聖書の探求(281) サムエル記第一 11章 イスラエルを取り囲む敵対勢力、サウルの第一回目の勝利

フランスの画家 James Tissot (1836-1902)による「Saul Sacrifices the Oxen(サウルは雄牛を切り分ける)」(ニューヨークのThe Jewish Museum蔵)


この章は、サウルの第一回目の勝利を記し、サウルが最初に直面した問題を扱っています。

11章の分解

1~5節、アモン人ナハシュの圧迫
6~11節、サウルによる勝利
12~15節、民、サウルを王と認める

ここで、イスラエルを取り囲んでいた周辺の敵対勢力について、簡単にまとめておきましょう。

(周辺の敵対勢力14:47~48)

1、アモン人(14:47)

ロトとロトの娘(妹)との間の子の子孫(創世記19:38)
ヨルダン川の東に勢力を持っていて、ルベン、ガド、マナセの半部族と抗争していた。

2、モアブ人(14:47)

ロトとロトの娘(姉)との間の子の子孫(創世記19:37)
「アモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、決して、主の集会に、はいることはできない。」(申命記23:3)
しかし、ルツはモアブ人でした。

3、エドム人(14:47)

エサウの子孫(創世記36章)
エドムとは「赤い」という意味です。
「エサウはヤコブに言った。『どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。』それゆえ、彼の名はエドムと呼ばれた。」(創世記25:30)
しかし「最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。」(創世記25:25)
エサウも、エドムも同じように「赤い」という意味のようです。
エドム人はイスラエルと対立していました(民数記20:14~21)。
オバデヤ書は、エドムの滅亡の預言をしています。

4、アマレク人(14:48)

レフィディムでイスラエルと戦っています(出エジプト記17:8~16)。
サウルはアマレクの王アガクを生け捕りにしています(サムエル記第一 15章)。しかし主のご命令はアガクを殺すことだったのです。そのためにサウルは主に捨てられてしまったのです。
エステル記は、アマレクの子孫のアガク人ハマンの滅亡を記しています(エステル記3:1、7章)。

5、ペリシテ人(14:1~47)

イサクとの争い(創世記26:8~31)
もともとペリシテ人は小アジヤやフェニキヤ地方に住んでいました。出エジプト記の時代の少し前に南下して、地中海沿岸のペリシテの地域に落ち着いたのです。
彼らは勇敢で、戦いを好む強い民で、鉄の道具や武器を造っていました(サムエル記第一 13:19~21)。
イスラエルがエジプトから出た時の旅路の最短の海岸のコースには、ペリシテ人がいたので、神はイスラエルを砂漠の荒野のコースへと導かれたのです(出エジプト記13:17,18)。

1~5節、アモン人ナハシュの圧迫

サウルを実際の新しい王として、また実際の現役の軍の指揮官として押し出す時が来ました。ギリシャ語の七十人訳聖書では、「一ヵ月後に、それは起きた。」と付け加えています。それが正確であるかどうかは別としても、サムエルがミツパで、サウルを公に王として選んでから、それほど時間は過ぎていなかったことは確かです。

1節、ヨルダン川の東、ギルアデよりも東のアモン人ナハシュが、同じヨルダン川の東の地に居住していたヤベシュ・ギルアデに対して攻撃しようと陣を敷いたのです。

Ⅰサム 11:1 その後、アモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」

ギルアデとアモンは隣接しており、アモン人はギルアデをも含めて、ヨルダン川の東の領域をアモン人の領土だと主張していたのです(士師記11:13)。

士 11:13 すると、アモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の国を取ったからだ。だから、今、これらの地を穏やかに返してくれ。」

イスラエル人がエジプトから上って来た時、この地をアモン人から取ったのだから、返してくれというのが彼らの主張です。今回も、その主張を再度、強く表わしてギルアデを追い出して、その領地を手に入れようとしていたのです。ヤベシュ・ギルアデはヨルダン川のすぐ近くですから、ナハシュは相当ギルアデの領地に侵入して来て陣を敷いていたのです。これにはヤベシュの人々も驚き、恐れたでしょう。アモン人は西側のペリシテ人ほど強力な敵対者ではありませんが、それでもこの威圧的攻撃体勢には恐れたでしょう。しかしそれがサウルの最初の勝利の機会となったのです。どんなわざわいも、困難も、失敗も、主とともに生きるなら、益に、勝利に変えられないものはありません。必要なことは、主が勝利を与えてくださると信じて、主とともに働くことだけです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(歴代誌第二 16:9)

ヤベシュの住民たちは突然の交戦のためには、全く無防備でした。ですから「私たちと契約を結んでください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」と言って、妥当な条件のもとでの契約が結べるなら、どんなものでも降伏して受け入れようという姿勢に出たのです。

2節、しかしナハシュの出した条件は、「おまえたちみなの者の右の目をえぐり取ることだ。それをもって全イスラエルにそしりを負わせよう。」でした。

Ⅰサム 11:2 そこでアモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件で契約を結ぼう。おまえたちみなの者の右の目をえぐり取ることだ。それをもって全イスラエルにそしりを負わせよう。」

これはヤベシュの人々を捕虜として捕え、右の目をえぐり出して、軽蔑のしるしとして全イスラエル人に恥辱を与えようとするものでした。これはヤベシュの人々が期待していたものとは全く異なるもので、決して受け入れることができるものではありませんでした。

3節、ヤベシュの長老たちは、ナハシュに七日間の猶予を求めています。

Ⅰサム 11:3 ヤベシュの長老たちは彼に言った。「七日の猶予を与えてください。イスラエルの国中に使者を送りたいのです。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたに降伏します。」

ナハシュは相当、自信があったものと思われます。彼はヤベシュの申し入れを受け入れています。ヤベシュの人々は七日の間にヨルダン川の西のイスラエルの部族に助けを求めることができたのです。

4節、ヤベシュの使者はイスラエルの国中に送られた(3節)けれども、ここではサウルの住むギブアの民に知らせたことを特筆しています。

Ⅰサム 11:4 使者たちはサウルのギブアに来て、このことをそこの民の耳に入れた。民はみな、声をあげて泣いた。

それはヤベシュとベニヤミン族の間には密接な結びつきがあったからです。そのことは士師記21章8~14節に記されています。
先のベニヤミンとイスラエル部族との争いの時、イスラエルは自分たちの娘をベニヤミン人にとつがせないと誓っていたのですが、ヤベシュ・ギルアデの人はその争いには加わっておらず、その誓いにも加わっていなかったので、ヤベシュの若い女性四百人を、ベニヤミン人の生き残った人たちに妻として与えられていたからです。それ故、ヤベシュの人とベニヤミン人とは親戚関係にありました。ですから、この知らせを聞いたベニヤミンのギブアの人々は「声をあげて泣いた」のです。

5節、サウルは王として選ばれた後も、牛を使って畑仕事をしていました。

Ⅰサム 11:5 そこへ、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、どうしたのですか。」そこで、みなが、ヤベシュの人々のことを彼に話した。

サウルは王に選ばれても、気負うところなく、それまでと同じ生活を続けていたのです。これは彼の謙遜な性格として良い点でした。

サウルは畑仕事から帰って来た時、民がみな声をあげて泣いているのを見て、大変な危機に直面したことを察知したのです。

6節、サウルはみなから、ヤベシュの人々のことを聞いた時、「神の霊がサウルの上に激しく下った。」この表現は、旧約聖書の人々に、神の超自然的な能力と知恵が与えられたことを示しています。

Ⅰサム 11:6 サウルがこれらのことを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった。

これと同じ表現は士師記3章10節、6章34節、11章29節、14章6節などに記されています。

これは神の御霊が人の内に下ったことを示す一般的な表現です。旧約聖書では、人の不正や悪に対して聖なる激しい怒りが顕著に記されていますが、新約聖書では、神の怒りは全き愛とともに示されています。神の怒りは霊魂を愛し、救うための怒りです。

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36)

「ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。神はひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には永遠のいのちを与え、党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。」(ローマ2:5~8)

愛に反するものは、怒りではなく、憎しみやねたみ、高慢、欺き、敵対心、自己主張なのです。
神の内には愛と怒りは共存しておられます。愛と怒りは両立できるものなのです。

サウルは10章10節で、「神の霊が彼の上に激しく下った」経験がありましたから、彼はすぐに神が働いておられることを自覚できたのです。

7節、サウルは一くびきの牛を切り分け、それをイスラエルの国中に送って、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる。」と言わせています。

Ⅰサム 11:7 彼は一くびきの牛を取り、これを切り分け、それを使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言わせた。民は主を恐れて、いっせいに出て来た。

これがサウルが王としての権力を使った最初の仕事です。

「民は主を恐れて、いっせいに出て来た。」
神の御霊が働く時、人々は主を恐れて働くようになります。これが信仰による改革です。神の御霊が働いていない時には、人間がいくら熱心に働いても、人は神を信じて働くようにはなりません。無関心や軽蔑や無視が広がってしまうのです(10:27)。

「いっせいに」は直訳では「ひとりの人のように」です。説明や説得によってではなく、ひとりひとりが神の御霊によって働く時、全く一人の人のように愛と力の調和が生じ、戦いの力は十倍にも、百倍にもなるのです。神の御霊が働かない時は、サタンが働いていますから、反発、争い、分裂を起こすようになります。

「こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたも一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」(ピリピ2:1~2)

8節、イスラエルの人々は、ヨルダン川をはさんでヤベシュ・ギルアデの反対側のベゼクに集まっています。

Ⅰサム 11:8 サウルがベゼクで彼らを数えたとき、イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人であった。

北部のイスラエルから三十万人、南部のユダから三万人が集まっています。彼らはヤベシュの使者たちに、次のように言って励ましました。「あすの真昼ごろ、あなたがたに救いがある。」使者たちがこの言葉をヤベシュの人々に告げた時、彼らは喜び、勝利の確信を受けたでしょう。ベニヤミン人が困っている時、ヤベシュの人々は四百人の若い女性をベニヤミン人の妻として与えましたが、そのことが今、このようにして大いなる助けとして返って来たのです。あわれみをもって他の人を助けることは、必ず恵みとなって自分に返ってくるのです。

ルカの福音書10章31,32節に出てくる祭司やレビ人のように宗教的働きをしていても、半殺しになった同胞を助けずに、見捨てて通り過ぎて行く人は、主からあわれみを受けることができません。マタイ19章16~22節の金持ちの青年も、律法は子どもの頃から守って来ましたと自信を持ってイエス様に答えていますが、自分の近くにいる貧しい人たちを助けるだけの実際的な愛とあわれみを持っていなかったのです。それ故、彼は主から永遠のいのちを受けることができず、悲しい顔をしてイエス様のもとから去って行ったのです。

「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」(マタイ5:7)

10節、ヤベシュの人々はアモン人ナハシュに、「私たちは、あす、あなたがたに降伏します。あなたがたのよいと思うように私たちにしてください。」と言っています。

Ⅰサム 11:10 ヤベシュの人々は言った。「私たちは、あす、あなたがたに降伏します。あなたがたのよいと思うように私たちにしてください。」

この言葉は、アモン人を油断させました。これはヤベシュの人々の戦略だったのです。

11節、「翌日」それは10節でヤベシュの人々が「あす、あなたがたに降伏します。」と言っていた日なので、アモン人は安心して、武装を解除し、無防備になっていた時です。

Ⅰサム 11:11 翌日、サウルは民を三組に分け、夜明けの見張りの時、陣営に突入し、昼までアモン人を打った。残された者もいたが、散って行って、ふたりの者が共に残ることはなかった。

「サウルは民を三組に分け」三方向から突入させたのか、三段に分けて突入させたのか分かりませんが、サウルは慎重に事を運んでいます。

「夜明けの見張りの時」は、ヘブル語の「ボクェル」で「晩、夜明け」という意味です。イスラエル人にとって、「夜明け」はラッパを吹いて民に知らせていたので、見張り人がいたのです。夜明けの見張りは今日の朝三時から六時頃まででした。その日、ヤベシュ人は降伏することになっていましたから、安心し切っていたところに奇襲攻撃を加えたので、アモン人の軍隊は総崩れになってしまったのです。ヤベシュ人の攻撃は昼まで続いたとありますから、相当数のアモン人が倒れたものと思われます。残された者もいましたが、散り散りばらばらになり、二人の者が一緒にいることがなかったほど、ヤベシュ人の攻撃は徹底していたのです。この表現と似たものが、「ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」(マタイ24:2)これはAD70年のローマ軍のエルサレム侵略によって、エルサレムが徹底して荒廃してしまうことを、イエス様が預言されたものです。

12節、サウルの指導による戦いは、めざましい勝利を収め、イスラエル人のサウルへの忠誠を固めました。

Ⅰサム 11:12 そのとき、民はサムエルに言った。「サウルがわれわれを治めるのか、などと言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」

そして、10章27節で、サウルを軽蔑し、贈り物を持って来なかった、よこしまな者たちを、「引き渡してください。彼らを殺します。」と、サムエルに彼らを処刑することを願ったのです。主が油注いだ者を侮る者には、必ずわざわいが来ます。しかしまた、過激な処分を求める者もわざわいです。

13節、それを聞いたサウルは「きょうは人を殺してはならない。きょう、主がイスラエルを救ってくださったから。」と言って、主に感謝を表わし、自分を軽蔑した人に対しては寛大さを表わし、賢く、大赦を布告したのです。

Ⅰサム 11:13 しかしサウルは言った。「きょうは人を殺してはならない。きょう、主がイスラエルを救ってくださったのだから。」

「主がイスラエルを救ってくださった」これは軍事的な救いですが、「救い」は旧約聖書と新約聖書の両方にとって中心主題であり、最も重要な言葉です。それにしても、この度の勝利をサウルが自分の手柄にせず、「主が……救ってくださったから」と、主に栄光を帰したことは、なんともうるわしいサウルの謙遜と言えるでしょう。これは次の勝利を約束するしるしです。

14節、今回の大勝利は、神が王としてサウルを選ばれたことを全イスラエルに強烈に知らしめるところとなりました。

Ⅰサム 11:14 それからサムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルへ行って、そこで王権を創設する宣言をしよう。」

サムエルは、王国を更に明確に創建する好機が来たと受け止めたのです。そこでサムエルは民をギルガルに連れて行き、そこで「王権を創設する宣言をしよう。」としています。こうして正式に王国の憲法が宣言され、王に王権が与えられ、王権が発効することになるのです。

サムエルがギルガルを選んだのは、イスラエルがヨルダン川を渡って、神の約束の地に入った最初の地であり(ヨシュア記4:19)、イスラエルが荒野の旅路の生活を終え、神の民として定住する地に入ったことを意味する地として、画期的な意味を持つ地だったからです。

彼らはそこで神の民であることのしるしとしての割礼を受け、「エジプトのそしりを取り除かれた」ことで、その地は「ギルガル(ころがすという意味)」と呼ばれたのです(ヨシュア記5:7~9)。こうしてギルガルはイスラエル人にとって記念すべき地だったのです。サムエルはイスラエルが王国として再出発する時、イスラエルが神の約束の地に最初に入ったこの地を選んで王国出発の地としたのです。

15節、民はヨルダン渓谷のギルガルに集まり、「主の前に、サウルを王とした」とあります。

Ⅰサム 11:15 民はみなギルガルへ行き、ギルガルで、主の前に、サウルを王とした。彼らはそこで主の前に和解のいけにえをささげ、サウルとイスラエルのすべての者が、そこで大いに喜んだ。

サウルはすでに王としての油注ぎを受けていましたので、今回は宣言だけしたようです。
15節には二回、「主の前に」という言葉が記されています。これは、王としての宣言も、和解のいけにえも、非常に厳粛な信仰の意味をもっていたことを示しています。こうしてサウルもイスラエルの民も主の前で信仰の意味を込めて行なうことによって、大いなる喜びを経験したのです。

あとがき

「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」(詩篇16:8)
信仰生活においては、聖書のことばを覚えていること以上に、また教会に通っていること以上に、いつも生活の中で、自分の前に主を置き、イエス様の御霊が私と一緒に働いて下さっていることを自覚することが必要です。
この自覚を忘れる時、とかく私たちは日頃、信仰の話をしている割に、あたかもイエス様がいないかのように、イエス様の前では言えない言葉を言ったり、態度や行動をとってしまいがちになります。これがわざわいをひき起こしてしまうのです。毎日、いつも私の前に主を置いた信仰の自覚を持って、生活させていただきましょう。マタイ28:20

(まなべあきら 2007.8.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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