週報No.2329 詩篇(30) 12篇「七回もためされたみことば」 12:2~8

2022年3月6日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

詩篇 12:2~8
12:2 人は互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話します。
12:3 【主】が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、ことごとく断ち切ってくださいますように。
12:4 彼らはこう言うのです。「われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。」
12:5 【主】は仰せられる。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」
12:6 【主】のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。
12:7 あなたが、【主】よ、彼らをお守りになります。あなたはこの時代からとこしえまでも彼らを保たれます。
12:8 人の子の間で、卑しいことがあがめられているときには、悪者が、至る所で横行します。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

4節「彼らはこう言うのです。『われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。』」

彼らは口先だけの舌で、勝つことができると言っていますが、それは他人を、隣人をだますこと、欺くことだけです。

「われらのくちびるは、われらのものだ。」とは、神のあわれみを拒み、否定し、自分中心の、高ぶった、自己主張を指しています。

「だれが、われらの支配者なのか。」悪者らは、神の支配権を否定しています。

人間の誇り高ぶりは、自分の言葉を強力な武器に押し立てて自己主張をし、反論する者、敵対する者がいなくなってしまう時、即ち神を畏れる者が目の前からいなくなってしまう時、高慢の頂点に達するのです。

5~6節、神は、聖い真理のみことばをもって、答えられます。

5節「主は仰せられる。『悩む者が踏みにじられ、貧しい者が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。』」

悪しく下劣な者は、悩む貧しい者が神に嘆き求めることを軽蔑するけれども、その軽蔑することは、彼らの高ぶりと同様に、むなしく、根拠がありません。

間違いのないことは、神は、救いを求める者たちを良く知っていて、救いに入れて下さることです。

しかし、「イエス・キリストは、私にとって何の救いにも、助けにもならなかった。」という人も、大勢います。

イエス・キリストは、全ての人の罪の身代わりとなって、十字架にかかって、死んで下さいました。しかし、主がお救い下さるのは、「その救いを求める者」と、みことばは言っています。

ここで知っておかなければならない重要な点は、「主イエスは、強制的に信じさせようとするお方ではない。」ということです。

もし、一生涯、主イエスを拒んで生きようと思うなら、そうすることもできますが、その結果、ゲヘナの火の刑罰の苦しみを受けることになってしまいます。

あの放蕩息子は、父親を拒み続けて、豚の世話を続け、生涯を送ることもできたのです。しかし、放蕩息子はそうしたくなかったのです。父の元に急いで帰り、「私は罪を犯しました。」と、父に(神に)告白したのです。この時、彼は救われました。その後の生涯は恵みに満ちたものです。取税人のかしらのザアカイも、… マグダラのマリヤも、…主イエスのもとに行ったのです。

しかし、「私はそんなにすっきりと、主に助けられたことがない。」と言う人がいるなら、主はこう言われるでしょう。「あなたは、わたしに救われることを、助けられることを、切に求めたことがありますか。」と。正直な所、みんな、日常生活の細々したことは、主の助けを求めず、自分の知恵と力でやってしまっているのです。それで、画期的な主の助けを明確に意識出来ていないのです。この生き方は、非常に危険で、自分中心の生き方になってしまいます。

切に、主を求めましょう。

次に、適切な時が来ると、必ず、忠実な者を安全に守るために、神が介入されることは、真実です。

「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神がちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(Ⅰペテロ5:6)

「踏みにじられ、嘆く」状態から「その求める救い(平安)」に入るために、神の介入を祈り求めなければなりません。私たちは、悩む人がいる限り、踏みにじられている人がいる限り、嘆いている人がいる限り、彼らが救い主を見い出せるように祈り、キリストの福音を伝え続けなければなりません。

5節中ほど「今、わたしは立ち上がる。」とは、神の介入が始まることです。神が救いを求める人々を救うために、神のみことばを語る預言者、伝道者、証し人を起こされます。神は、真理のみことばを語ることによって、働かれます。それ故、私たちは常日頃から、聖書のみことばに精通しておきたいものです。

6節「主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。」「七」は神の完全数ですから、徹底的に試された神のみことば、という意味です。神はみことばによって、介入されます。永遠に働く神のみことばの純粋性は、炉で溶かされて、精錬された銀に例えられています。これは、みことばから不純物を取り除くことを言っているのではありません。神のみことばの純粋な権威を強調しているのです。

永遠に純粋な、神の啓示されたみことばは、聖霊に用いられると、この世の人の心の中の罪悪を取り除きます(マラキ3:1~4)。

<今週の活用聖句>

詩篇119篇105節
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

<集会案内>

◇3月9日(水)聖別会(82)午前10時半
「人が経験できる聖化(1)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

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牧師 真部 明