週報No.2300 詩篇(3)1篇「良い道の選択」 1:1~6

2021年8月15日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

詩篇 1:1~6
1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

1、1節、不信仰な人の道

「悪者のはかりごとに歩まず」とは、不信仰な原理を取り入れないことです。「はかりごと」とは、策略のことで、悪者に知恵がないのではありません。知恵が悪に汚染されているのです。策略は、落し穴と同じで、相手に悪く見えないのです。むしろ親切に見えたりします。しかし、一度これに引っかかると、なかなかワナから抜け出せなくなります。幸いな者とは、こういう悪の原理に従って生活しない者のことです。

「罪人の道に立たず」とは、神を抜きにした生活をしないことです。「罪人の道」と言われているほどだから、一、二度、謀略に立っただけでなく、「道」と言われているほどに、生活の中に習慣化しています。

イエス様は、ペテロのように、サタンの誘惑によって、突然、不信仰に陥る時と、律法学者やパリサイ人のように、常習的に敵対する者とを、区別して扱っているように思われます。「立たず」は、「常習的に立ち続けない」ことです。

「あざける者の座に着かない」とは、神の主権を、真剣に信じないで、神を嘲笑う者の仲間にならないことです。

ヨブの三人の友人は、ヨブの病のお見舞いに来たのに、ヨブをのろうのに三人が連携してしまいました。彼らのたましいに聖霊がいなかったからです。

主はまた、「ふたりでも、三人でも、わたしの名によって集まる所には、わたしもともにいる。」と言われました。私たちが集まる時、いつも主がともにいて下さるようでありたい。

2、2~3節、主に喜ばれる生活

「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」

「おしえ」は、ヘブル語ではトーラーです。啓示された神の意志、みこころです。この「みおしえ」に、心を集中する生活をすることです。

「ヨルダンの向こうの地、モアブの地で、モーセはこのみおしえを説明し始めて言った。」(申命記1:5)

「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、なにをしても栄える。」(3節)

このみことばに根ざした生活は、日照りでも、途絶えることのない流れのほとりに植えられた木に似ています。秘められた栄養分によって、熱風で他のすべての木が枯れてしまう時でも、実りの季節がやって来ると、必ず実を結びます。

「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配がなく、いつまでも実をみのらせる。」(エレミヤ書17:7~8)

このエレミヤの預言は、明らかに、エレミヤが詩篇1:2~3をよく知っていた証拠です。エレミヤも私たちと同様に、詩篇1篇を良く学んでいて、実行していたことがわかります。

3、4~6節、滅びる生活

聖書は、幸いな人になるように勧めるために、悪者の滅びについても記しています。

4節、永遠のいのちの水の源から、日ごとにいのちの水を吸い上げない人は、いのちの実質のない、もみがらにすぎません。

もみ殻は、外観は、儀式や律法を守ることによって、立派に見えても、神の愛と信仰がない人です。朽ちる物、富、地位、名誉、高慢、肉の欲はたくさん持っているのに、永遠に残る信仰、希望、アガペーの愛、永遠のいのち、朽ちないものを、何も持っていないので、風に吹き飛ばされるもみがらのように、さばきの中に立ち通すことができないのです。

5節の「さばきの中に立ちおおせず、」と、「正しい者のつどいに立てない。」は、1節の「罪人の道に立たず、」に対応しています。

風が吹いたら飛ばされてしまうのは、その人の悪の故に、不信仰の故に、神のさばきによって、滅ぼされてしまうのです。

6節の、「主は、正しい者の道を知っておられる。」は、主が正しい信仰者にみこころを留めて、守っておられることを示しています。

4、詩篇1篇は、「幸いな者」をテーマにしています。

詩篇1篇は、主イエスの説教(マタイ5章)の「幸い」と大意は同じです。

その「幸いな人」とは、どんな人でしょうか。

いかにして、幸いな人になることができるか、を教えています。

<今週の活用聖句>

詩篇1篇2節
「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ(思い巡らす)。」

<集会案内>

◇8月18日(水)聖別会(53)午前10時半
新生と全き聖化(3)「新生と全き聖化の内容」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

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牧師 真部 明