音声:信仰の列伝(36) 「選ばれたダビデ」(サムエル記第一、16章~17章)ヘブル人への手紙11:32~34
ベロッキオ作の少年ダビデの銅像。イタリアのフィレンツェ市からエルサレム市に寄贈されたものの複製。(エルサレムのダビデの塔にあるエルサレムの歴史博物館にて)
2017年4月23日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明牧師
へブル人への手紙11章32~34節
11:32 これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。
11:33 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、
11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
【新改訳改訂第3版】
<インフォメーション>
「この戦いは主の戦いだ。」(サムエル記第一、17:47)は、多くの聖徒たちの信仰の確信となっている言葉です。
「ご主人さまは主の戦いを戦っておられるのですから、一生の間、わざわいはあなたに起こりません。」(サムエル記第一、25:28)は、愚か者ナバルの妻アビガイルが、ダビデに言った言葉です。
「…あなたがたの神、主が、…あなたがたのために戦われるのだ。」(申命記1:30)
「彼は言った。『ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。』』」(歴代誌第二、20:15)
「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ、恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。」(同20:17)
「この戦いは主の戦いである。」という確信は、非常に大事な信仰です。この世との妥協を許さない確信になります。
この戦いが、自分たちの戦いだと思うと、聖書の真理を曲げてでも、また知らなくても、平気で、人々の評判を集めようとします。
これは、ダビデによって大繁栄したイスラエル王国が、偶像礼拝によって、壊滅し、捕囚になった歴史を軽視してはいけません。
この信仰の確信は、サウル王も、ダビデの兄たちも、イスラエルの兵士たちも、持っていませんでした。ただ、子どものダビデ一人だけが持っていたので、イスラエルは救われ、勝利したのです。
聖書が一貫して教えていることは、人数が多いことに頼ってはいけないことです。子どものダビデー人の信仰によって、イスラエル全国民が救われたのです。
ひとりの少年が、自分の弁当の五つのパンと二匹の魚を主にささげることによって、五千人の人を養っただけでなく、世界の無数の人々に、いのちのパンであるイエス・キリストを悟らせているのです。
主は、私や、あなた、一人ひとりの信仰を用いて、町の人を救い、国を救い、世界を救うのです。
少年ダビデが石投げ器で巨人ゴリアテを倒したと言われるエラの谷
<今週の活用聖句>
サムエル記第一、16章7節
「…人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
地の塩港南キリスト教会
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