週報No.2330 詩篇(31) 13篇「いつまでですか。」 13:1~2

2022年3月13日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

詩篇 13:1~2
< 13 > 指揮者のために。ダビデの賛歌
13:1 【主】よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。
13:2 いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

この苦しみと悲しみには、五つの面があります。

1、忍耐

1節「いつまでですか。」「永久にお忘れになるのですか。」

いつまで続くのか、いつ終わるのか、分からない苦しみに耐えることです。この詩篇では、「いつまでですか」と、悲痛な叫びが繰り返されています。終わりの見えない苦しみほど、私たちのたましいをさいなむものはありません。

しかし、実を結ぶための忍耐もあります。
「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅くなることはない。」(へブル10:35~37)

この忍耐は、信仰の忍耐です。主に信頼する心を失うと、苦痛の忍耐になってしまい、実を結ばなくなってしまいます。主はご自身に信頼する者を、決して失望させることはありません。

2、孤独

1節「私を永久にお忘れになるのですか。」

苦難が長引くと、神は私を忘れておられるのではないかと、思い込んでしまうことです。1節で「あなたは私を永久にお忘れになるのですか。」と、神の記憶を呼び起こそうとしています。主から「私はあなたを知らない」(マタイ7:23)と言われたら、絶望的になります。神を失った霊的孤独は、永遠の滅亡です。

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ14:18)

今日、主イエスは、聖霊として私の内に住んで下さっています。直ぐに間に合う助け主、パラクレートスです。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20後半)

「あなたがたは、わたしの友です。」(ヨハネ15:14)

主イエスを信じている人は、心の中の最も親しい、心の奥深くまで分かり合える友を持っているのです。

3、自己卑下、劣等感

1節「いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。」

神が御顔の光を私から隠されることによって、私は神の気にも留められない、取るに足りない存在なんだという、むなしい気持ちになってしまうのです。神から見捨てられたという、霊的孤独感は、自暴自棄と自己卑下をもたらします。神にとって、大切でない人は一人もいないのですが、私たちは、みことばの光が途絶えると、賛美も祈りも思いも湧いて来なくなり、孤独を感じて、そう思い込みやすいのです。

4、絶望

2節「いつまで私は自分のたましいのうちで、思い計らなければならないのでしょう。」

敵の企みを打ち破るために、残されている方法は、頼りにならない自分の力だけです。そう思い込むと、絶望感に襲われます。
自分の知恵と力に頼っていると、自分では全力を尽くして、一所懸命に力を尽くしていると、思い込んでしまうのですが、これは最も危険な思い込みです。これは、自分の知恵と力に頼った不信仰です。これは、熱心な人が陥りやすい落し穴です。(箴言3:5)

箴 3:5 心を尽くして【主】に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

…私たちは現状にあって、圧倒的な勝利者になっている自覚はないかもしれません。しかし、自分を愛して下さっているお方を経験しています。このお方が、私の勝利の鍵を握っているのです。時が来ると、勝利が現われて来るのです。(ローマ8:31、37、Ⅰペテロ
5:6)

ロマ 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

ロマ 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

Ⅰペテ 5:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

5、不当な扱いを受けていることです。

2節後半「私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。」

敵は威勢がよくて得意げなのに、自分は主の前に正しく生きようと努力しているのに、全く力のない状態であるのが歯がゆいのです。

この世の人々は楽し気に騒いでいるのに、神を畏れている者には喜びや楽しみや感謝が溢れていないように見える。

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びに満たされるためです。」(ヨハネ15:11)

最も不当な評価と仕打ちを受けたのは、私たちの主イエス・キリストです。しかし、主はご自分の前に置かれていた喜びの故に、十字架を忍ばれたと言われています(へブル12:2)。

「イエスから目を離さないでいなさい」と、自分の心に呼びかけながら、毎日の生活をしましょう。

<今週の活用聖句>

ヘブル人への手紙12章2節
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

<集会案内>

◇3月16日(水)聖別会(83)午前10時半
「人が経験できる聖化(2)主を礼拝する畏敬」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

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牧師 真部 明