週報No.2442 詩篇(136)詩篇51篇1~2節「私をきよめてください」
2024年4月28日(日) 午前10時半
頌 栄 私たちはほめたたえる 2番
讃 美 みたまに心を 303番
使徒信条
讃 美 十字架のちしおは 317番
聖書交読 イザヤ書2章1~11節
主の祈り
賛 美 わたしをきよめる血の泉は 322番
メッセージ 詩篇(136) 眞部明牧師
「私をきよめてください」
讃 美 心の平安 313番
頌 栄 栄光あれや 3番
詩篇51篇1~2節
< 51 > 指揮者のために。ダビデの賛歌。ダビデがバテ・シェバのもとに通ったのちに、預言者ナタンが彼のもとに来たとき
51:1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。
51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージ>「私をきよめてください」(一部分)
ダビデの罪の自覚には、三つの顕著な特色があります。
第一は、払い除けることができない、個人的な罪の責めを負っていることです。
1~3節、
「私のそむきの罪(transgressions)」……「拭い去って(blot out)」
「私の咎(iniquity)」……「全く洗い去り(wash)」
「私の罪(sin)」……「きよめて(cleanse、purify)」
この詩篇には、こういう特異な言葉が頻繁に使われていることに注目して下さい。ダビデはこれらの言葉を使って、ダビデ自身に罪の責任があることを、自覚して、告白したのです。
3節、「まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。」
この言葉の中に、ダビデの罪の自覚が強調されています。
第二は、神に背いたという、確かな自覚を持っていたことです。
4節「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。」
ダビデの行なった罪は、ウリヤとその妻バテシェバに対するものであっても、突き詰めれば、神を軽んじて、神に反逆する行為だったのです。自分の犯した罪が、聖なる神を冒涜することであり、神に対する悪であると悟ったのです。これは、人に対する罪を否定したのではなく、神に対する罪の重さを、強調したのです。
ヨセフは、ポティファルの妻から誘惑を受けた時、「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」(創世記39:9)と言っています。
3~4節では、ダビデは、神の前で、無条件に、自分の罪を真実に告白して、心が砕かれています。それ故、神が下した罪の赦しの判決を、サタンが咎めても、無駄であり、無力です。
「主はサタンに仰せられた。『サタンよ。主がおまえをとがめている。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか。』」(ゼカリヤ書3:2)
ヨブ記1:9~11、サタンが神に、ヨブについて、ヨブの動機の不純性を訴えています。
ヨブ記2:3、神のヨブについての、弁証
「主はサタンに仰せられた。『おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。』」(ヨブ記2:3)
第三に、性質的、根源的罪があること
5節「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。」
これは「みごもる」という行為そのものが、罪深いという意味ではありません。ただ、ダビデも、人間のひとりとして、アダム以来の罪の性質を受け継いできているという事実を述べています。
しかし、私たちの主イエスは、一人の処女から生まれましたが、アダムからの罪の性質を受け継いでおられなかったことに注意したいのです。
「あなたがたのうちだれが、わたしに罪があると責める者がいますか。」(ヨハネ8:46前半)
ダビデは、自分の内に生まれながらの罪の性質があることに気づいた時、全ききよめを求める渇きが沸き上がってきたのです。
ダビデが「きよい心」を求めた熱烈な渇きは、罪の自覚以上です。
1節最後「ぬぐい去ってください。」
「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。」(イザヤ書44:22前半)
私の全ての罪も、全ての負債も、イエス・キリストの血によって、痕跡も残らないほどに、拭い去られています。罪が、跡形もなく、消し去られることです。‥‥‥
ことばや口先だけの人は、大言壮語しますが、真の神の子どもは自分の足りなさを悟って、神の恵みだけを求めて、叫ぶのです。
小羊の贖いの血は、イスラエル人の家の入口の柱だけでなく、聖所にも、祭壇にも、恵みの御座にも注がれていました。
今日、祈りにも、賛美にも、説教にも、福音宣教の働きの上にも、全ての聖なる物事の上に、小羊の血は注がれなければなりません。
罪と汚れは、私たちが神聖と思っているものの中にも侵入しやすいからです。全てのところに汚れをきよめる主イエスの血潮が必要なのです。こうして、神の尽きせぬあわれみが、私たちを祝福し、信仰の後退を回復させて下さり、……
<今週の活用聖句>
ヨハネの手紙第一、1章7節
「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」
<集会案内>
◇5月1日(水)聖別会(192)
経験的な聖化(8)「聖化における誤解と危険」
地の塩港南キリスト教会
〒233-0022 横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421
牧師 真部 明
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