聖書の探求(306) サムエル記第一 30章 アマレク人のツィケラグ侵略、ダビデの追跡、奪われたものを取り戻す

フランスの神学者 Nicolas Fontaine(1625-1709)による「David Defeats the Amalekites(ダビデはアマレク人を打つ)」(Pitts Theology Libraryより)


この章は、ダビデたちの留守中に起きた、アマレク人によるツィケラグ侵略事件を扱っています。

30章の分解

1~6節、アマレク人のツィケラグ侵略
7~10節、ダビデの追跡
11~15節、一人のエジプト人
16~20節、奪われたものを取り戻す
21~31節、ダビデの神を畏れた処置

1~6節、アマレク人のツィケラグ侵略

Ⅰサム 30:1 ダビデとその部下が、三日目にツィケラグに帰ってみると、アマレク人がネゲブとツィケラグを襲ったあとだった。彼らはツィケラグを攻撃して、これを火で焼き払い、
30:2 そこにいた女たちを、子どももおとなもみな、とりこにし、ひとりも殺さず、自分たちの所に連れて去った。
30:3 ダビデとその部下が、この町に着いたとき、町は火で焼かれており、彼らの妻も、息子も、娘たちも連れ去られていた。

ダビデたちがツィケラグを留守にしていたのは、わずかな期間であると思われます。その間にアマレクはネゲブとツィケラグを襲っています。これはアマレク人が相当の機動力をもって行動していたことを示しています。

ダビデたちがアキシュと共に北に行っていた間に、アマレク人はその隙を狙って、南からネゲブとツィケラグの地域を侵略し、ツィケラグを火で焼き払い、ダビデの部下の妻たちや、息子、娘たちを奴隷とするために連れ去ってしまっていたのです。ダビデの二人の妻、イズレエル人アヒノアムも、カルメル人アビガイルも連れ去られていました(5節)。

30:5 ダビデのふたりの妻、イズレエル人アヒノアムも、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルも連れ去られていた。

当時、奴隷にされることは、殺されるよりも悪いとされていたのです。ですから、ツィケラグに帰って来たダビデと部下たちは、厳しいショックをうけたのです。しかし捕えられて間もなかったので、奪回するためには、良い時に帰還していたのです。

4節、ダビデも部下たちも、この惨状を知って大きな悲しみに陥り、「声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。」

30:4 ダビデも、彼といっしょにいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。

6節、ダビデ自身の家族も連れ去られてしまっていた上に、部下たちの行動がダビデの心の激しい痛みとなりました。

30:6 ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、【主】によって奮い立った。

これまでダビデと生死をともにしてきた部下たちでしたが、各々の家族が捕われたことで、ダビデの責任を責めて、石で打ち殺そうとしたのです。この激変にダビデは非常に悩み苦しんだのです。

そこから抜け出す道は一つしかありませんでした。それは自分自身が経験している神、主によって自分を励まし、奮い立たせることでした。こうして、ダビデは突発的な出来事に対しても、主に問いつつ、自分を神によって励ましたのです。

「『私は大いに悩んだ。』と言ったときも、私は信じた。」(詩篇116:10)

7~10節、ダビデの追跡

この時、アヒメレクの子エブヤタルは祭司の働きをしていました。ダビデは彼にエポデを持って来るように言い、アマレク人の盗賊を追跡すべきかどうか、主に尋ねています。

Ⅰサム 30:7 ダビデが、アヒメレクの子、祭司エブヤタルに、「エポデを持って来なさい」と言ったので、エブヤタルはエポデをダビデのところに持って来た。

先にダビデは、主に問わずにアキシュのもとに下って、この災禍に会ったのですが、ダビデは再びここで主に問うています。

Ⅰサム 30:8 ダビデは【主】に伺って言った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」するとお答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」

ダビデの質問は明確でした。
「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」

人間的に考えれば、自分の家族や部下たちの家族も連れ去られているのですから、当然追うべきと考えるでしょう。しかしダビデはそれを主に問うたのです。ここに彼の信仰の活用があります。

主のお答えも明確でした。
「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」

この主のお答えは、サウルが主に問うた時と全く異なっています(28:6)。

Ⅰサム 28:6 それで、サウルは【主】に伺ったが、【主】が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、

9~10節、ダビデは主から確約をいただくと、六百人の部下を連れて追跡を始め、ツィケラグの南のベソル川まで来ました。このベソル川は現在のガゼの枯れた谷と思われます。この谷はツィケラグの南東のベエルシェバの近くから始まり、ガザの南で地中海に注いでいます。

Ⅰサム 30:9 そこでダビデは六百人の部下とともに出て行き、ベソル川まで来た。残された者は、そこにとどまった。
30:10 ダビデと四百人の者は追撃を続け、疲れきってベソル川を渡ることのできなかった二百人の者は、そこにとどまった。

六百人の部下たちの中には、連続の行軍のために体力を消耗して疲れ切っている者が二百人いました。ダビデはサウルのように部下たちに無理を強いることをしなかったのです(14:24~32)。疲れた者たちはベソル川を渡ることができなかったので、そこに残して、四百人の者たちが追跡を続けています。

この1~10節の中には、失望、落胆の中から立ち上がるための秘訣が記されています。

1、失望の原因(落胆の深さを示す)

a、家族を奪われ、失ったこと
b、予期しない時に受けた打撃
c、自分が最善を尽くしている時に起きた事件
d、信頼していた仲間から受けた打撃

2、失望から立ち上がる秘訣

a、日頃の神経験をしている神により頼んだこと
b、主に伺う祈り
c、確信を持った断固たる行動
d、主の力強い助け

11~15節、一人のエジプト人

11節、ダビデたちが追跡を始めると、すぐに野原で一人のエジプト人を見つけています。

Ⅰサム 30:11 彼らはひとりのエジプト人を野原で見つけ、ダビデのところに連れて来た。彼らは彼にパンをやって、食べさせ、水も飲ませた。

主は、「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」(8節)と約束してくださった通り、ダビデたちに案内人を備えられたのです。

12~14節、彼はアマレク人の奴隷だった人で、三日前に病気になり、主人に捨てられて置き去りにされていたのです。

Ⅰサム 30:12 さらに、ひとかたまりの干しいちじくと、二ふさの干しぶどうをやると、彼はそれを食べて元気を回復した。三日三晩、パンも食べず、水も飲んでいなかったからである。
30:13 ダビデは彼に言った。「おまえはだれのものか。どこから来たのか。」すると答えた。「私はエジプトの若者で、アマレク人の奴隷です。私が三日前に病気になったので、主人は私を置き去りにしたのです。

彼は三日間、パンも食べず、水も飲んでおらず、ほとんど意識を失った状態だったと思われます。
ダビデたちは彼に水を飲ませ、パンを与えています。

「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。」(ローマ12:20)

こうして、このエジプト人は生き返り、アマレク人がケレテ人のネゲブやユダに属する地、カレブのネゲブとツィケラグを火で焼き払ったことを話したのです。

Ⅰサム 30:14 私たちは、ケレテ人のネゲブと、ユダに属する地と、カレブのネゲブを襲い、ツィケラグを火で焼き払いました。」

彼が話した地域はネゲブの南部地域の全領域を指しており、死海の南から地中海までの間の荒地の全てを含んでいます。

15節、ダビデはエジプト人に「その略奪隊のところに案内できるか。」と尋ねています。

Ⅰサム 30:15 ダビデは彼に言った。「その略奪隊のところに案内できるか。」彼は答えた。「私を殺さず、主人の手に私を渡さないと、神かけて私に誓ってください。そうすれば、あなたをあの略奪隊のところに案内いたしましょう。」

彼はアマレク人がどこに行くかを知っていたのです。彼が案内すれば捜す必要がありません。彼は「私を殺さず、主人の手に私を渡さないと、神にかけて誓ってください。」と頼んでいます。彼は自分がアマレク人の襲撃に加わったことと、アマレク人からの保護を求めたのです。

16~20節、奪われたものを取り戻す

エジプト人の案内によって、主が約束された通り、すぐにアマレク人に追いつきました。

Ⅰサム 30:16 彼がダビデを案内して行くと、ちょうど、彼らはその地いっぱいに散って飲み食いし、お祭り騒ぎをしていた。彼らがペリシテ人の地やユダの地から、非常に多くの分捕り物を奪ったからである。

アマレク人たちはペリシテ人の地やユダの地から非常に多くの物を奪っており、その戦利品の故に、その地いっぱいに広がって飲み食いし、お祭り騒ぎをしていて全く無防備になっていたのです。

17節、ダビデはその日の夕暮れから次の日の夕暮れまで、丸一日間彼らを打ったのです。

Ⅰサム 30:17 そこでダビデは、その夕暮れから次の夕方まで彼らを打った。らくだに乗って逃げた四百人の若い者たちのほかは、ひとりものがれおおせなかった。

これだけの時間がかかったことは、アマレク軍の人数が相当多かったことを示しています。しかしアマレク軍は、らくだに乗って逃げた四百人の若者以外は、全員滅んでしまったのです。

18~20節、こうしてダビデは、アマレク人が奪っていったものを全て取り戻しました。

Ⅰサム 30:18 こうしてダビデは、アマレクが奪い取ったものを全部、取り戻した。彼のふたりの妻も取り戻した。
30:19 彼らは、子どももおとなも、また息子、娘たちも、分捕り物も、彼らが奪われたものは、何一つ失わなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。

「彼のふたりの妻も、子どもも大人も、息子、娘たち、分捕り物も、彼らが奪われたものは、何一つ失わなかった。」これはダビデたちが、一人一人を確認したことを表わしているでしょう。

20節は、一隊の長としてのダビデの分け前を表わしています。

Ⅰサム 30:20 ダビデはまた、すべての羊と牛を取った。彼らはこの家畜の先に立って導き、「これはダビデの分捕り物です」と言った。

ダビデはこれを26~31節で友人であるユダの長老たちに贈り物として与えたのです。

21~31節、ダビデの神を畏れた処置

ここには、疲れ切っていて、直接、戦いに参加できなかった仲間たちに対するダビデの思いやりのある行動を記しています。

Ⅰサム 30:21 ダビデが、疲れてダビデについて来ることができずにベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところに来たとき、彼らはダビデと彼に従った者たちを迎えに出て来た。ダビデはこの人たちに近づいて彼らの安否を尋ねた。

これこそ、すぐれた指導者の資質です。

22節、ダビデと共に戦った四百人の部下のうちの何人かを「意地の悪い、よこしまな者たち」と記しています。

Ⅰサム 30:22 そのとき、ダビデといっしょに行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らはいっしょに行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物を、彼らに分けてやるわけにはいかない。ただ、めいめい自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」

彼らは口々に、「彼らはいっしょに行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物を、彼らに分けてやるわけにはいかない。ただ、めいめいの自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」と言ったのです。

これは、自分の力で戦って勝ったという高慢な思いと、欲張りで、よこしまな者たちの主張です。こういう自己主張をしている限り、争いは絶えません。

23節、ダビデは、彼らをいさめて、勝利は自分たちの力によったのではなくて、「主が私たちに賜わった……主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。」と教えています。

Ⅰサム 30:23 ダビデは言った。「兄弟たちよ。【主】が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。

これがダビデの確信であり、連続の勝利の秘訣なのです。ですから、分捕り物を自分たちだけで取ってしまうのはよくない、と教えたのです。

このことは、民数記31章27節に定められていたのです。「その分捕ったものをいくさに出て取って来た戦士たちと、全会衆との間に二分せよ。」

24節、ベソル川で荷物のそばにとどまっていた者にも、同じように分け前を分け合うことこそ祝福なのです。

Ⅰサム 30:24 だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」

「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。」(使徒4:32~35)

25節、「その日以来、ダビデはこれをイスラエルのおきてとし、定めとした。今日もそうである。」

Ⅰサム 30:25 その日以来、ダビデはこれをイスラエルのおきてとし、定めとした。今日もそうである。

ダビデは民数記31章27節の定めを自分で実行して、再び新しい命を吹き込んで、新しい定めとしたのです。

「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。」(ローマ15:1~3)

「私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。」(コリント第一 10:33)

「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」(ピリピ2:4)

26~31節、ダビデはツィケラグに帰ってから、友人であるユダの長老たち、おそらく、ダビデの逃亡中、ダビデの味方となって助けてくれていたユダの長老たちに分捕り物から贈り物を送ったのです。

Ⅰサム 30:26 ダビデはツィケラグに帰って、友人であるユダの長老たちに分捕り物のいくらかを送って言った。「これはあなたがたへの贈り物で、【主】の敵からの分捕り物の一部です。」
30:27 その送り先は、ベテルの人々、ネゲブのラモテの人々、ヤティルの人々、
30:28 アロエルの人々、シフモテの人々、エシュテモアの人々、
30:29 ラカルの人々、エラフメエル人の町々の人たち、ケニ人の町々の人たち、
30:30 ホルマの人々、ボル・アシャンの人々、アタクの人々、
30:31 ヘブロンの人々、および、ダビデとその部下がさまよい歩いたすべての場所の人々であった。

27~31節にある地名は、すべてユダの町々の名前であり、31節にあるように、ダビデとその部下たちがさまよい歩いていたすべての場所、すなわちダビデたちがお世話になって来た町々です。この感謝を表わす贈り物は、やがて間もなく、ダビデがユダの王となるための非常によい備えとなったのです。

21~25節に記されていることの原理は、恵みを互いに分け合うことです。その原理をいくつか挙げてみると、

1、すべての人が同じように戦えるわけではない。強い人もいれば、弱い人もいることを考慮すべきこと。

2、先頭に立って戦う人だけでなく、後方基地を守って支える人も大切なこと。

3、神の恵み深さと良善がある人だけが、互いに恵みを分かち合って、乏しい人がいなくなること。

神は収穫を与えますが、それには土を耕す人、種を蒔く人、水を注ぐ人が必要なのです。主がそれらのすべての人を喜ばれるのです。

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも、水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」(コリント第一 3:6~9)

あとがき

以前、脳の手術を受けた渉ちゃんのためにお祈りをいただき、感謝致します。その後のお手紙が届きました。彼は一才三ヶ月になり自宅で生活しています。時々、けいれんの発作や水分が摂れなくて脱水状態で入院したりしています。ミルクも口から飲むことができず、鼻から胃までチューブで入れています。右半身に麻痺があり、おすわり、這い這いも困難で、リハビリをがんばっているそうです。
しかし脳の状態は良好で、左脳がなくなった分、右脳がどんどん大きく成長しています。左脳がなくても、右脳だけで元気に生活できるようになった人もいるそうです。口からミルクが飲めるようになれば、右脳の成長がもっとはやくなるでしょう。「神のわざがこの人に現われるためです。」(ヨハネ9:3)

(まなべあきら 2009.9.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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