週報No.2116 涙の預言エレミヤ書(27)「背負う重荷」エレミヤ書10:17~25
2018年2月18日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
涙の預言エレミヤ書(27)「背負う重荷」エレミヤ書10:17~25
エレミヤ書10章17~25節
10:17 包囲されている女よ。あなたの荷物を地から取り集めよ。
10:18 まことに【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしはこの国の住民を、今度こそ放り出し、彼らを悩ます。彼らに思い知らせてやるためだ。」
10:19 ああ、私は悲しい。この傷のために。この打ち傷はいやしがたい。そこで、私は言った。「まことに、これこそ私が、負わなければならない病だ。」
10:20 私の天幕は荒らされ、すべての綱は断ち切られ、私の子らも私から去って、もういない。再び私の天幕を張る者はなく、私の幕屋を建てる者もいない。
10:21 牧者たちは愚かで、【主】を求めなかった。それで彼らは栄えず、彼らの飼うものはみな散らされる。
10:22 聞け、うわさを。見よ。大いなる騒ぎが北の地からやって来る。ユダの町々を荒れ果てた地とし、ジャッカルの住みかとするために。
10:23 【主】よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。
10:24 【主】よ。御怒りによらず、ただ公義によって、私を懲らしてください。そうでないと、私は無に帰してしまうでしょう。
10:25 あなたを知らない諸国の民の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。彼らはヤコブを食らい、これを食らって、これを絶滅させ、その住まいを荒らしたからです。
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージの要点>
捕囚は切迫しています。
「包囲されている女よ。あなたの荷物を地から取り集めよ。」(エレミヤ書10:17)
エレミヤは、16節までは、主を畏れている敬虔なわずかな者たちに語っていましたが、17節で、突然、集合的なひとかたまりの人格としての、イスラエルの全会衆に向かって語っています。
「包囲されているエルサレムのひとかたまりの集団よ。あなたの持ち物を全部集めよ。捕囚にされて、バビロンに連れて行かれる行進が始まるからだ。わびしい、長い、つらい、捕囚の旅が始まる前に、そこから逃れて、最後の手段として逃走せよ。」という命令です。
「荷物」というへブル語は、ここにしか出ていません。捕囚は、奴隷とされて連行されるのですから、個人の財産は全部、没収されてしまいます。その前に荷物を持って逃げなさい、という命令です。
しかし、彼らが背負う荷物は、自分の財産ではなく、偶像礼拝の罪の刑罰の重荷ばかりです。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
主イエスを信じる信仰によらず、戒めに従い、自分の正しさ、真面目さ、熱心さによって、自分の決心と努力によって、神の国に入ろうとする人は、自分で努力すればするほど、重荷を背負い込みます。
自分の出来が良いと、自慢して、高慢になり、出来ないと自己卑下に陥り、他人の評価が気になります。こんな生活はたましいをすり減らします。
こんな重荷は、主に任せましょう。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(ペテロ第一、5:7)
私は、罪の重荷も、全ての重荷を、毎日、主に渡しているのです。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」(詩篇55:22)
「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。」(詩篇68:19)
自分の重荷を自分で負い続ける人は、真面目で、努力家と言われるかもしれませんが、不信仰な人です。神に喜ばれません。心に神の平安が満たされることはありません。その重荷は、たましいの滅びを意味しています。
<今週の活用聖句>
マタイの福音書11章29節
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
<集会案内>
◇2月21日(水)聖別会 午前10時半
必要な諸区別(16)
「新生と聖化(3)聖霊を持つことと満たされること」
地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421