聖書の探求(309) サムエル記第二 1章 サウルとヨナタンの死に対するダビデの悲しみの歌

フランスの画家James Tissot (1836–1902)による「Saul Falls Upon His Sword(サウルは自分の剣の上に倒れる)」(New YorkのJewish Museum蔵))


1章は、サウルとヨナタンの死に対するダビデの悲しみの歌、哀歌を記しています。
この章の鍵の節は、26節です。「あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。」

1章の分解

1~10節、アマレク人の偽りの証言
11~12節、ダビデの悲しみ
13~16節、アマレク人への叱責と刑罰
17~27節、ダビデの哀歌

1~10節、アマレク人の偽りの証言

Ⅱサム 1:1 サウルの死後、ダビデはアマレク人を打ち破って帰り、二日間、ツィケラグに滞在した。

この部分は、サムエル記第一 30章のアマレク人の襲撃と、31章のサウルたちのギルボア山での死を確認するために記しています。この二つの出来事は、同時に起きた出来事です。ギルボア山はエルサレムの北96kmの所にあり、ツィケラグはエルサレムの南西80kmの所にありました。ダビデはサウルやヨナタンが死んだ時、約176kmも離れた所にいたのです。

Ⅱサム 1:2 三日目に、突然、ひとりの男がサウルの陣営からやって来た。その着物は裂け、頭には土をかぶっていた。彼は、ダビデのところに来ると、地にひれ伏して、礼をした。
1:3 ダビデは言った。「どこから来たのか。」彼はダビデに言った。「イスラエルの陣営からのがれて来ました。」

ダビデに報告に来た「ひとりの若い男のアマレク人」は明らかに、サウルやイスラエル人と一緒に従軍していた者と思われます。彼が三日かけて、遠く離れたツィケラグのダビデにサウルの死を報告しに来たのは、彼に打算的魂胆があったからに違いありません。「三日目に」とは、彼がほとんど昼夜、歩き続けたことを意味しています。「突然」というのは、彼がダビデの使者として遣わされていた者ではないことを示しています。

彼はサウルと息子たちの死という、不幸な報告をするために、当時の悲しみを表わす伝統的なしるしである姿をしていました。そのために彼は着物を引き裂き、頭に土をかぶっていたのです。

彼がダビデの所に来たとき、「地にひれ伏して、礼をした」のは、ダビデが次の王になることを知っていたからです。

4~10節のアマレク人の若者の説明は、サムエル記第一 31章2~6節の記録と異なっています。聖書の記録は、サウルが自分の剣の上にうつぶせに倒れて死んだと記していますが、このアマレク人は、サウルにまだ息があり、ひどいけいれん(ヘブル語の文字通りの意味では「困惑」とか、「うろたえ」です。)を起こしていて、もう生き延びられないと分かり、またサウルから「私を殺してくれ。」と言われたので、彼が殺したと報告しています。

Ⅱサム 1:4 ダビデは彼に言った。「状況はどうか、話してくれ。」すると彼は言った。「民は戦場から逃げ、また民の多くは倒れて死に、サウルも、その子ヨナタンも死にました。」
1:5 ダビデは、その報告をもたらした若者に言った。「サウルとその子ヨナタンが死んだことを、どうして知ったのか。」
1:6 報告をもたらした若者は言った。「私は、たまたま、ギルボア山にいましたが、ちょうどその時、サウルは槍にもたれ、戦車と騎兵があの方に押し迫っていました。
1:7 サウルが振り返って、私を見て呼びました。私が『はい』と答えると、
1:8 サウルは私に、『おまえはだれだ』と言いましたので、『私はアマレク人です』と答えますと、
1:9 サウルが、『さあ、近寄って、私を殺してくれ。まだ息があるのに、ひどいけいれんが起こった』と言いました。
1:10 そこで私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生きのびることができないとわかったからです。私はその頭にあった王冠と、腕についていた腕輪を取って、ここに、あなたさまのところに持ってまいりました。」

彼は二つの策略を考えていました。一つは、自分がサウルを殺したことによって、イスラエルの王を殺したという殺人者の罪が問われないようにするため、「サウルがもう生き延びられない状態にあった」ことと、サウルに「殺してくれ」と頼まれたことを話して説明しています。

もう一つは、サウルがダビデの命を狙っていたことを知っていたので、ダビデに代わって、サウルの憎悪に仕返しをしてあげましたよ、という、きっとダビデから報酬を受けられると思い込んで話した完全なウソなのです。この愚かで欲張りなアマレク人は、自らのウソで、自分の命を失うことになってしまったのです。

サウルとヨナタンの死の知らせを受けたダビデは狼狽して、アマレク人に詳しい説明を求めたので、彼はサウルの臨終に立ち会って見ていたかのように話しています。恐らく、このアマレク人の若者は、サウルと道具持ちが話しているのを聞いていて、彼は自分をその道具持ちの立場に置き換えて、更に自分にも手柄を帰するために、サウルにとどめを刺したと言ったのです。

彼は、その証拠として、サウルの王冠と腕輪を持ってきていました。これはペリシテ人がサウルの死体を見つける前に、彼がそれらのものを奪い取って、その場から逃れたのです。

こうして彼は、ダビデから褒賞をもらうために、うまい偽りの物語を作り上げて、あたかも事実であるように話したのです。それが彼の命取りになるとも知らずに。

11~12節、ダビデの悲しみ

Ⅱサム 1:11 すると、ダビデは自分の衣をつかんで裂いた。そこにいた家来たちもみな、そのようにした。
1:12 彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また、【主】の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した。彼らが剣に倒れたからである。

ダビデは、自分の命を狙っていた者の死の故に、安心し、喜ぶのかと思えば、そうではなく、「自分の衣をつかんで裂い」て悲しみを表わしています。ダビデの家来たちもみな、同じようにして、悲しみを表わしています。

12節には「サウルのため、その子のヨナタンのため、また、主の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した。」と記しています。この悲しみがだれのためであったかを明確にしています。ダビデは、敵対者であっても、人が滅びることを決して喜ばなかったのです。まして神の御名をいただいている王や神の民の上にわざわいが下ることは、大きな悲しみです。こうしてダビデは、「泣く者といっしょに泣く」(ローマ12:15)ことの大切さを、家来の前にも、国民の前にも示したのです。

13~16節、アマレク人への叱責と刑罰

13節、ダビデは、報告した若者に「おまえはどこの者か。」と尋ねています。

Ⅱサム 1:13 ダビデは自分に報告した若者に言った。「おまえはどこの者か。」若者は答えた。「私はアマレク人で、在留異国人の子です。」

これは単なる出身地を尋ねたのではなく、どこまで信仰的責任が問えるかを調べているのです。彼は「私はアマレク人で、在留異国人の子です。」と答えています。この意味は、割礼を受けてイスラエル人の宗教に改宗してはいないけれども、親の代からイスラエル人の間に定住していたアマレク人であることを示しています。そうであるなら、彼は当然、サウルの道具持ちがサウルに手を下すことを恐れたように、サウルに手を下すことを恐れるべきだったのです。彼はサウルが主に油注がれた王であったことを知っていたはずです。「主に油そそがれて指導者に立てられた人」に畏敬を示し、決して刃向かわないことは、ダビデが生涯守り通した重要な態度でした。それは主ご自身の主権に刃向かうことになるからです。

15,16節、ダビデは、自らサウル王を殺したと告白したアマレク人を打つように命じて、彼はそこで打ち殺されています。

Ⅱサム 1:14 ダビデは言った。「【主】に油そそがれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」
1:15 ダビデは若者のひとりを呼んで言った。「近寄って、これを打て。」そこで彼を打ち殺した。
1:16 そのとき、ダビデは彼に言った。「おまえの血は、おまえの頭にふりかかれ。おまえ自身の口で、『私は【主】に油そそがれた方を殺した』と言って証言したからである。」

欲と自分の知恵で考えた策略は、ダビデから褒賞を受けるのではなくて、主の油注がれた方を殺した殺人者として処罰を受けてしまったのです。自分の知恵で考えることが、どんなに愚かで、わざわいかを、これでよく分かると思います。

17~27節、ダビデの哀歌

Ⅱサム 1:17 ダビデは、サウルのため、その子ヨナタンのために、この哀歌を作り、
1:18 この弓の歌をユダの子らに教えるように命じた。これはヤシャルの書にしるされている。

18節の「ヤシャルの書」は、旧約聖書中に、何の説明もなく、その名だけが記されている数冊の書物の中の一つです。「ヤシャル」は「公正な者」とか、「義人」を意味する言葉です。この書には、イスラエルの歴史の中の顕著な出来事を記念するために、英雄的詩を集めて記していたものと思われます(ヨシュア記10:12,13)。

この詩は、美しい抒情詩で、この種の抒情詩によってダビデは詩人としても有名になっていきました。彼は、この詩をユダの子らに教えるように命じています。このような抒情詩でありながら、歴史を歌うことによって、民を教育していったのです。

この詩は、純粋な悲しみを表わしています。その特徴として、「ああ、勇士たちは倒れた。」(19、25、27節)の句を三回繰り返しています。ダビデは彼の命を狙っていたサウルと、彼が最も愛していたヨナタンを「勇士たち」と言っています。この「勇士たち」はただの戦士のことを言ったのではなく、神の勇士たちという意味を含んでいます。サウルは神に捨てられた人ではないか、と思う人もいるでしょう。ダビデはサウルを神から油注がれた勇士と見ていたのです。ここにダビデの敬虔の深さが見られ、人間的恨みや憎しみは全く見られません。

19節の「イスラエルの誉れ」は、ヘブル語では「イスラエルの輝き、または栄光」です。勇士たちが倒れたことによって、イスラエルの栄光が奪われたことを悲しんでいます。

Ⅱサム 1:19 「イスラエルの誉れは、おまえの高き所で殺された。ああ、勇士たちは倒れた。

20節のガテとアシュケロンは、ペリシテ人の主要な町で、この二つの町の名を挙げることによって、ペリシテ全体を表わしています。

Ⅱサム 1:20 これをガテに告げるな。アシュケロンのちまたに告げ知らせるな。ペリシテ人の娘らを喜ばせないために。割礼のない者の娘らを勝ち誇らせないために。

ダビデは、神の勇士たちが倒れたことを彼らに知らせるな、と言っています。異教の民であり、神の民に敵対している者たちが、神の民が倒れたことを聞いて喜び、勝ち誇ることは、神をはずかしめることになり、ダビデには耐えられないことだったのです。

このことは、今日、教会員も深く心すべきことです。教会の中で争いを起こして、それを周囲の未信者の人が嘲笑い、勝ち誇ったように言わせるのは、教会員が神をはずかしめ、冒瀆していることになるのです。これについて、パウロは次のように言っています。

「あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるでしょうか。あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたはごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。私たちは御使いをもさばくべき者だということを知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。それなのに、この世のことで争いが起こると、教会のうちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。
私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。それで兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。
そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行なう、だまし取る、しかもそのようなことを兄弟に対してしているのです。」(コリント第一 6:1~8)

21節、「ギルボアの山々」はイスラエルがペリシテとの戦いで敗れた場所です。

Ⅱサム 1:21 ギルボアの山々よ。お前たちの上に、露は降りるな。雨も降るな。いけにえがささげられた野の上にも。そこでは勇士たちの盾は汚され、サウルの盾に油も塗られなかった。

ダビデの悲しみは、この敗北の山々に、どんな恵みの露も雨も降らないようにと言って、彼の悲しみの深さを表わしています。

かつて、初なりの収穫の穀物がささげられた野原も、不毛の地となってダビデと共に悲しむように呼びかけています。

「そこでは勇士たちの盾は汚され、サウルの盾に油も塗られなかった。」は、どんな慰めも得られないことを象徴的に歌っています。

盾に油を塗ることは、戦いの前に盾に油を塗って、光らせるユダヤの習慣です。

「立ち上がれ、首長たち。盾に油を塗れ。」(イザヤ書21:5)

しかし、その盾は今や土と血で汚されていると悲しんでいるのです。サウルはイスラエル軍の首長なのに、そのサウルの盾に油が塗られていないことの無念さをダビデは悲しんだのです。これは神の民の栄光が汚されたことを意味すると思ったのです。

22節の「勇士たちのあぶら」は、モファト訳では「勇士たちの油」となっています。

Ⅱサム 1:22 ただ、殺された者の血、勇士たちのあぶらのほかは。ヨナタンの弓は、退いたことがなく、サウルの剣は、むなしく帰ったことがなかった。

サウルもヨナタンも戦いに敗れたことがないのに、今は勇士たちの血と死があるだけだと、深く悲しみを表わしています。

しかし23節では、ダビデはサウルとヨナタンを「愛される、りっぱな人だった。」と言っています。

Ⅱサム 1:23 サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、鷲よりも速く、雄獅子よりも強かった。

私たちはヨナタンに対しては認めるにしても、サウルは果たしてそうだったのかと疑問に思うでしょう。しかしダビデは、主の油注ぎを受けて一時は主のために働いたサウルを快く受け入れたのです。ダビデがその生涯の中で、サウルに対して恨みや憎しみを抱き続けていた様子は見られません。苦しみや悲しみを抱いてはいましたが。

そればかりではなく、ヨナタンが父サウルに対して、見捨ててしまうことをせず、サウルが神の道をはずれた行動をしていた間も、父をいさめ、死ぬ時も離れなかったことに対して、ダビデはヨナタンの愛の深さに深く感動しています。

「わしよりも速く、雄獅子よりも強かった。」は、ヨナタンの勇敢さを表わしているものと思われます。

24節、ダビデはイスラエルの国民に、サウルの王としての偉業を語って、サウルのために泣き悲しむように呼びかけています。

Ⅱサム 1:24 イスラエルの娘らよ。サウルのために泣け。サウルは紅の薄絹をおまえたちにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた。

「紅の薄絹をおまえたちにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた。」は、サウルの働きによって、イスラエルの国民が繁栄を受けたことを言っています。サウルによってイスラエルが敗北したことは事実でした。それ故、国民はサウルを恨み、非難するかも知れません。しかしダビデはサウルを非難するよりも、サウルを通して恵みをもたらされた主に心を向けさせ、サウルを悲しむようにと言っています。他人を非難、攻撃して責めることによっては、恵みを受けることはできません。敗北した者には深い悲しみの涙が必要です。そして今まで受けて来た恵みを深く思うことが大切です。他人の痛みを共に深く悲しむことは、神の愛の表われです。

25節からは、ダビデの悲しみは特にヨナタンに向けられています。

Ⅱサム 1:25 ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはおまえの高き所で殺された。

26節、ダビデはヨナタンを「私の兄弟ヨナタンよ。」と呼んでいます。

Ⅱサム 1:26 あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。
1:27 ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた。」

「あなたは私を大いに喜ばせ」ダビデが窮地にあった時、ヨナタンはどんなにダビデを力づけ、慰め、希望を抱かせてくれただろうか。

「あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。」ヨナタンの愛は友情をはるかに越えて、神の愛に近い愛でした。王となるべき自分の権利も特権も地位も、すべてダビデに与えて、ダビデを父サウルの手から守り続けたのです。

彼こそ、友のために命を捨てた友であり(ヨハネ15:13)、兄弟よりも親密な友(箴言18:24)です。ヨナタンの愛は無私で、高貴でした。それ故、ヨナタンを失ったダビデの悲しみは、更に一層深かったのです。

ここでは、ダビデはもはやサウルのした悪を思わず(コリント第一 13:5)、サウルの尊敬すべき点だけをほめたたえています。ダビデは主が自分の罪を赦してくださったように、彼に敵対したサウルの罪をも赦したのです。

「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」(マタイ6:14,15)

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くようなことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)

更に、契約を結んだヨナタンの愛に対する感謝を、ダビデは生涯忘れることなく、その約束を果たしています。

そして、サウルとヨナタンと勇士たちが倒れたことによって、主の栄誉が損なわれはしないか、また主の民イスラエルの幸福が奪われはしないか、深く案じて、悲しんだのです。

あとがき

トラクトを配って歩いている時、思いがけない所で、思いがけない人と出会うことがあります。ある時は、教会に来始めた人と信号を渡った所でバッタリ出会い、それから一時間ばかり人通りの中に立ち止って、話をお聞きし、いくらか心にイエス様の光をお分ちしました。
つい最近は、ずい分以前に教会に来られていた方と道でバッタリお会いしました。
引越しておられたこと、七年前に夫が他界されたこと、子どもさんが独立されたこと、結婚されたことなど話されました。そして「この前に配られたトラクト、良かったです。」とも言っておられました。トラクトを読んでくださっている人がいることが分かりました。
とにかく、外に出てトラクトを配って歩かないと、霊魂に会うことはないと知りました。

(まなべあきら 2009.12.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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