神の約束を実現させるのです。

「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(歴代誌第二、16:9)

こういう心で祈る人の祈りに、神は聞かれるのです。

祈りは、神のみ前に吐き出された息であり、その息は、神が最初に人間の内に吹き込まれた神の息にほかなりません。

神の約束と信仰の祈りが結びついて、神のみわざが実現することは、霊の世界の基本原則の一つです。

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙、8章34節(27節後半)
「罪に定めようとするのはだれですか。死んで下さった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」

<集会案内>

◇3月31日(水)聖別会(33)午前10時半
「聖潔の転機(4)転機的経験の合理性」

◇4月4日(日)復活節礼拝 午前10時半

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

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牧師 真部 明